2009.02.19
「自粛」という日本の悪しき風習 「恥の文化」を脱却せよ
毎日jp - はっぴいえんど:名盤「風街ろまん」出荷・販売停止 鈴木茂容疑者の逮捕で
http://mainichi.jp/enta/music/news/20090218mog00m200066000c.html

<ギタリストの鈴木茂容疑者(57)が17日、大麻取締法違反(所持)容疑で現行犯逮捕されたことを受け、18日、鈴木容疑者がかつて所属していたロックバンド「はっぴいえんど」のオリジナルアルバム3作などの販売が停止になった。販売元の複数のレコード会社によると、期間は未定という。同バンドは鈴木容疑者のほか細野晴臣さん、大滝詠一さん、松本隆さんがメンバーで、73年に解散。「日本語ロック」を代表するバンドとして今でも親しまれているが、解散から30年以上たって、こうした形での販売中止は異例だ>。

なんなんだこれは。

はっぴいえんどのファンがこんなことを要求したり、クレームを言うはずがないので、どうせ「自粛」だろう。

「自粛」というのは、世間の目を気にする相互監視型社会・日本の悪しき風習だ。

日本の「恥の文化」は、善悪の基準を「世間」に求めるので、いったん悪しき風習が広まってしまうと、それが「善」になってしまう。

これは「いじめ」と同じ構造だ。「いじめ」が起きてしまうと、いじめている多数派のほうにみな加わろうとする。善悪の判断よりも、少数派になる「痛み」に耐えられないのだ。どちらが正しいかではなく、どちらが多数派かで決まってしまうという「いじめの構図」は、日本ではいろいろな場面で見られる。

「自粛」や「いじめ」をなくすには、世間の多数派に従う「恥の文化」を脱却し、世間や多数ではなく、あくまでも自分の良心や信念に従う「罪の文化」に移行していく必要がある。日本では、個人が自分のなかの信念や判断基準に従うよりも、世間の多数派をうかがいながら「風見鶏」的に動く傾向があるので、いったん「悪」が力を持つと、それを集団的に是認・強化してしまいやすい。こういう社会は、ファシズムや全体主義が出てくれば一発で終わりになる。

こういう文化・価値観というのは、いわば「精神のOS」であり、「心のプラットフォーム」だ。そうかんたんには変われないにしても、「自粛」や「いじめ」といった現象が、その精神基盤に根ざしていることをまず認識する必要がある。

はっぴいえんどの発売元は、はっぴいえんどの音楽に価値を認めて出しているんだから、発売中止はすぐに撤回し、自信を持って発売を継続すべきだ。

日本にはいい伝統や文化もあるが、こういう悪しき風習、「個の未熟さ」がたくさんある。これからの新しい世代には、日本の悪い部分は克服していってほしい。


関連エントリ:
群集がいつも賢いとは限らない 「Wisdom of Crowds」の成立条件
http://mojix.org/2006/01/14/100147
タグ: