2012.10.25
店員「お会計630円です」私「はい、1,200円」 発言小町のトピが激論に発展
発言小町 - お金の勉強・・・大人の対応(2012年10月18日 22:43)
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2012/1018/548360.htm

<はじめまして、30代女性です。
 先日、夫と二人で近所の洋菓子店に行き、その時の会計時のことです。
対応して下さっていたのは、たぶん学生アルバイトだと思われる女性店員の方でした。
買い物金額は、630円。私は、お金を1200円出しました。
 そうすると、店員の方が「お会計630円です」と言われ、私はレジの横のカルトンを指しお金は、ここに置きましたというジェスチャーをしましたが、もう一度不思議そうに「630円です」と言われました。
 私も戸惑いながらも、「はい」と答え、もう一度レジ横に置いたお金に視線を落としました。
 店員さんは、後ろでお菓子を包装してくださっていた別の先輩店員さん(後ろ向きでレジの方は見えていない)に「合計630円ですよね」と聞きなおしました。
 そこで、私はようやく勘付きました。
 私は1200円ひく630円で570円のお釣りが欲しかったが、店員さんとしては、1000円札だけで足りるのに何故1200円という金額をこの客は出しているんだろうか?と、思っているんだろうと。
 後ろでは、私より先に状況判断できた夫は笑いをこらえている様子でした。
私が、さっと200円を引くと店員さんはにっこりと笑顔でお会計を済ませ370円のお釣りを渡してくれました。
 店をでて、夫には「大人の対応だった」と言われましたが、私はあとから、「お釣りを500円玉と70円でお願いします」と言った方が良かったのではと思いました。
 皆様なら、200円を自分に戻して1000円からお釣りをもらいますか?それとも店員さんに伝えますか?
 ちなみに、私は前職が銀行員だったせいか、お財布に硬貨が無駄に多い状況が嫌いです。
上記のお金の出し方は、私としては160円の買い物で210円出し50円のお釣りをもらうというものと同じ感覚です>。

この発言小町のトピ(質問)が2ちゃんねるで採り上げられ、各所で激論に発展しているようだ。

哲学ニュースnwk - 「お会計630円です」 私「はい、1200円」 「630円ですが」 私「1200円だよ」 「630円」(2012年10月22日08:00)
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4318622.html

アルファルファモザイク - 店員「お会計630円です」 私「はい、1,200円」 店員「630円ですが」 私「1,200円だよ」 店員「630円」(2012年10月22日 13:00)
http://alfalfalfa.com/archives/6019014.html

例えば現時点で、「哲学ニュースnwk」では1300以上、「アルファルファモザイク」では800以上ものコメントがついている。

コメントの中には、「こんなしょうもない話でスレ立てる奴が異常」といったものもある。しかし、これほど大きな反響が起きているということは、むしろこのトピ主の質問が、ある意味で「核心を突いた」証拠だろう。ほんとうにどうでもいい話題なら、誰もコメントしないはずだ。

みんなヒートアップして、コメントを書かずにはいられなくなるような、そういう「何か」が、ここにはあるのだ。だから私も、こうして紹介せずにはいられないわけだ。

議論で中心になっているのは、このトピ主がおこなった「630円に対して1200円出す」という払い方が許されるかどうか、という点のようだ。

私も昔からずっと、トピ主とまったく同じ払い方をしている。「630円に対して1200円出す」というのは、それだけ見るとたしかに謎な感じもするが、実際にサイフから支払う場合を考えると、特におかしくはない。

例えばサイフの中に12,310円あったとして、代金が630円だったとき、あなたはどのように払うだろうか。サイフ内の硬貨ができるだけ少なくなるように払うなら、1200円出すことになるだろう。

そして、「サイフ内の硬貨をできるだけ少なくする」ということは、「店のレジに残る硬貨をできるだけ多くする」ということでもある。つまりこの払い方によって、店のレジに残る硬貨の数は最大になる。店側にとっても、500円硬貨1枚より、100円硬貨5枚のほうが助かるだろうから、この払い方は店側にとっても歓迎だろう。

と、私はずっと信じて疑わなかったのだが、この発言小町のトピでは、トピ主がめちゃくちゃに叩かれているのだ。叩かれているのは、トピ主の店員に対する接し方もあるようなのだが、それにしても袋叩きに近くて、叩かれすぎだ。読んでいて恐ろしくなる。

しかし発言小町だけであれば、「まあ発言小町だから」ということで、納得できるところもある。ところが、「哲学ニュースnwk」や「アルファルファモザイク」のコメント欄でも、けっこうな激論になっているのだ。「1200円出す」方式はここでも少数派のようで、かなり叩かれている。それも、「なぜ1130円出さないのだ」といった、単純な無理解にもとづく批判もけっこうあって、読んでいてイライラしてくる(笑)。

客と店のどちらか一方が損するとか、はっきり結論の出ないテーマであれば、議論になるのもわかる。しかしこの話の場合、「630円に対して1200円出す」という払い方こそ、もっとも合理的だし、双方にメリットがあるのは疑いないだろう。それでも、この方式がここまで叩かれるというのは、私には驚きだった。

「630円に対して1200円出す」というのは、合理性でいえばベストだろうが、「630円に対して1000円出す」という払い方でも、ぜんぜん構わない。人間は合理性のためだけに生きているのではないし、合理的でなければならない、ということもない。自由にすればいいのだ。しかし今回のように、合理的な方法が、少数派だというだけで「異常だ」「普通じゃない」と批判されてしまうのは、恐ろしいものを感じる。多数が正しくて、少数は間違いという、これも日本の「空気」なのだろうか。


関連エントリ:
「空気破り」が重罪になる日本 発言小町のトピ「自治会の人間関係について 「ふいんき」間違いを指摘したら」
http://mojix.org/2010/04/10/kuuki_yaburi