周期表の前史に、怪しげな「数秘学」があった シャンクルトワ「地のらせん」
ウィキペディアの「周期表」に、「先駆的な周期律の考察」という項があり、これがおもしろい。
いまの私たちが知っている周期表の原型は、1869年、ロシアの化学者ドミトリ・メンデレーエフが発表したとのこと。
いまの周期表(むかしは「水兵リーベ僕の船」と覚えさせられた)
これに先んじる1862年、フランスの鉱物学者ベギエ・ド・シャンクルトワが「地のらせん」という説を発表したらしい。
<1862年にフランスの鉱物学者ベギエ・ド・シャンクルトワが「地のらせん」という説を発表し、円筒状の紙に元素を螺旋型に並べると垂直方向に性質が近似した元素が並ぶと唱えた。しかし彼は数学における錬金術的な「数秘学」という方法でこれを説明し、的確な図を添付しなかったために他の科学者には理解されなかった>。
ベギエ・ド・シャンクルトワの「地のらせん」概略図
「数秘学」的な説明で、怪しげな説ではあったが、けっこう当たっていたわけだ。
この「地のらせん」の図は、じつによくできていると思う。円筒の上に「らせん」を描くことで、性質の似た「族」が周期的にあらわれることを、視覚的に表現している。いまの標準的な周期表よりも、むしろわかりやすい面すらある。
このベギエ・ド・シャンクルトワはわりとマトモな人のようだが、むかしの科学者というのは、いまのわたしたちがイメージする科学者よりも、もっと怪しい(?)人種だったらしい。「錬金術」も、いまから見ればオカルト的な感じだが、むかしは科学との境界があいまいで、科学を生む母体になったとすら言えるようだ。
シャンクルトワの「地のらせん」は、同じようなものが一定の周期であらわれる、ということで、いかにもオカルト好みというか、「数秘学」的な感じがする。その怪しげな直感が、周期表という真に偉大な科学的発見につながったわけで、なんとも魅力的なエピソードだと思う。
関連エントリ:
TO図 中世ヨーロッパの世界地図
http://mojix.org/2009/11/08/t_o_map
いまの私たちが知っている周期表の原型は、1869年、ロシアの化学者ドミトリ・メンデレーエフが発表したとのこと。
いまの周期表(むかしは「水兵リーベ僕の船」と覚えさせられた)
これに先んじる1862年、フランスの鉱物学者ベギエ・ド・シャンクルトワが「地のらせん」という説を発表したらしい。
<1862年にフランスの鉱物学者ベギエ・ド・シャンクルトワが「地のらせん」という説を発表し、円筒状の紙に元素を螺旋型に並べると垂直方向に性質が近似した元素が並ぶと唱えた。しかし彼は数学における錬金術的な「数秘学」という方法でこれを説明し、的確な図を添付しなかったために他の科学者には理解されなかった>。
ベギエ・ド・シャンクルトワの「地のらせん」概略図
「数秘学」的な説明で、怪しげな説ではあったが、けっこう当たっていたわけだ。
この「地のらせん」の図は、じつによくできていると思う。円筒の上に「らせん」を描くことで、性質の似た「族」が周期的にあらわれることを、視覚的に表現している。いまの標準的な周期表よりも、むしろわかりやすい面すらある。
このベギエ・ド・シャンクルトワはわりとマトモな人のようだが、むかしの科学者というのは、いまのわたしたちがイメージする科学者よりも、もっと怪しい(?)人種だったらしい。「錬金術」も、いまから見ればオカルト的な感じだが、むかしは科学との境界があいまいで、科学を生む母体になったとすら言えるようだ。
シャンクルトワの「地のらせん」は、同じようなものが一定の周期であらわれる、ということで、いかにもオカルト好みというか、「数秘学」的な感じがする。その怪しげな直感が、周期表という真に偉大な科学的発見につながったわけで、なんとも魅力的なエピソードだと思う。
関連エントリ:
TO図 中世ヨーロッパの世界地図
http://mojix.org/2009/11/08/t_o_map