2009.08.27
渡辺喜美・江田憲司『「脱・官僚政権」樹立宣言』 「ピュアネス」と「経験」を兼ね備えた貴重な政治家
講談社 - 「脱・官僚政権」樹立宣言 霞が関と闘うふたりの政治家 著者:渡辺喜美・江田憲司
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みんなの党」と、その母体「国民運動体 日本の夜明け」の中心人物である渡辺喜美・江田憲司の両氏による対談本。

今年4月に出た本で、この時点では「みんなの党」はまだできておらず、「国民運動体 日本の夜明け」が動き始めたという時期だが、内容的には「みんなの党」の理念・政策をほぼ先取りしている。

対談形式なのもあり、とにかく読みやすくて、わかりやすい。政策的な話ももちろんあるのだが、政治家や官僚をめぐる具体的なエピソードが実に豊富で、そこだけ読んでも面白い。

以下、いくつか抜粋してみよう。

第2章 「天下り」が日本を滅ぼす 「リーク、悪口、サボタージュ」より:

<渡辺 行革担当大臣になったときに、ある人から忠告を受けたんです。「官僚の抵抗は、リーク、悪口、サボタージュですよ」と。
 実際、行革担当大臣になって3日目にやられました。日経新聞の1面トップに、「公務員制度改革の概要固まる」という記事が出たんです。担当大臣の私がまったく知らない案が、いきなり新聞に出ているんです。その記事で説明されていた改革案では、天下り規制なんてほとんどないような内容になっていました。誰かがその案の既成事実化を狙ってリークしたものなんでしょうね>。

第3章 総理官邸が危ない 「空っぽの総理官邸」より:

<江田 私は海部(俊樹)内閣のときに、内閣副参事官として初めて官邸に入ったんです。それまでは「官邸の中って赤絨毯が敷いてあって荘厳で、さぞ立派なところなんだろうな」と。
 渡辺 鼻っ柱の強い江田憲司もビビりながら足を踏み入れたわけだ。(笑)
 江田 入ってみてビックリしたんですが、官邸の中っていうのはがらんどうなんですね。
 (中略)
 いちおう内政審議室とか外政審議室といった、中曽根内閣時代に内閣機能の強化を謳い文句につくった組織もあって、これが官邸とは別の建物にあることはある。でも、ここははっきり言えば各省庁から出てきた資料をホチキスで留めて各種会議を運営しているだけで、内政審議室が内政の司令塔であるわけでもないし、外政審議室が外交の司令塔でもないわけです。
 だから思いましたよ、「これでよく総理大臣が務まるな」って。
 渡辺 がらんどうじゃ総理に情報が入ってこないし、総理の手足となるべき人間がいない。考えると恐ろしいことですよ。
 江田 総理大臣はこんな体制でよく日本丸の舵取りができるなと変な意味で感心しました。でも、なんのことはない、要はこれ、霞が関の意思表示なんですよ。結局、このがらんどう状態は、「やあやあ、もう国の舵取りの仕事や政策はわれわれがちゃんとやりますから、総理はそこにデーンと座って、あとは思う存分、政争や権力闘争にかまけておいてください」という霞が関の無言の意思表示なんですよ。
 だから自民党で総裁に選ばれた実力政治家も、官邸の敷居を跨いだ途端に真空地帯に放り込まれたようになってしまうんです>。

第3章 総理官邸が危ない 「総理ペーパーを書き直す官僚」より:

<江田 官邸主導、内閣主導、国民主導の体制をつくるために、がらんどうの官邸に外部人材、民間人材を入れ、総理の知恵袋をつくり官邸主導で引っ張っていこうということで、この経済財政諮問会議をつくったんです。そのときは、当然のことながら大蔵省の抵抗が激しかった。諮問会議の名称の中に“財政 ”の2文字を入れる、入れないで、もう本当に苦労したんです。
 予算というのは政治そのものです。だから、「予算の基本方針、骨格ぐらいは総理大臣が握らねば」という発想で経済財政諮問会議を立ち上げようとしたわけです。
 ただ何回も、橋本総理に「経済財政だよ、経済だけでなく」と発言してもらっても、大蔵省と連携している行革会議事務局が出してくるペーパーを見ると、「経済諮問会議」になっている。常に「財政」の2文字が抜けてるわけです。
 渡辺 そりゃ、ひどい。
 江田 私が「なんで“財政”が抜けてるんだ」と言うと、「いや江田さん、財政っていうのは広義の経済ですから、“経済諮問会議”でいいんですよ。財政っていうのは経済の一部なんですから」なんていう屁理屈をこねてくる。もちろん彼らのホンネは、「官邸に予算編成権を握られたらたまったものじゃない」というところにあるわけです。
 それで行革会議事務局にペーパーを差し戻すわけですが、そうしたらまた知らんふりして「財政」が抜けたまま持ってくる。その繰り返しが3~4回あって、やっと「経済財政諮問会議」とまさしく記載されるようになったんです。
 こんなことは彼らにとっては朝メシ前の芸当なんですよ。なにしろ、総理大臣の発言要旨のペーパーだって平気な顔で書き直すくらいですから。
 渡辺 私も行革担当大臣のときに何度もそれを目の当たりにしました>。

渡辺喜美・江田憲司の両氏は、いずれも自民党を離党している(渡辺氏は今年の1月、江田氏は2002年)。あとがきで、江田氏は自らを「政界はぐれ鳥」と称し、「永田町の水」に合わない、と書いているが、これは自民党を飛び出した渡辺氏にもほぼ当てはまるだろう。渡辺氏と江田氏は、自らの組織防衛に明け暮れる官僚を嫌い、「脱・官僚」を掲げているだけでなく、寄り合い所帯でしかない政党が足の引っぱり合いばかりしている日本政治の現状についても批判している。官僚も政治家も、自分のことばかり考えて、日本のために働いていないじゃないか、という怒りを2人は共有しているのだ。

私はこの本を読んで、渡辺氏と江田氏の政策や考え方に共感しただけでなく、その独立精神や生き方といったレベルでも共感できるものがあった。そして、両氏が他の政治家に対して持っている大きな強みは、次の2点に集約できるように思った。

1)霞が関の論理にも、永田町の論理にも染まらず、国民の視点を持っている「ピュアネス(純粋さ)」
2)同時に、霞が関の論理にも、永田町の論理にも通じている「経験」

政治家は国民の代表なのだから、1)は基本である。しかし、単に国民視点や理想主義といった「ピュアネス」だけでは足りない。抵抗勢力と闘い、現実の仕組みを変えていくには、「相手を知る」「敵を知る」必要がある。これが2)の「経験」だ。

この対談本を読むと、渡辺氏と江田氏は「ピュアネス」と「経験」を兼ね備えた、貴重な政治家であることがわかる。例えば、「みんなの党」パートナーの1人である山内康一氏を考えると、1)の「ピュアネス」では申し分ないが、2)の「経験」は少ないはずだ。

1)の視点は、民間人であればむしろ当たり前に持っているものだが、2)の視点は、経験を積んだ政治家でなければ持ちえないものだろう。その意味でも、この対談本は2)の霞が関の論理、永田町の論理について生々しく(かつ面白く)書かれているところが大きなポイントだ。


関連:
ウィキペディア - 渡辺喜美
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1..
ウィキペディア - 江田憲司
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F..
江田けんじ 今週の直言
http://www.eda-k.net/chokugen/backnumber.html

関連エントリ:
「みんなの党」のマニフェストには「同一労働同一賃金」や「負の所得税」もある
http://mojix.org/2009/08/11/your_party_manifest
「みんなの党」結成
http://mojix.org/2009/08/09/your_party2
渡辺喜美元行革相の新党は「みんなの党」に 山内康一氏、浅尾慶一郎氏ら参加
http://mojix.org/2009/08/06/your_party