2011.06.21
なぜ「安全主義」が政策上無視されるのか
Munchener Brucke - なぜ山本太郎や室井佑月「安全主義」が政策上無視されるのか?(2011-06-04)
http://d.hatena.ne.jp/kechack/20110604/p1

<最近俳優の山本太郎氏が福島の子どもたちの疎開を呼び掛けたり、室井佑月が福島の子どもたちの給食に福島産の野菜を使うべきでないと発言。ネットでは賛意が相次いでいるが、実際には政策の選択肢の俎上にも上っていないのが実情だ。この温度差は何であろうか?>

<昨日までの政局においても、福島の子どもたちを皆殺しにしようとしている菅政権に憤りを訴える意見をネットでは多く見かけたが、実際に菅降ろしをする勢力が「安全主義」を採用する気配がある訳でもない。実施には社民党や共産党ですらこの意見を採用しておらず、政治的には俎上にさえないのだ>。

<なぜ世論で一定の支持がある意見を政治が無視するのか、よく考える必要がある。
 安全主義を阻害する要素について、私は以下の原因を考える。

1.風評被害や住民の減少するリスクを避けたい。(地方自治体・地元政治家)
2.賠償の対象を拡大したくない。(東電・財務省)
3.原子力発電を維持したい

もっとも大きな原因を山本太郎氏も安全主義を支持する人も理解していないのではないか。2や3を原因にしてしまい、福島県民は騙されているという図式にしてしまう。だから政治の問題だとしてしまいがちである>。

これはするどい指摘。そして、こういう指摘はタブーなので、マスコミには載らないだろう。

政治は国民の声を無視できないし、特に今回の原発事故に関しては、福島県をはじめ、被害にあった地域の意見をいっそう尊重する必要がある。

さらに、放射能というよくわからないもののために、風評被害がひろがりやすい状況にある。福島県は被害者なのに、まるで伝染病患者か何かのように、同情はされるが、農産物などが回避されがちな状況が生じている。

福島県を救うつもりの「安全主義」が、風評被害をあおって、むしろ福島県を苦しめることにもなりかねないわけだ。何が「風評」なのかの範囲確定自体がむずかしいだけに、これは難問だろう。

個人レベルの行動であれば、どんなに極端な「安全主義」を採るのも自由である。しかし、それを政治のレベルにのせて、集団的な意思決定とするのは、かなりのリスクがある。「安全主義」が政治のレベルにのってこないのは、必ずしも東電や政府の陰謀ではないわけだ。

今回の原発事故を受けて、世界規模で見れば、いわば日本自体が回避されている。国内では福島県が置かれている立場に、日本が置かれているのだ。もし世界レベルで、日本を回避する「安全主義」が徹底されたら、どうなるだろうか。そう考えてみれば、福島県の立場が理解できる。