官僚を「公営シンクタンク」として使う、日本の安上がりな政治システム
JBpress - 下野する高級官僚は何処へ? 政権交代と日本版「回転ドア」(2009年09月01日 博雅)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/1615
<2009年8月30日の総選挙で民主党が圧勝し、政権交代が間近に迫った。政策の立案・運営面では、政治的中立の官僚を政府が「お抱え」で活用してきた国の「形」が、多少なりとも変わりそうだ。「官僚制度の打破」「天下りの禁止」といったお題目の下、政策立案の現場に政治家や政治色の強いスタッフが順次投入されていくのは間違いない>。
<まず、これまでの日本の高級官僚制度を大まかに整理してみたい。政策立案・運営能力のある優秀な人材を国民が税金で雇い、安定的に活用しようとするものである。批判を浴びているが、天下りとは人材が固定化して政策が硬直化する事態を回避し、且つ官僚の引退後の生活を保障することで、骨身を惜しまず不偏的に国家戦略に尽くすことを求めたシステムと言える>。
<これとは対照的に、米国では政権交代の度に政策の中枢に位置する政治任用の高級官僚(ポリティカルアポインティー)がガラリと入れ替わる。その受け皿となるのが、シンクタンクや議員スタッフである>。
<ワシントンには幾つかの有力シンクタンクが存在するが、その全てが民主党系か共和党系に色分けされている。政権を追い出された側は、こうしたシンクタンクで働いて捲土重来を期す>。
これは素晴らしい記事。日本の政治はなぜダメなのか、その問題の「構造」を見事に切りとっている。
日本の内閣は、実質的に官僚が動かしている「官僚内閣制」だとよく言われる。中川秀直『官僚国家の崩壊』、渡辺喜美・江田憲司『「脱・官僚政権」樹立宣言』といった政治家の本を読むと、官僚がどのように権力維持や組織防衛をおこなっているか、その一端がわかる。このような官僚の批判本はたくさんあるし、メディアでも官僚は基本的にワルモノ扱いだろう。
しかし裏を返せば、この記事にもあるように、日本の政治家はこれまで、政治家本来の役割である立法や政策立案にあまり取り組んでおらず、そこは官僚に丸投げしていたという面もあったようだ。権力闘争やメディア対応、支持者回りや選挙対策、さらにひどい場合には利益誘導、といったことばかりやっていて、立法や政策立案をあまりマジメにやっていなかったために、そのノウハウが全部官僚のほうに行ってしまっていたのだ。
だから官僚側から見れば、「有能なわれわれが、きわめて重要な仕事を、毎日夜中過ぎまでやっているのだから、高給や身分が守られるのは当然だ。政治家は何もわかっていないし、実質的に法や政策はわれわれが作るんだから、政治家の言うことなど聞き流して、そのうち落選するのを待とう」というふうに考えたとしても当然だろう。
この記事にもあるように、アメリカではシンクタンクがきわめて発達している。横江公美『第五の権力 アメリカのシンクタンク』(文春新書)では、アメリカでのシンクタンクの位置を次のように説明している。
<ホワイトハウス、省庁、議会が政治の舞台の主役なら、シンクタンクは政治の舞台を支える黒衣の存在だ。そのため、シンクタンクの存在感や影響力は、立法、行政、司法、そしてメディアに続く「第五の権力」と謳われるまでに成長した>。
<シンクタンクは、政策に関しては「知の源泉」として、政権へは優秀な「人材の源泉」として、ワシントンの政治環境を下支えする。経営になぞらえれば、必要なモノ、ヒト、カネという三種の神器のうち「カネ」以外を政治の舞台に供給する存在なのだ>。
アメリカでは、シンクタンクや民間会社と政権のあいだで人材の移動がひんぱんに起こり、これが冒頭の記事のタイトルにもなっているように、「回転ドア」と呼ばれている。落選した政治家も、シンクタンクなどで働きながら次の機会をうかがうことができるわけだ。
いっぽう日本では、このシンクタンクにあたる部分、民間の「政策のプロ」の厚みがないため、政治家が政策のサポートを求める対象がほぼ官僚のみ、という状態になりやすいようだ。小泉・竹中時代は、経済財政諮問会議などを活用した「官邸主導」型がある程度実現していたが、それはむしろ例外的で、「官僚にお任せ」というのが一般的な状態らしい(「みんなの党」の言う「自民は官僚依存」)。つまり日本の官僚は、本来の役割である行政だけでなく、政治家のために立法や政策立案までおこなう「公営シンクタンク」のような役割も果たしているわけだ。
さらに、日本では落選した政治家の行き場が少ないため、有利な世襲政治家や、食い扶持の心配がない金持ちなどでなければ出馬しにくいという、政治家の「雇用」問題がある。ここでも、シンクタンクや民間会社との人材の出入りという「回転ドア」が少ないことが、日本における政治家の「供給」を過少にしている。これは、海部美知さんの言う政治家の「キャリアパス」不足という問題であり、人材流動性不足に起因する他の問題と同じく、ここでもやはり解雇規制が問題をいっそう深めている。
冒頭の記事では、このような鋭い指摘がある。
<政権交代の引き継ぎにかかる手続きや、民主・共和両党で同じような能力の人材を双方共に確保する費用などを考えると、制度維持にかかる社会的コストは日本よりも米国の方が高いと思われる。日本の高級官僚制度は、国全体のコストを考えると相対的に安く済むシステムであろう>。
<政策担当秘書は米議会のような自らチームを抱える権限や財源を与えられず、目の前の「ドブ板選挙」に追われている。官僚に代わって、政策実現のための根回しや国会での想定問答作成などを十分行っているようにも見えない。
こうした新制度がうまく機能しない理由の1つは、逆説的になるが、政権交代が頻繁に起こらなかったためかもしれない。しかし筆者はそれよりも、日本国民がこうした社会的コストの高い制度ではなく、本音では効率的な官僚制度を望んでいるからだと考えている>。
これはまさに、問題の核心を突いた指摘だろう。日本では、政治家だけでなく、国民自体も、政治というものを官僚に依存しきった「お任せ」状態なのだ。この「安上がり」なシステムが、日本の政治の貧弱さを生み出している。
私もいまの官僚依存は良くないと思うし、政治主導に変えていく必要があると思うが、単に官僚そのものをワルモノ扱いしても、問題の真の「構造」はなくならないだろう。この「構造」とは結局のところ、国民が政治について考えることを避けつづけ、自分に関係ないものとして「国任せ」し、「安上がり」に済ませてきた、というところに行き着くと思う。
国民がもっと政治に対する関心を高めれば、テレビや新聞、雑誌などでも政治がコンテンツとして成立するようになり、シンクタンクが活躍する場も増える。シンクタンクが増えれば、政治家の「雇用」問題が改善し、人材の供給源や受け皿が増える。こうなれば政治のレベルも上がり、政治家もシンクタンクを活用できるようになって、官僚依存を減らすことができる。
つまり、わたしたちが政治に対する関心を高め、多少のカネを出すようになれば、このような「政治エコシステム」ができあがり、日本の政治は変わりうるのだ。
先日のエントリで、私はこのように書いた。
<「政治について考え、意見を発する」ことはきわめて重要であり、これが日本の政治を少しずつ変えていくだろう。少なくとも、マスコミの情報を丸呑みするしかなかった時代に比べれば、政治に関する大量かつ多様な情報に接することのできるいまの時代は、はるかに健全であり、学習機会も豊富だ>。
<日本の政治を変えるには、投票に行くことも重要だが、「政治について考え、意見を発する」ことは、それ以上に重要かもしれない。今回の総選挙でも明らかなように、「世論」は実際の投票日より前に決まってしまうので、本質的な決定要因は投票そのものというよりも、どのような「世論」が形成されるのか、そこが焦点になる。この世論形成に対するマスコミの独占的な影響力が落ちてきて、ネットの影響力が増しているというのがいまの状況であり、その点だけでも大きな進歩だろう>。
この「政治について考え、意見を発する」ことの延長上に、多少のカネを出すという経済行動が加わったらどうなるか、というのが今回の話だ。もっと政治に対してカネが動けば、より多くのシンクタンクを成立させる余地が生じて、「公営シンクタンク」たる官僚に依存した「安上がり」な政治システムを変えられるかもしれない。汚職や不正はもちろんダメだが、政治にカネをかけること自体を敵視するような「清貧」の思想では、良い政治システムを作ることはできないだろう。
関連:
ウィキペディア - シンクタンク
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7..
Wikipedia - Think tank
http://en.wikipedia.org/wiki/Think_tank
Wikipedia - List of think tanks in the United States
http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_think_tanks_in_the_United_States
関連エントリ:
日本の問題は「市場の失敗」でなく「政府の失敗」
http://mojix.org/2009/08/29/nihon_no_mondai
渡辺喜美・江田憲司『「脱・官僚政権」樹立宣言』 「ピュアネス」と「経験」を兼ね備えた貴重な政治家
http://mojix.org/2009/08/27/datsukanryou
日本をダメにしたのは誰か
http://mojix.org/2009/05/15/nihon_dame
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/1615
<2009年8月30日の総選挙で民主党が圧勝し、政権交代が間近に迫った。政策の立案・運営面では、政治的中立の官僚を政府が「お抱え」で活用してきた国の「形」が、多少なりとも変わりそうだ。「官僚制度の打破」「天下りの禁止」といったお題目の下、政策立案の現場に政治家や政治色の強いスタッフが順次投入されていくのは間違いない>。
<まず、これまでの日本の高級官僚制度を大まかに整理してみたい。政策立案・運営能力のある優秀な人材を国民が税金で雇い、安定的に活用しようとするものである。批判を浴びているが、天下りとは人材が固定化して政策が硬直化する事態を回避し、且つ官僚の引退後の生活を保障することで、骨身を惜しまず不偏的に国家戦略に尽くすことを求めたシステムと言える>。
<これとは対照的に、米国では政権交代の度に政策の中枢に位置する政治任用の高級官僚(ポリティカルアポインティー)がガラリと入れ替わる。その受け皿となるのが、シンクタンクや議員スタッフである>。
<ワシントンには幾つかの有力シンクタンクが存在するが、その全てが民主党系か共和党系に色分けされている。政権を追い出された側は、こうしたシンクタンクで働いて捲土重来を期す>。
これは素晴らしい記事。日本の政治はなぜダメなのか、その問題の「構造」を見事に切りとっている。
日本の内閣は、実質的に官僚が動かしている「官僚内閣制」だとよく言われる。中川秀直『官僚国家の崩壊』、渡辺喜美・江田憲司『「脱・官僚政権」樹立宣言』といった政治家の本を読むと、官僚がどのように権力維持や組織防衛をおこなっているか、その一端がわかる。このような官僚の批判本はたくさんあるし、メディアでも官僚は基本的にワルモノ扱いだろう。
しかし裏を返せば、この記事にもあるように、日本の政治家はこれまで、政治家本来の役割である立法や政策立案にあまり取り組んでおらず、そこは官僚に丸投げしていたという面もあったようだ。権力闘争やメディア対応、支持者回りや選挙対策、さらにひどい場合には利益誘導、といったことばかりやっていて、立法や政策立案をあまりマジメにやっていなかったために、そのノウハウが全部官僚のほうに行ってしまっていたのだ。
だから官僚側から見れば、「有能なわれわれが、きわめて重要な仕事を、毎日夜中過ぎまでやっているのだから、高給や身分が守られるのは当然だ。政治家は何もわかっていないし、実質的に法や政策はわれわれが作るんだから、政治家の言うことなど聞き流して、そのうち落選するのを待とう」というふうに考えたとしても当然だろう。
この記事にもあるように、アメリカではシンクタンクがきわめて発達している。横江公美『第五の権力 アメリカのシンクタンク』(文春新書)では、アメリカでのシンクタンクの位置を次のように説明している。
<ホワイトハウス、省庁、議会が政治の舞台の主役なら、シンクタンクは政治の舞台を支える黒衣の存在だ。そのため、シンクタンクの存在感や影響力は、立法、行政、司法、そしてメディアに続く「第五の権力」と謳われるまでに成長した>。
<シンクタンクは、政策に関しては「知の源泉」として、政権へは優秀な「人材の源泉」として、ワシントンの政治環境を下支えする。経営になぞらえれば、必要なモノ、ヒト、カネという三種の神器のうち「カネ」以外を政治の舞台に供給する存在なのだ>。
アメリカでは、シンクタンクや民間会社と政権のあいだで人材の移動がひんぱんに起こり、これが冒頭の記事のタイトルにもなっているように、「回転ドア」と呼ばれている。落選した政治家も、シンクタンクなどで働きながら次の機会をうかがうことができるわけだ。
いっぽう日本では、このシンクタンクにあたる部分、民間の「政策のプロ」の厚みがないため、政治家が政策のサポートを求める対象がほぼ官僚のみ、という状態になりやすいようだ。小泉・竹中時代は、経済財政諮問会議などを活用した「官邸主導」型がある程度実現していたが、それはむしろ例外的で、「官僚にお任せ」というのが一般的な状態らしい(「みんなの党」の言う「自民は官僚依存」)。つまり日本の官僚は、本来の役割である行政だけでなく、政治家のために立法や政策立案までおこなう「公営シンクタンク」のような役割も果たしているわけだ。
さらに、日本では落選した政治家の行き場が少ないため、有利な世襲政治家や、食い扶持の心配がない金持ちなどでなければ出馬しにくいという、政治家の「雇用」問題がある。ここでも、シンクタンクや民間会社との人材の出入りという「回転ドア」が少ないことが、日本における政治家の「供給」を過少にしている。これは、海部美知さんの言う政治家の「キャリアパス」不足という問題であり、人材流動性不足に起因する他の問題と同じく、ここでもやはり解雇規制が問題をいっそう深めている。
冒頭の記事では、このような鋭い指摘がある。
<政権交代の引き継ぎにかかる手続きや、民主・共和両党で同じような能力の人材を双方共に確保する費用などを考えると、制度維持にかかる社会的コストは日本よりも米国の方が高いと思われる。日本の高級官僚制度は、国全体のコストを考えると相対的に安く済むシステムであろう>。
<政策担当秘書は米議会のような自らチームを抱える権限や財源を与えられず、目の前の「ドブ板選挙」に追われている。官僚に代わって、政策実現のための根回しや国会での想定問答作成などを十分行っているようにも見えない。
こうした新制度がうまく機能しない理由の1つは、逆説的になるが、政権交代が頻繁に起こらなかったためかもしれない。しかし筆者はそれよりも、日本国民がこうした社会的コストの高い制度ではなく、本音では効率的な官僚制度を望んでいるからだと考えている>。
これはまさに、問題の核心を突いた指摘だろう。日本では、政治家だけでなく、国民自体も、政治というものを官僚に依存しきった「お任せ」状態なのだ。この「安上がり」なシステムが、日本の政治の貧弱さを生み出している。
私もいまの官僚依存は良くないと思うし、政治主導に変えていく必要があると思うが、単に官僚そのものをワルモノ扱いしても、問題の真の「構造」はなくならないだろう。この「構造」とは結局のところ、国民が政治について考えることを避けつづけ、自分に関係ないものとして「国任せ」し、「安上がり」に済ませてきた、というところに行き着くと思う。
国民がもっと政治に対する関心を高めれば、テレビや新聞、雑誌などでも政治がコンテンツとして成立するようになり、シンクタンクが活躍する場も増える。シンクタンクが増えれば、政治家の「雇用」問題が改善し、人材の供給源や受け皿が増える。こうなれば政治のレベルも上がり、政治家もシンクタンクを活用できるようになって、官僚依存を減らすことができる。
つまり、わたしたちが政治に対する関心を高め、多少のカネを出すようになれば、このような「政治エコシステム」ができあがり、日本の政治は変わりうるのだ。
先日のエントリで、私はこのように書いた。
<「政治について考え、意見を発する」ことはきわめて重要であり、これが日本の政治を少しずつ変えていくだろう。少なくとも、マスコミの情報を丸呑みするしかなかった時代に比べれば、政治に関する大量かつ多様な情報に接することのできるいまの時代は、はるかに健全であり、学習機会も豊富だ>。
<日本の政治を変えるには、投票に行くことも重要だが、「政治について考え、意見を発する」ことは、それ以上に重要かもしれない。今回の総選挙でも明らかなように、「世論」は実際の投票日より前に決まってしまうので、本質的な決定要因は投票そのものというよりも、どのような「世論」が形成されるのか、そこが焦点になる。この世論形成に対するマスコミの独占的な影響力が落ちてきて、ネットの影響力が増しているというのがいまの状況であり、その点だけでも大きな進歩だろう>。
この「政治について考え、意見を発する」ことの延長上に、多少のカネを出すという経済行動が加わったらどうなるか、というのが今回の話だ。もっと政治に対してカネが動けば、より多くのシンクタンクを成立させる余地が生じて、「公営シンクタンク」たる官僚に依存した「安上がり」な政治システムを変えられるかもしれない。汚職や不正はもちろんダメだが、政治にカネをかけること自体を敵視するような「清貧」の思想では、良い政治システムを作ることはできないだろう。
関連:
ウィキペディア - シンクタンク
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7..
Wikipedia - Think tank
http://en.wikipedia.org/wiki/Think_tank
Wikipedia - List of think tanks in the United States
http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_think_tanks_in_the_United_States
関連エントリ:
日本の問題は「市場の失敗」でなく「政府の失敗」
http://mojix.org/2009/08/29/nihon_no_mondai
渡辺喜美・江田憲司『「脱・官僚政権」樹立宣言』 「ピュアネス」と「経験」を兼ね備えた貴重な政治家
http://mojix.org/2009/08/27/datsukanryou
日本をダメにしたのは誰か
http://mojix.org/2009/05/15/nihon_dame