2012.11.12
ネオアコとは何か
昨日の「フールズメイトの思い出」では、私が音楽ライターをやっていた頃の話を書いたが、この頃いつも気になっていたことのひとつに、自分が好きなネオアコ、ギターポップ系の音をどう呼ぶか、という問題があった。

ウィキペディアの「ネオアコ」には、こう書かれている。

<ネオアコとは、ポスト・パンクの流れから派生した音楽ジャンル/スタイルのひとつ。ネオ・アコースティック (neo acoustic) の略称。なおネオアコ(ネオ・アコースティックも含む)と言う言葉自体は和製英語であり、欧米では通用しない言葉である>。

<1980年代初頭、イギリスのチェリー・レッド、ラフ・トレード、ポストカード、ベルギーのクレプスキュールといったレーベルから、「パンク以降」を感じさせる新しい感覚のアコースティック・サウンドを奏でるアーティストが登場した。「ネオ・アコースティック」という呼称は、これらのアーティストまたはムーブメントに対して、日本の評論家やレコード会社が名付けたのが始まりとされる。当時は「ポストモダーン」とも呼ばれていた>。

<1980年代半ば頃まで、ネオアコはイギリスおよび日本のリスナーに一定の人気を保ち、特に1983年から1985年にかけてはファンから後に名盤と呼ばれることになるアルバムが次々と発表されるが、当時の日本においてネオアコのファンはあくまで一部の洋楽リスナーに限定されていたと言っていいだろう。1980年代半ば以降は、アーティストの音楽性が洗練されていった影響もあり、この動きは一時下火となっていた>。

<1989年、日本でネオアコから多大な音楽的影響を受けたフリッパーズ・ギターがメジャー・デビューしTVドラマの主題歌に使われた「恋とマシンガン」ブレイクを果たすと、その後彼らが影響を受けたネオアコのアーティスト達を様々な媒体で紹介した事や、また彼らが導火線となったとされる渋谷系の勃興も相まって、1990年代初頭にネオアコの人気が盛り上がり、多くの新しいファンを獲得した>。

<音楽的には、バーズをはじめとする1960年代アメリカのフォーク・ロックや、ソウル、ジャズ、映画音楽等の影響を受け、アコースティック楽器を中心とした、いわば「おしゃれ」で透明感のある瑞々しいサウンドを特徴とする>。

この解説はとてもよく書けていて、的確だと思う。一般向けにはこれで十分だろう。しかし、年季の入ったネオアコ・ファンがこの解説を読んだら、いろいろ議論が出るのではないか。

私の場合、ネオアコというのはあくまでもニューウェイヴのひとつである、という見方をしている。ニューウェイヴというのもあいまいな概念で、幅広いものを含むが、それは「1970年代後半から80年代前半くらいまでの、ポスト・パンク的なあたらしい音楽を総称するもの」といった辺りが、おおむね確立された見方だと思う(ウィキペディアの解説「ニュー・ウェーヴ (音楽)」も参照)。

ネオアコはニューウェイヴのひとつである、という見方を採るならば、ネオアコも1980年代前半まで、ということになる。これが私の見方であり、ネオアコとはおおむね、1980年から1985年までのムーヴメントだと私は考えている。

具体的には、Young Marble Giantsの『Colossal Youth』(1980年)がネオアコの始まりだと私は見なしている。この見方は、たしかフールズメイト誌上で伊藤英嗣さんが提示していたのが最初だったと思う。Young Marble Giantsはスカスカな音と、アリソン・スタットンのヴォーカルがネオアコっぽいが、1980年ということもあり、まだ典型的なネオアコというよりも、ニューウェイヴ的な実験性が強い。

その後、ネオアコは黄金期を迎える。ウィキペディアの「ネオアコ」にも出ている、アズテック・カメラオレンジ・ジュースペイル・ファウンテンズフェルトエヴリシング・バット・ザ・ガールゴー・ビトウィーンズなどの初期作は、まぎれもないネオアコだろう。スミスモノクローム・セットあたりはやや音楽性が異なるが、おおむねネオアコとされている。ここに出ていないものでは、プリファブ・スプラウトヘアカット100、エヴリシング・バット・ザ・ガールのトレイシー・ソーンベン・ワットそれぞれのソロや、トレイシー・ソーンが加入していたマリン・ガールズなども代表的なネオアコであり、傑作揃いである。ヘアカット100のニック・ヘイワードがソロになって出した第1作『風のミラクル(North of a Miracle)』(1983年)は、ヘアカット100に比べると典型的なネオアコ・サウンドではないが、名盤である(ちなみに、私が初めて買った洋楽のアルバムがこれ)。他にも、ファンカラティーナ系ではウィークエンド(Young Marble Giantsのアリソン・スタットン参加)やディスロケーション・ダンス、エレポップ系ではアンテナ初期、チャイナ・クライシス初期なども、ネオアコに入れてよさそうだ。

では、ネオアコの終わりはどこだろうか。これはあまり定説がなく、私の見方に過ぎないのだが、私はザ・スミスの『クイーン・イズ・デッド』(1986年)あたりが、ネオアコの終わりだと見なしている。ザ・スミスはもともと、あまりネオアコっぽくない存在だが、それでも2作目『ミート・イズ・マーダー』(1985年)までは、ネオアコに入れてもおかしくない音だと思う。しかし3作目の『クイーン・イズ・デッド』(1986年)は、完成度としては最高であると同時に、ニューウェイヴ的な手作り感や粗い手ざわりが消滅していて、「ニューウェイヴは終わった」と感じる作品だ。ここでニューウェイヴが終わったのであれば、ネオアコもここで終わり、というのが私の見方である。

あるいは、アズテック・カメラの3作目『Love』(1987年)などは、より明確に「ネオアコの終わり」を示しているかもしれない。アズテック・カメラの最初の2作、『High Land, Hard Rain』(1983年)と『Knife』(1984年)は、まぎれもないネオアコの傑作であり、ネオアコを代表する作品だろう。しかし、3作目の『Love』ではソウル寄りの音に大きく変貌し、ファンを驚かせた。当時ピュアなネオアコ・ファンだった私も、これにはショックを受けた(少しあとになって、この作品の良さがわかったのだが)。

レーベルでいうと、1980年代前半のネオアコを代表するのはラフトレードチェリーレッドだろう。これが1980年代後半になると、クリエイションエルが浮上して、世代交代したような格好になる。クリエイションとエルは方向性が異なり、クリエイションはよりロック的なギターポップで、エルはポップス志向だが、どちらもニューウェイヴ的な時代感がもはやなく、それぞれの趣味の世界を構築している。この1980年代後半のUKロックシーンというのは、80年代前半までのニューウェイヴと、80年代末のマンチェスター・ムーヴメント、インディー・ダンスなどにはさまれた中間地帯という感じで、大きなムーヴメントがないぶん、独自の世界を発展させるには良かったのかもしれない。

この1980年代後半の、クリエイションやエルのような音をどう呼ぶか。一般向けには「ネオアコ」でいいだろうし、私自身もしばしばそう呼ぶのだが、このあたりの80年代後半の音は「ネオアコ」ではない、と私は思っている。この頃の手作りっぽいギターポップは「アノラック系」などと呼ばれたりもするが、パステルズとかタルーラ・ゴッシュみたいな音ならピッタリだと思うけれども、クリエイションやエルなどは「アノラック系」とはちょっと違う。それで、当時の私は「ネオポップ」という呼び名を提唱したのだが、これはまったく普及しなかった(ちなみに「ネオポップ」というのは、たしか『MIX』で椹木野衣さんが美術動向の呼び名として使っていたもの)。

名前というのは、何かを指し、自分の言いたいことを伝えるために使う。だから、意味の広すぎる名前よりも、自分が意味するものをより正確に指す、より細かい名前を使いたいと思うものだ。しかし、まったく普及していない名前を使っても、誰もそれを理解できない。よって、いくらか不正確ではあっても、あるていど普及していて、おおむね意味のわかる名前を使うしかない。私にとって「ネオアコ」というのは、そういうジレンマをもたらす名前でありつづけてきた。あまり正確ではないのだが、大まかには意味が伝わる。大まかには意味が伝わるのだが、あまり正確ではない。これが悩ましい。

私の場合は、このように「ネオアコ」に悩まされてきたわけだが、例えばメタルなどでもこの問題があるようで、ウィキペディアの「ヘヴィメタル」を見ると、ジャンルの細分化がとんでもないことになっている。「ヘヴィメタルのサブジャンル」には、メタルの分類が30種類以上も列挙されていて、私にはさっぱりわからない。エスキモーには「雪」にあたる語彙が何十種類もある、という話を聞いたことがあるが、それと似ている。

こういう、一般人にはさっぱりわからない細かい分類があったり、それで議論が起きるというのは、その音楽がそれだけ愛されている証拠だろう。私がネオアコやニューウェイヴを分類したり、その時代確定にこだわったりするのは、やはりネオアコやニューウェイヴが好きだからなのだ。


関連エントリ:
フールズメイトの思い出
http://mojix.org/2012/11/11/foolsmate-omoide