2009.03.20
地獄への道は善意で敷き詰められている(The road to hell is paved with good intentions)
「地獄への道は善意で敷き詰められている(The road to hell is paved with good intentions)」という言葉がある。「地獄への道は善意で舗装されている」とも言われる。私はこの言葉が大好きだ(リバタリアンならみんな好きなはず)。

善意を持っている人、「いい人」でも、その考え方が「正しい」とは限らない。むしろ、間違っていることが少なくないのだ。「善意」によって、誰かをむしろ悪い方向に導いてしまう、ということはよくある。これが政治のように規模が大きく、重大な判断である場合、「善意の間違い」が多数派を占めたり、権力を持ったりすると、それが「地獄への道」になりうるわけだ。

「善意の間違い」が恐ろしいのは、表向きは「悪」に見えないこと、また善意の持ち主である本人は「悪」だと思っておらず、正しさを確信していることだ。だからこそ、それが多数派になったり、権力を持ちうる。

いかにも悪い人とか、悪意が見えているような悪事・間違いは、わかりやすい。悪であることには違いないが、悪であることが明白なので、支持されず、権力を持ちにくい。その意味で、この種の悪は「弱い」ものであり、「本質的な危険性」を持っていない。

「地獄への道は善意で敷き詰められている」という言葉は、「わかりやすい悪」よりも「善意の間違い」のほうがはるかに恐ろしく、危険だということを実にうまく表現していると思う。

この見事な言葉を生み出したのは誰なのか、調べてみた。

うつせみ日記 - 「地獄への道は善意で舗装されている」は誰の言葉か(その3)
http://d.hatena.ne.jp/hidematu/20061009/1160391965

これによると、1709年生まれのイギリスの文学者、サミュエル・ジョンソンが「Hell is paved with good intentions(地獄は善意で敷き詰められている)」と書いているのがもっとも早い例で、その後の1800年頃には、あたまに「The road to」がついたものが「一般的なことわざ」として定着していたように思われる、とのこと。サミュエル・ジョンソンの言葉についてはウィキペディアにも書かれている

しかし次のページによると、サミュエル・ジョンソンよりも早い使用例があるという。

The Samuel Johnson Sound Bite Page - The Road to Hell Is Paved With Good Intentions
http://www.samueljohnson.com/road.html

クレルヴォーのベルナルドゥスSaint Bernard of Clairvaux 1091-1153)が書いた、「Hell is full of good intentions or desires.」という例があるそうだ。もう1000年近く前だ。

まあ誰が書いたにせよ、人類の知恵が結晶したような見事な言葉だと思う。幾多の失敗を繰り返してきた人類が、その痛い経験を込めたような感じだ。

コンピュータなら10年も経てば使いものにならないが、こういう知恵の詰まった言葉は1000年経っても使えるのだ。しかし、1000年経ってもこの言葉がまだ通用するということは、人類というものがそれほど賢くなっていないということでもある。


関連エントリ:
手段は未来に、目的は過去に
http://mojix.org/2008/12/15/mirai_kako
マンガでわかるハイエク『隷属への道』
http://mojix.org/2008/10/22/serfdom_manga
正しさのマーケティング
http://mojix.org/2005/12/05/193738
「間違っているけどわかりやすい」 vs 「正しいけどわかりにくい」
http://mojix.org/2005/09/10/161919