2011.03.17
長い文を見ると、短くしたくなる
元日のエントリに書いたが、今年の私のテーマは「短い文」である。

これをテーマに決めた効果はてきめんで、これ以降、私は文の長さにかなり意識的になった。このブログを書くときも、できるだけ長い文にならないように気をつけているが、他人の文を見ても、長い文は気になるようになった。

スウィフト『ガリヴァ旅行記』(新潮文庫)の裏表紙に、こんな解説文が書いてある。

<スウィフトの諷刺は、一点の感傷も交えない骨を刺す体のものであり、直接の対象は当時のイギリス社会の具体的事件や風俗であるが、それらは常に人間性一般への諷刺にまで高められており、そこに彼の作品の永遠性、普遍性がある>。

きちんとした文章だが、これで一文というのは長すぎると思う。いまの私は、こういう長い文を見かけると、どうも気になるのだ。

これを普通くらいの長さにするなら、例えばこんな感じだろうか。

バージョン1(普通の長さの文に):

<スウィフトの諷刺は、一点の感傷も交えない骨を刺す体のものである。その直接の対象は当時のイギリス社会の具体的事件や風俗であるが、それらは常に人間性一般への諷刺にまで高められている。そこに彼の作品の永遠性、普遍性がある>。

これでセンテンスは3つになり、だいぶ読みやすくなった。これくらいで普通は十分だが、いまの私の好みにあわせて、より短くしてみよう。

バージョン2(より短い文章に):

<スウィフトの諷刺。それは、一点の感傷も交えない骨を刺す体のものである。その直接の対象は、当時のイギリス社会の具体的事件や風俗である。しかし、それらは常に人間性一般への諷刺にまで高められている。そこに彼の作品の永遠性、普遍性がある>。

これでセンテンスは5つになった。さらに、漢字をひらがなにしたり、硬い感じを少しやわらかくすると、こんな感じになる。

バージョン3(やわらかい表現に):

<スウィフトの諷刺(ふうし)。それは一点の感傷もまじえない、骨を刺すようなものだ。それが直接の対象とするのは、当時のイギリス社会で起きた具体的な事件や、当時の風俗である。しかし、スウィフトの諷刺はつねに、人間性一般への諷刺にまで高められている。そこに彼の作品の永遠性、そして普遍性がある>。

この例では、もともと長い文を単に短くしたので、言い回しとリズムがあっていないところもある。最初から短いセンテンスで書こうとすれば、そのリズムにあった言い回しになると思う。


関連エントリ:
伝わる文章の書きかた 結果を先に、「いいわけ」は最後に
http://mojix.org/2011/02/26/tsutawaru-bunshou
2011年のマイテーマ: 短い文
http://mojix.org/2011/01/01/short-sentence