2012.09.10
「真逆(まぎゃく)」は日本語の進化か、退化か
朝日新聞デジタル - 言葉を磨く人生を深める 語彙・読解力検定、受け付け中(2012年9月6日15時21分)
http://www.asahi.com/edu/news/TKY201209060351.html

<人が分かり合い、学びを深めるために必要な「言葉の力」。それを測り、伸ばすために、朝日新聞社とベネッセコーポレーションが行う「語彙(ごい)・読解力検定」。2012年度第2回申し込みが、受け付け中だ。11月の検定までに、どう備えるか。豊富な語彙を駆使した訳で知られる翻訳家の柳瀬尚紀さんに、言葉の力のつけ方について聞いた>。

語彙・読解力検定」という検定試験のPR記事のようなので、ツッコミ入れるのも野暮かもしれないが。柳瀬尚紀氏は、こう述べている。

<最近全国的に、日本語がどんどん貧しくなっている。語彙が減っているのです。携帯電話のメールや、ツイッターなどの影響かな、と感じています。
 メールを打つ時、ボタンを押せばパッと言葉の候補が出る。その候補だけで間に合わせ、頭の中で言葉を探すことが減っていった。
 昔は、百人百様の語彙がみんなの頭に浮かび、自分の言葉を探しながら、適切な言葉で自分の考えを輪郭づけていた。それこそが「書く」という行為です。それをしなくなったから、言葉に深みがなくなってしまったのですね>。

柳瀬尚紀氏は尊敬しているが、この見方には賛同できない。

まずワープロ、そしてPC、さらにネットやブログが出てきて、日本語を「書く」こと、「アウトプット」する機会が、爆発的に増えた。携帯電話のメールやツイッターは、この流れをさらに加速している。電車の中ですら、四六時中、日本語を書きまくっているわけだ。

文章に限らないが、上達するには「アウトプット」の量が欠かせない。日本語を「書く」人が大量に増えたことで、日本人の日本語スキルは、全体的に見れば向上しているだろうと私は思う。

<メールを打つ時、ボタンを押せばパッと言葉の候補が出る。その候補だけで間に合わせ、頭の中で言葉を探すことが減っていった>、というのもおかしい。日本語入力システムは「言葉を探す」のではなくて、単に漢字への変換をしてくれるだけだ。変換する前に、「言葉を探す」のは自分でやらなければいけないわけで、これは手書きと同じである。柳瀬氏はPCを使っていないのだろうか。

安部公房は、いちはやくワープロを使った作家としても知られている。ウィキペディアにはこうある

<日本人で初めてワープロで小説を執筆した作家である(1984年から使用)。NECのワープロ開発に参画し、ワープロ『文豪』は文字通り文豪が関わった機種だった。安部が使用していたワープロはNECの『NWP-10N』とその後継シリーズ『文豪』である>。

安部公房はピンク・フロイドの大ファンで、冨田勲、NHKと並び、日本で最初にシンセサイザーを購入した3人のうちの1人でもあるから、このくらい当然ではある。

柳瀬氏は、いちはやくワープロを使った安部公房については、どう思っているのだろうか。手書きをやめたり、漢字変換を機械に任せたからといって、日本語が貧しくなるとは限らないだろう。いまどき、作家だって大半がPCを使っているはずだ。

<メディアの責任も大きい。はやり言葉を安易に使うから、言葉に重みがなくなる。「まぎゃく(真逆)」という言葉が良い例です。なぜ「正反対」と言わないのでしょうか。「まぎゃく」は、広辞苑にも、大辞林にも載っていません>。

これも、「最近の若者はなっとらん」みたいな話である。「真逆(まぎゃく)」の普及も、柳瀬氏から見れば、日本語の退化と感じるようだ。

広辞苑にも、大辞林にも載っていない「真逆(まぎゃく)」が急速に広まっているのだから、それはむしろ日本語の進化であり、イノベーションではないだろうか。「正反対(せいはんたい)」よりも短くて、便利で、実感がこもっているから、みんな使い始めたのだろう。

そもそも、語彙(ごい)が多いことと、よい文章であることは、ほとんど関係がないと私は考えている。むしろ、文章がヘタな人のほうが、むずかしい言葉を使いたがる傾向すらあると思う。


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