2012.09.11
私はなぜツイッターをやらないのか
私はいまのところ、ツイッターをやっていない。私はなぜ、ツイッターをやらないのだろうか。

私は別に、ツイッターが嫌いなわけではない。むしろ、ツイッターは私がすごく好きなタイプのメディアだ。

まずツイッターがいいのは、コンテンツが短いことだ。ひとつのツイートが必ず140字以内で、「ひとくちサイズ」なので、苦もなく読める。どんなにくだらない内容でも、これだけ短ければ、「読んで損した」と思うこともない。

そして、「フォロー」機能がいい。いちいちフィードリーダー(RSSリーダー)などを使わなくても、ツイッターの中だけで、購読管理も完結している。これがあまりにも便利で、かつツイッターが爆発的に普及したので、フィードリーダーの側が廃(すた)れてしまったくらいだ。

しかし、ツイッターには好きになれないところもある。まず、短縮URLがイヤだ。リンクを踏まないと、どこに飛ぶかわからないなんて、恐ろしい。短縮URLは、140字の制限から生まれたものだろうが、URL(Uniform Resource Locator)という概念自体をふみにじっていると思う。

そして、私はどうも「タイムライン」というものになじめないのだ。人によって、ツイートの内容も、更新頻度もマチマチなのに、それが同一の時間軸上に並んでしまう。これでは、更新が多い人のツイートに埋め尽くされるに決まっている。「フォロー」機能自体はいいと思うのだが、更新されたことがわかればいいのであって、いろいろな人のツイートをタイムライン上で混ぜる必要はない気がする。私の考えは古いのかもしれないが、やはりブログのように、その人の書いたものだけが並んでいるほうが、しっくり来る。

とはいえ、こういうのはおそらく、さまざまなツールやサービスを使えば、解決するのだろう(私はツイッターに詳しくないので、何を使えばいいのかも知らない)。では、そういうツールがあればツイッターをやるのかというと、それでもやはり、やらないような気がする。

私がツイッターをやらない本当の理由は、もしやってしまうと、たぶんそればかりやってしまうからだ。私にとってツイッターは、いわば「魅力的すぎる」。私がツイッターをやらないのは、酒飲みがあえて酒から逃げているようなものだ。


関連エントリ:
時間の 「小銭」 と 「お札」
http://mojix.org/2005/10/18/102907