「空気破り」が重罪になる日本 発言小町のトピ「自治会の人間関係について 「ふいんき」間違いを指摘したら」
ひさびさに「発言小町」を眺めていて、面白い「トピ」を見つけた。
発言小町 - 自治会の人間関係について 「ふいんき」間違いを指摘したら… 奈美(2010年4月7日 10:29)
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2010/0407/306652.htm
<27歳の主婦です。
最近引っ越しして、新しい町の自治会に参加したのですが、その自治会の人間関係について相談させてください>。
<お隣に住む、10歳年上のAさんという奥さんがいらっしゃるのですが、普段はいつも親切にしてくださいます。
ゴミだしについてや、子供会の行事についてなど、私が戸惑うことがあると、丁寧に説明してくださり、とてもいい奥さんなのです>。
<ところが、先日ちょっと驚いたことがありました。
自治会の話し合いで、町内の春の行事について話し合った時のことです。
Aさんは進行役を買って出てくださり、ホワイトボードに皆さんの意見を書いていたのですが、どなたかが「町内の雰囲気をよくしたい」と発言し、それをAさんが「『雰囲気』って感じ思い出せないから、失礼して平仮名で書いちゃいます(笑)」と仰り、ボードに『ふいんき』と書いたので、私はうっかり間違いだと思い、小さな声で「Aさん、『ふいんき』じゃなくて『ふんいき』じゃないですか?」って指摘したんです。
すると笑顔だったAさんの表情が一変し、「なにいってるの?これはこれで合ってます。どちらの読み方でもいいのよ」と言って、訂正しようとしなかったのです。
不思議なことに、その話し合いに参加されている他の方々も、Aさんの意見に同意した様子でした。『雰囲気』の読みは『ふんいき』が正解で、どちらでもいいということはないと思うのですが…。
でも私はAさんが大勢の前で指摘されて気分を害し、あんな言い方をしたのだと思い、話し合いのあとで謝りにいきました。
するとAさんは涙を流しながら「私に恥をかかせて楽しい?いつも親切にしてあげてるのに恩を仇で返すのね。そんな人だとは知らなかった」と言って、帰ってしまわれました>。
<その時は私の配慮が足りなかったと反省しましたが、この数日後、驚くべきことが起こったのです>。
これがトピ主「奈美」さんによる元の発言で、このあとの「続きです1」「続きです2」「続きです3」まででセットになっている。ここで全部引用するとネタバレになって面白くないので、この先を読み進む前に、ぜひそれを読んでみてほしい。
このトピ主の最初の書き込み(上に引用したもの)に対して、「魚の鱗」さんという人が「続きはどうでもいいけど」というタイトルで、トピ主も「漢字」を「感じ」と誤変換していることを指摘し、
<多分多くの同じ指摘が入ると思いますがその時あなたがどう感じるか。
つまりそういうこと>。
とコメントした。
トピ主が「続きです」を書く前にこの指摘をした「魚の鱗」さんに対して、トピ主はやや怒って、
<申し訳ないんですが、途中まで読んで「つづきなんてどうでもいい」と思われたならレスしないでもらえないでしょうか。
それともわざわざ誤変換の指摘したがためのレス?
申し訳ありませんが、最後まで読む気すらない方のレスなど不要です>。
<つまりどういうことですか?「どう感じるか」って、なにをですか?
途中までしか読まずに、よくそんな曖昧なレスを返す気になりましたね。
果たしてそんな不可解なレスと同じ指摘が多数つくでしょうか?>
と返答した。
このやりとりを見て、トピ主に同情する人はほとんどいなくなり、これ以後は大部分、「あなたがAさんに漢字の読み間違いを指摘したのは大人気ないことで、それと同じことを「魚の鱗」さんにやられて、あなたも怒っているではないか」という見方が優勢になってしまう(後半では、トピ主を擁護する意見もいくらか出てくる)。
このトピの展開はまさに、このトピの本来の相談内容である「自治会の人間関係」といわば「相似形」になっていて、恐ろしいものがあると感じた。
トピ主が「ふいんき」の間違いを指摘するのは、確かに大人気(おとなげ)ない。しかし、これはいわば社会における「生存戦略」として「うまくない」という話であり、せいぜい「マナー」のレベルだ。どちらかというと、トピ主のほうが本来は正しいのだから、これはいわゆる「KY(空気読めない)」みたいなもので、「間違っている」わけではない。
そして、トピ主がこの相談をおこなっている主眼は、決して漢字の読みではなく、「(漢字の読み間違いを指摘したために)逆恨みをかって、イジメにあっている」というのが主眼なのだ(イジメの具体的な内容は「続きです」のほうに書かれている)。
にもかかわらずこのトピでは、トピ主の誤変換を指摘して、いわば「意趣返し」した「魚の鱗」さんが賞賛されてしまい、「魚の鱗」さんに怒っているトピ主も、自治会の「Aさん」と同じようなものではないか、という展開になってしまっているのだ。
つまり、漢字の読み間違いを指摘するという「KY」、せいぜい「マナー」レベルの話と、その指摘で逆切れして、ほとんど反社会的なイジメをおこなう「Aさん」が、このトピでは「同罪」になってしまっているのだ。
この見方は、泥棒にあった被害者に対して「泥棒にあうような油断をしているほうが悪い」と考えたり、ミニスカートの女性が襲われたとき「襲われるような格好をしているほうが悪い」と考えるような思考様式に通じるものがある。こういう思考様式の人は、被害にあわないように「うまくやる」というせいぜい「生存戦略」レベルの話と、他者に危害を加える反社会的な行為のレベルを混同してしまっており、反社会的な行為を受けた被害者を「あなたにも原因があった」というふうに「責める」のが特徴だ。
このトピでは、漢字の読み間違いを指摘したトピ主は一種の「KY」だったとしても、反社会的な行為はおこなっていない。むしろ、反社会的な行為を受けている被害者なのであり、その悩みを訴えることが主眼なのだ。
にもかかわらず、「魚の鱗」さんは単に読み間違いや誤変換のレベルで指摘し、「あなたもお互いさまでしょ」とやってしまっている。これはまさに、「続きです」のほうに書かれているイジメ行為、トピ主が本当に訴えたい主眼のほうを読む前に、いわゆる「脊髄反射」でコメントしてしまっているからだ。トピ主がこの「魚の鱗」さんに怒ったのは、自分も変換ミスを指摘されたからというよりも、いちばん訴えたい主眼点を「続きです」で書く前に、主眼でない論点で割り込まれたからだ。
さらにこのトピでは、その「魚の鱗」さんの「意趣返し」が賞賛され、それで問題が尽きてしまっているかのように、被害者であるトピ主が逆に叩かれてしまっているのだ。「KY」と「反社会的な行為」のレベルが区別されず、むしろ「KY」な人が叩かれてしまっているわけで、「これぞ日本社会」という感じの「風景」だと思う。
日本では、何が正しくて、何が間違っているかを考える「正義」や「善悪」よりも、「みんなとうまくやる」という「空気」が優先される。その「空気」を破り、「和を乱す」者は、どんなに「正しい」としても許されないのだ。それでメンツをつぶされた人に逆恨みされ、反社会的な行為の被害にあっても、「それ見たことか」「自業自得だ」と見殺しにされてしまうのである。まるで、逆恨みして反社会的な行為をおこなう者が「正当」で、「空気破り」のほうが「重罪」であるかのように、裁きを受けてしまうのだ。
関連エントリ:
「個人」に責任を帰属させず、「空気」のなかに責任を拡散してしまう日本
http://mojix.org/2009/08/13/kuuki_sekinin
「自粛」という日本の悪しき風習 「恥の文化」を脱却せよ
http://mojix.org/2009/02/19/jishuku_haji
群集がいつも賢いとは限らない 「Wisdom of Crowds」の成立条件
http://mojix.org/2006/01/14/100147
発言小町 - 自治会の人間関係について 「ふいんき」間違いを指摘したら… 奈美(2010年4月7日 10:29)
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2010/0407/306652.htm
<27歳の主婦です。
最近引っ越しして、新しい町の自治会に参加したのですが、その自治会の人間関係について相談させてください>。
<お隣に住む、10歳年上のAさんという奥さんがいらっしゃるのですが、普段はいつも親切にしてくださいます。
ゴミだしについてや、子供会の行事についてなど、私が戸惑うことがあると、丁寧に説明してくださり、とてもいい奥さんなのです>。
<ところが、先日ちょっと驚いたことがありました。
自治会の話し合いで、町内の春の行事について話し合った時のことです。
Aさんは進行役を買って出てくださり、ホワイトボードに皆さんの意見を書いていたのですが、どなたかが「町内の雰囲気をよくしたい」と発言し、それをAさんが「『雰囲気』って感じ思い出せないから、失礼して平仮名で書いちゃいます(笑)」と仰り、ボードに『ふいんき』と書いたので、私はうっかり間違いだと思い、小さな声で「Aさん、『ふいんき』じゃなくて『ふんいき』じゃないですか?」って指摘したんです。
すると笑顔だったAさんの表情が一変し、「なにいってるの?これはこれで合ってます。どちらの読み方でもいいのよ」と言って、訂正しようとしなかったのです。
不思議なことに、その話し合いに参加されている他の方々も、Aさんの意見に同意した様子でした。『雰囲気』の読みは『ふんいき』が正解で、どちらでもいいということはないと思うのですが…。
でも私はAさんが大勢の前で指摘されて気分を害し、あんな言い方をしたのだと思い、話し合いのあとで謝りにいきました。
するとAさんは涙を流しながら「私に恥をかかせて楽しい?いつも親切にしてあげてるのに恩を仇で返すのね。そんな人だとは知らなかった」と言って、帰ってしまわれました>。
<その時は私の配慮が足りなかったと反省しましたが、この数日後、驚くべきことが起こったのです>。
これがトピ主「奈美」さんによる元の発言で、このあとの「続きです1」「続きです2」「続きです3」まででセットになっている。ここで全部引用するとネタバレになって面白くないので、この先を読み進む前に、ぜひそれを読んでみてほしい。
このトピ主の最初の書き込み(上に引用したもの)に対して、「魚の鱗」さんという人が「続きはどうでもいいけど」というタイトルで、トピ主も「漢字」を「感じ」と誤変換していることを指摘し、
<多分多くの同じ指摘が入ると思いますがその時あなたがどう感じるか。
つまりそういうこと>。
とコメントした。
トピ主が「続きです」を書く前にこの指摘をした「魚の鱗」さんに対して、トピ主はやや怒って、
<申し訳ないんですが、途中まで読んで「つづきなんてどうでもいい」と思われたならレスしないでもらえないでしょうか。
それともわざわざ誤変換の指摘したがためのレス?
申し訳ありませんが、最後まで読む気すらない方のレスなど不要です>。
<つまりどういうことですか?「どう感じるか」って、なにをですか?
途中までしか読まずに、よくそんな曖昧なレスを返す気になりましたね。
果たしてそんな不可解なレスと同じ指摘が多数つくでしょうか?>
と返答した。
このやりとりを見て、トピ主に同情する人はほとんどいなくなり、これ以後は大部分、「あなたがAさんに漢字の読み間違いを指摘したのは大人気ないことで、それと同じことを「魚の鱗」さんにやられて、あなたも怒っているではないか」という見方が優勢になってしまう(後半では、トピ主を擁護する意見もいくらか出てくる)。
このトピの展開はまさに、このトピの本来の相談内容である「自治会の人間関係」といわば「相似形」になっていて、恐ろしいものがあると感じた。
トピ主が「ふいんき」の間違いを指摘するのは、確かに大人気(おとなげ)ない。しかし、これはいわば社会における「生存戦略」として「うまくない」という話であり、せいぜい「マナー」のレベルだ。どちらかというと、トピ主のほうが本来は正しいのだから、これはいわゆる「KY(空気読めない)」みたいなもので、「間違っている」わけではない。
そして、トピ主がこの相談をおこなっている主眼は、決して漢字の読みではなく、「(漢字の読み間違いを指摘したために)逆恨みをかって、イジメにあっている」というのが主眼なのだ(イジメの具体的な内容は「続きです」のほうに書かれている)。
にもかかわらずこのトピでは、トピ主の誤変換を指摘して、いわば「意趣返し」した「魚の鱗」さんが賞賛されてしまい、「魚の鱗」さんに怒っているトピ主も、自治会の「Aさん」と同じようなものではないか、という展開になってしまっているのだ。
つまり、漢字の読み間違いを指摘するという「KY」、せいぜい「マナー」レベルの話と、その指摘で逆切れして、ほとんど反社会的なイジメをおこなう「Aさん」が、このトピでは「同罪」になってしまっているのだ。
この見方は、泥棒にあった被害者に対して「泥棒にあうような油断をしているほうが悪い」と考えたり、ミニスカートの女性が襲われたとき「襲われるような格好をしているほうが悪い」と考えるような思考様式に通じるものがある。こういう思考様式の人は、被害にあわないように「うまくやる」というせいぜい「生存戦略」レベルの話と、他者に危害を加える反社会的な行為のレベルを混同してしまっており、反社会的な行為を受けた被害者を「あなたにも原因があった」というふうに「責める」のが特徴だ。
このトピでは、漢字の読み間違いを指摘したトピ主は一種の「KY」だったとしても、反社会的な行為はおこなっていない。むしろ、反社会的な行為を受けている被害者なのであり、その悩みを訴えることが主眼なのだ。
にもかかわらず、「魚の鱗」さんは単に読み間違いや誤変換のレベルで指摘し、「あなたもお互いさまでしょ」とやってしまっている。これはまさに、「続きです」のほうに書かれているイジメ行為、トピ主が本当に訴えたい主眼のほうを読む前に、いわゆる「脊髄反射」でコメントしてしまっているからだ。トピ主がこの「魚の鱗」さんに怒ったのは、自分も変換ミスを指摘されたからというよりも、いちばん訴えたい主眼点を「続きです」で書く前に、主眼でない論点で割り込まれたからだ。
さらにこのトピでは、その「魚の鱗」さんの「意趣返し」が賞賛され、それで問題が尽きてしまっているかのように、被害者であるトピ主が逆に叩かれてしまっているのだ。「KY」と「反社会的な行為」のレベルが区別されず、むしろ「KY」な人が叩かれてしまっているわけで、「これぞ日本社会」という感じの「風景」だと思う。
日本では、何が正しくて、何が間違っているかを考える「正義」や「善悪」よりも、「みんなとうまくやる」という「空気」が優先される。その「空気」を破り、「和を乱す」者は、どんなに「正しい」としても許されないのだ。それでメンツをつぶされた人に逆恨みされ、反社会的な行為の被害にあっても、「それ見たことか」「自業自得だ」と見殺しにされてしまうのである。まるで、逆恨みして反社会的な行為をおこなう者が「正当」で、「空気破り」のほうが「重罪」であるかのように、裁きを受けてしまうのだ。
関連エントリ:
「個人」に責任を帰属させず、「空気」のなかに責任を拡散してしまう日本
http://mojix.org/2009/08/13/kuuki_sekinin
「自粛」という日本の悪しき風習 「恥の文化」を脱却せよ
http://mojix.org/2009/02/19/jishuku_haji
群集がいつも賢いとは限らない 「Wisdom of Crowds」の成立条件
http://mojix.org/2006/01/14/100147