2012.10.28
将棋をビジネスとして考える
現代ビジネス | 山崎元「ニュースの深層」 - 衰退か? 盛り返すか? 頭脳の格闘技「将棋」をビジネスとして考える(2012年10月17日)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33819

<日本将棋連盟のホームページを見ると、平成23年度(3月末決算)の経常収入実績は約27億900万円だが、翌年度の収支予算書の同項目は約26億 6700万円と減少している。本年度の初めの時点で、将棋連盟の正会員名簿には220名の棋士が名前を連ねている。端的に言って、成長の止まった中小企業に見える>。

<将棋という全国的にポピュラーなゲームをコンテンツとして擁し、その構成員の一人一人が天才、あるいは少なくとも元天才レベルの頭脳のアスリートであることを考えると、「現在の収入は、もう少し多くてもいいのではないか」という思いを禁じ得ない>。

将棋をビジネスとして盛り上げる方法について、経済評論家の山崎元氏が考察している。

<棋士の収入は、対局料と賞金、及び将棋連盟からの給与所得だけではなく、棋士が個人的に行う稽古、道場、スクール、著述業収入などを含むので、「プロ将棋経済圏」の総体は連盟の収入よりも大きなものになる。だが、それらを考えても、もっと成長の余地はないものか>。

<商品として「将棋」というゲームを評価すると、①知名度は抜群でルールも広く普及しており、②アマチュアのプレーヤーに加えて、テレビ棋戦やネット中継などの“観戦ファン”も多く、③今後の日本社会が高齢化するとしても、高齢者に対する親和性が高く、④PCやゲーム機、スマートフォンなどでプレーできるゲームでもある、といった有利な要素を持っている>。

<需要の掘り起こしが、もっと期待できるのではないか>。

たしかに、将棋は数あるゲームのなかでも、知名度ではトップクラスだし、ルールもかんたんだ。しかし、将棋はじつに奥が深くて、飽きない。だからこそ、歴史もあるし、ファンも多い。

将棋自体にはライセンスもなく、胴元などもない。いわばオープンソースだ。さらに、場所も道具もほとんどいらないし、IT化もしやすい。棋譜という記述法があるおかげで、対局の記録・再現もしやすい。

子供から老人まで楽しめて、IT化にもなじむなど、将棋にはゲームとしての優位点がたくさんある。たしかに、もっと<需要の掘り起こし>ができそうに思う。

<一将棋ファンのサンプルとして、筆者自身について考えてみよう。筆者は学生時代に将棋部に在籍し、現在の棋力はアマ四段程度だ。プロの将棋は、主なタイトル戦や順位戦(名人戦の予選であると同時に、棋士の格付けに大きく影響する棋戦)の多くをネットで観戦している。敢えて自分で言うが、将棋連盟としては、「有望な見込み客」だ>。

<しかし、筆者が将棋に定期的に支払っているお金は、直接的には、順位戦をネット中継で観戦するための月間500円(@niftyのサービスによる)と、雑誌「将棋世界」の毎月の購読料750円程度にすぎない。年間で、たった1万5000千円だ。これを、顧客である筆者の満足度の向上を伴いながら、できれば 10倍、せめて5倍くらいまで高めることができないか>。

山崎氏はアマ四段とのことで、これはアマチュアとしては相当に強い。かなりコアな将棋ファンといえるだろう。その山崎氏が、将棋に対して年間に15,000円程度しか使っていないとのこと。たしかにこれでは、将棋のマーケットは小さそうだ。

<熱心な将棋ファンからの収入を「深掘り」していくことが重要だとする仮説に従うなら、将棋会館は、そのための場としても重要だ>。

<将棋連盟は、もっと大きな本部を作るか、移転する必要があるのではないだろうか。熱心な将棋ファンに対して、今後さまざまな「プレミアム感」のあるサービスを提供するにも、もう少し大きくて綺麗な「箱」が要る>。

<一方で、年間売上高が二十数億円の一中小企業であるという将棋連盟の経済実態を考えると、不動産への投資には慎重でなければならないという事情はある。しかし、将棋連盟のバランスシートを見ると、総資産約21億円に対して、流動負債は3億2600万円で、その大半が未払い金と前受金であり、固定負債に至っては、退職給付引当金が1億3500万円あるだけで、要は大きな借り入れがない。これは、健全経営ともいえるが、企業としては、ずいぶん消極的な経営である>。

このあたりは、経済評論家としての山崎氏の視点が活かされた内容だ。山崎氏のような人を将棋ファンに持っている将棋連盟は、幸運だろう。

<コンピューターと人間(プロ棋士)との戦いは、当面、関心を呼ぶ話題になるだろうが、前述のように、いずれは人間が勝ちにくくなる状況が予想される。コンピューターの将棋は、ハード、ソフト両面から今後も強くなるだろう>。

<特に、持ち時間が短くなる戦いでは、遠からぬ将来、普通のノートパソコンにインストールされた商用将棋ソフトに、プロ棋士がどんどん負けるような状況になってもおかしくないと思う(少なくとも、そうなることのビジネス・リスクは想定しておくべきだ)>。

<将棋において人間が最強ではなくなった時、あらためて、限界を抱えた人間同士の頭脳の格闘技としての将棋の「魅力」やその「見せ方」を考えなければなるまい>。

このあたりが、個人的には、この記事でいちばんおもしろい部分だ。

<さらに、ここで視点を変えるなら、コンピューターを積極的に使った将棋の戦い方を考えたい>。

<たとえば、「プロ棋士同士が、実力を一定レベルに揃えたコンピューターを使っても構わない」として戦うと、どうなるのだろうか>。

<また、棋士が、コンピューターに与える判断条件や戦い方の選好などの設定を変えて、自分の棋風にチューニングしたプログラムを作り、プログラム同志を戦わせるとどうなるだろうか。このやり方なら、アマチュアも相当程度、プロと互角に近い戦いを挑むことができるだろう。将棋ソフトをプラットフォームとしたアマ・プロ戦も楽しい>。

<仮に、将棋ソフトの手を読むエンジン部分を共通にして、局面の評価や作戦などを選ぶ部分をチューニングできるようにすると、似たレベルの強さの下で個性の豊かなプログラムを作ることができるだろう。プログラム同志の選手権争奪戦も興業として可能だし、棋士の個性が反映されたプログラムを商品化して、棋士と将棋連盟がライセンス料を取るようなこともできるだろう>。

そのうち、人間が将棋ソフトに勝てなくなることを見越して、いっそ棋士がコンピュータを使ってもいいようにしてはどうか、という話だ。これはおもしろい。

いまの棋士は、将棋盤の前で腕組みして考えているが、コンピュータを使うようになれば、この光景も変わりそうだ。それぞれの棋士がノートPCを持ち、カチャカチャやりながら考えるようになるのかもしれない。

こうなれば、テレビの将棋解説も変わりそうだ。いまは、棋士が腕組みして考えている姿を映したりしているが、棋士がコンピュータを使うようになれば、そのコンピュータの画面を映すようになるかもしれない。というか、映したほうがおもしろそうだ。その画面で、対局相手の昔の棋譜を調べていたりすると、おもしろい。2ちゃんねるの実況板を見たりして、対局中に「ここで7五歩かなと思うんだけど、みんなどう思う?」とか、書き込むかもしれない。しかしこれだと、ネット経由で相手棋士の画面内容が伝わりそうなので、やっぱりダメかも。

<将棋ソフトに人間(棋士)の個性を加えたり、あるいは人間が将棋ソフトを使いながら将棋を指したりするスタイルは、将棋の教育にも使えるのではないか。たとえば、オンラインの道場を作り、先生側が生徒のレベルや個性にチューニングしたプログラムを使って、ときどき人間の指し手を交えながら生徒の相手をし、トレーニングと共に棋力認定を行う、といったサービスが考えられる。将棋ソフトを効果的に使うと、教える側の人数が少なくても、多くの生徒の相手ができるはずだ>。

<また、プログラムを相手に将棋を指したとしても、後の講評を人間(レッスンプロ)が、スカイプのようなサービスを通して動画と肉声でやってくれるなら、かなりプレミアム感のある(つまり、お金を取ることができる)サービスになりそうだ。講評する際にも将棋ソフトが役に立つことは間違いないが、内容、声、言葉、映像などで生身の人間を「混ぜる」と、一段と良いサービスになるのではないか>。

<あれこれ考えてみたが、コンピューター・プログラムやネットを積極的に使った将棋の競技、教育、オンラインも含めたゲームなどには、面白い可能性が十分にありそうに思う。ビジネス主体としての将棋連盟は、この分野の研究・開発に投資すべきではないだろうか>。

プロの対局を見せる興行的なビジネスだけでなく、ネットを使った教育サービスのような切り口など、たしかにいろいろありそうだ。

将棋はコンピュータ・ネットとも相性がよく、ライセンスなどもないので、いくらでもビジネスの余地がありそうだ。将棋連盟でなくても、誰にでも将棋ビジネスのチャンスは開かれている。日本を代表する古典的ゲームとして、世界に普及していく余地もまだまだ大きそうだ。


関連:
ウィキペディア - 将棋
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%86%E6%A3%8B

関連エントリ:
クリエイティヴなロジック - 将棋ソフトとMemeorandum
http://mojix.org/2005/10/24/204124