2010.12.28
音楽の「不良化」
先日ひさびさにジャズを聴いたら、まるで「不良の音楽」だと感じた。これには自分でも驚いた。

このところ、バロック~古典派あたりのクラシックを聴きまくっていたために、そういう「耳」になってしまったのだろう。その私には、ジャズはじつに荒っぽい音楽に聞こえたのだ。

ほぼロックしか知らなかった、高校生ぐらいまでの私にとっては、ジャズは「大人の音楽」だった。自分には手のとどかない、ちょっとカッコよくて、オシャレな音楽だったわけだ。

しかし、いまやバロック~古典派あたりのクラシックが好きなオッサンになった現在の私にとっては、ジャズは「不良の音楽」であると感じるようになったわけだ。夜の薄暗いクラブで、酒を飲んだりタバコを吸ったりしながら聴くような、反抗的でアンダーグラウンドな音楽。いまでいうクラブ・ミュージックみたいな位置づけだ。ジャズはまさに、「かつてのクラブ・ミュージック」だったのだろうと思う。

19世紀初頭にベートーヴェンが出てきたとき、その音楽があまりにも革新的だったので、聴衆はその突飛さに大笑いしたという。私はこのエピソードを、知識としては以前から知っていたが、バロック~古典派に染まった現在の私は、これを実感をもって理解できる気がする。

ベートーヴェンのような音楽の革新者は、いわば「不良」である。それまでの常識やルールを守らず、新しい方法を生み出すのだ。

ベートーヴェンが笑われたのと同じように、20世紀初頭のストラヴィンスキーも、『春の祭典』で同じようなスキャンダルを巻き起こした。その意味では、ストラヴィンスキーも「不良」だったわけだ。そしてジャズも、それと同じ意味で「不良」だったのである。

音楽の歴史とは、このような「不良化」の歴史なのではないか。「不良」、つまり「新しくて乱暴なもの」が出てきて、それ以前の「古き良きもの」を否定し、打ち壊していく。

音楽に限らず、おそらく歴史そのものが、このような「不良化」のプロセスなのだという気がする。「最近の若い奴はダメだ」といった嘆きは、古代から存在していたという。「最近の若い奴」つまり「不良」が、旧世代の良いところも悪いところも含めて、すべてを否定していく。その乱暴な否定により、一部は進歩するのだが、一部はむしろ退化してしまうのだ。

歴史という「不良化」のプロセスを通じて、人間のある部分は賢くなり、ある部分は愚かになる。


関連エントリ:
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