リスクテイカー・変革者を評価する文化 / もっとクレイジーに
CNET Japan : 江島健太郎 / Kenn's Clairvoyance
化学業界のeビジネス化に向けたCEDIの取り組み
http://blog.japan.cnet.com/kenn/archives/001292.html
日記風のスタイルに移行してからひさびさの、江島流ハードスタイルじゃないだろうか。
化学業界のEDIを推進するCEDIという団体での講演の補足ということだが、どの業界でも通用する話で、とても面白い。
目先の利益でなく、長期的スタンスに立ったバリューチェーン戦略のためには、個々の人間の勇気ある動きが大事だ、というのが大筋だが、そこにこんな一節がある。
<ソファに横になってテレビを見ながら小泉首相の悪口は言えても、自分の会社で自分は何をやっているだろう?「頭では判っている」と「行動をおこす」の間に横たわる果てしない闇を渡り切るにはどれほどの勇気が必要か、構造改革の当事者になるというのがどんなに大変なことか、本当に理解しているだろうか?>
悪口を言ったり、冷たい評価をして自分のほうが賢いつもりになり、何も行動しないというのは実にカンタンだ。
以前の私がそうだった。「わかる」だけで終わりだと思っていた。「わかる」と「やる」の間にどれくらい開きがあるのか、わかっていなかった。
いまでも十分わかっているとは言えないが、人をマネジメントする立場になり、会社やユーザ会などを「やる」立場になって初めて、「わかる」と「やる」の距離をそれなりに実感できるようになった。
私自身は大企業に属したことはないが、最近は仕事で大企業・大組織の方々と仕事する機会も増えてきた。大企業では、みずから進んでリスクをとって変革を起こすというのは、なかなか難しいらしい。(私と直接いっしょに仕事している方々は、その中では変革志向の人たちのようだ。そうでなければ、私やZopeに注目することもないだろう)
会社にしろ、社会にしろ、みずからリスクをとってでも変革しようとするリスクテイカーがそこから出るかどうかは、それを評価する「文化」があるかどうかで決まる。
日本では大企業だけでなく、社会全体が減点主義・辛口であり、高みの見物・悪口主義的なところがある。上記の記事でも、江島さんは<『評価基準』と『ディスクロージャ基準』の見直しが最大のキー>と書いているが、まさに「評価基準」が問題だ。
「京ぽん」に関連して、DDIやイー・アクセスを創業した千本倖生(せんもと・さちお)氏のインタビューを見つけた。
日経Bizキャリア:ビジネスパーソン半生期 千本倖生氏
http://bizcareer.nikkei.co.jp/contents/skillup/0403bpn_senmoto/index.asp
この中に、次のようなエピソードが紹介されている。
<転機になったのはフルブライトの留学生として米国で生活したことだ。同室に起居していた学友がある日、聞いた。「お前は日本で何をしているのか」。そこで千本は得意になって答えた。「日本の通信事業を独占している大企業に勤めている」。これはロースクールに通う学友をもうらやましがらせる名誉ある回答だと信じて疑わなかった。ところが、アングロサクソン系のこの紳士的で温和な学友は、この答えを聞くと千本のことを軽蔑した目でながめ、彼などが口にするはずのない下品な言葉で千本を非難した。「政府の庇護の下にある独占企業にいるなんて、なんと駄目な男なんだ。リスクをとって、小さな企業に飛び込み、それを発展させることこそ、取るべき道ではないか」と。
頭をハンマーで殴られたような思いだった。驚天動地(きょうてんどうち)である。大きいことが良いことで、そういう企業に勤めることが立派なことだと信じていたのに、「独占企業に勤めていることは社会の悪だ」と言い放たれた。それまでは、大蔵官僚をはじめとした霞ヶ関や日本を代表する大企業が日本を引っ張り、そこで働くことこそ生きがいだと感じていた。その価値観が根こそぎひっくり返されたのである。この衝撃が千本の心に深い痕跡を残した。>
千本氏はこの学友から、まさに「リスクテイカー・変革者を評価する文化」を吹き込まれて、<自分の人生を自分のリスクで、自分の描いたように生きる道を切り開いた>のだ。そしてそれは千本氏自身の人生だけでなく、日本の通信業界をも変革した。
江島さんは上記の記事の末尾を、<日本企業の栄華の再来を願って>としめくくっており、まさにこの話が化学業界に留まらず、日本復活のキーであることを示唆している。
いまの日本には、構造改革そのものも必要だが、構造改革やリスクテイク、変革を評価するような価値観・文化レベルでの改革がいっそう必要ではないだろうか。改革が根づき、ひろがるような「土壌」作りだ。
真の「構造改革」の担い手は、小泉首相ではなく、わたしたちひとりひとりだ。高みの見物ではなく、自分自身がリスクをとって行動できるか。
例えば「「就活」中の学生へ」で採り上げた、一流企業・有名企業を望むような親が、千本氏の学友のように「リスクをとって、小さな企業に飛び込み、それを発展させることこそ、取るべき道ではないか」と言えるようになる必要がある。
そして学生の側も、一流企業によろこんで入るのではなく、一流企業を蹴ってでも、自分のやりたい道に突き進むようなビジョンがなければいけない。ソニーやホンダ、アップルやマイクロソフトに入りたいと願うのではなく、そういう会社を自分で作りたいと思うくらいの若者が、もっともっと必要だ。
ひとことで言えば、日本に足りないのは「クレイジーさ」じゃないかな。やっぱり、トム・ピーターズが必要だ。
化学業界のeビジネス化に向けたCEDIの取り組み
http://blog.japan.cnet.com/kenn/archives/001292.html
日記風のスタイルに移行してからひさびさの、江島流ハードスタイルじゃないだろうか。
化学業界のEDIを推進するCEDIという団体での講演の補足ということだが、どの業界でも通用する話で、とても面白い。
目先の利益でなく、長期的スタンスに立ったバリューチェーン戦略のためには、個々の人間の勇気ある動きが大事だ、というのが大筋だが、そこにこんな一節がある。
<ソファに横になってテレビを見ながら小泉首相の悪口は言えても、自分の会社で自分は何をやっているだろう?「頭では判っている」と「行動をおこす」の間に横たわる果てしない闇を渡り切るにはどれほどの勇気が必要か、構造改革の当事者になるというのがどんなに大変なことか、本当に理解しているだろうか?>
悪口を言ったり、冷たい評価をして自分のほうが賢いつもりになり、何も行動しないというのは実にカンタンだ。
以前の私がそうだった。「わかる」だけで終わりだと思っていた。「わかる」と「やる」の間にどれくらい開きがあるのか、わかっていなかった。
いまでも十分わかっているとは言えないが、人をマネジメントする立場になり、会社やユーザ会などを「やる」立場になって初めて、「わかる」と「やる」の距離をそれなりに実感できるようになった。
私自身は大企業に属したことはないが、最近は仕事で大企業・大組織の方々と仕事する機会も増えてきた。大企業では、みずから進んでリスクをとって変革を起こすというのは、なかなか難しいらしい。(私と直接いっしょに仕事している方々は、その中では変革志向の人たちのようだ。そうでなければ、私やZopeに注目することもないだろう)
会社にしろ、社会にしろ、みずからリスクをとってでも変革しようとするリスクテイカーがそこから出るかどうかは、それを評価する「文化」があるかどうかで決まる。
日本では大企業だけでなく、社会全体が減点主義・辛口であり、高みの見物・悪口主義的なところがある。上記の記事でも、江島さんは<『評価基準』と『ディスクロージャ基準』の見直しが最大のキー>と書いているが、まさに「評価基準」が問題だ。
「京ぽん」に関連して、DDIやイー・アクセスを創業した千本倖生(せんもと・さちお)氏のインタビューを見つけた。
日経Bizキャリア:ビジネスパーソン半生期 千本倖生氏
http://bizcareer.nikkei.co.jp/contents/skillup/0403bpn_senmoto/index.asp
この中に、次のようなエピソードが紹介されている。
<転機になったのはフルブライトの留学生として米国で生活したことだ。同室に起居していた学友がある日、聞いた。「お前は日本で何をしているのか」。そこで千本は得意になって答えた。「日本の通信事業を独占している大企業に勤めている」。これはロースクールに通う学友をもうらやましがらせる名誉ある回答だと信じて疑わなかった。ところが、アングロサクソン系のこの紳士的で温和な学友は、この答えを聞くと千本のことを軽蔑した目でながめ、彼などが口にするはずのない下品な言葉で千本を非難した。「政府の庇護の下にある独占企業にいるなんて、なんと駄目な男なんだ。リスクをとって、小さな企業に飛び込み、それを発展させることこそ、取るべき道ではないか」と。
頭をハンマーで殴られたような思いだった。驚天動地(きょうてんどうち)である。大きいことが良いことで、そういう企業に勤めることが立派なことだと信じていたのに、「独占企業に勤めていることは社会の悪だ」と言い放たれた。それまでは、大蔵官僚をはじめとした霞ヶ関や日本を代表する大企業が日本を引っ張り、そこで働くことこそ生きがいだと感じていた。その価値観が根こそぎひっくり返されたのである。この衝撃が千本の心に深い痕跡を残した。>
千本氏はこの学友から、まさに「リスクテイカー・変革者を評価する文化」を吹き込まれて、<自分の人生を自分のリスクで、自分の描いたように生きる道を切り開いた>のだ。そしてそれは千本氏自身の人生だけでなく、日本の通信業界をも変革した。
江島さんは上記の記事の末尾を、<日本企業の栄華の再来を願って>としめくくっており、まさにこの話が化学業界に留まらず、日本復活のキーであることを示唆している。
いまの日本には、構造改革そのものも必要だが、構造改革やリスクテイク、変革を評価するような価値観・文化レベルでの改革がいっそう必要ではないだろうか。改革が根づき、ひろがるような「土壌」作りだ。
真の「構造改革」の担い手は、小泉首相ではなく、わたしたちひとりひとりだ。高みの見物ではなく、自分自身がリスクをとって行動できるか。
例えば「「就活」中の学生へ」で採り上げた、一流企業・有名企業を望むような親が、千本氏の学友のように「リスクをとって、小さな企業に飛び込み、それを発展させることこそ、取るべき道ではないか」と言えるようになる必要がある。
そして学生の側も、一流企業によろこんで入るのではなく、一流企業を蹴ってでも、自分のやりたい道に突き進むようなビジョンがなければいけない。ソニーやホンダ、アップルやマイクロソフトに入りたいと願うのではなく、そういう会社を自分で作りたいと思うくらいの若者が、もっともっと必要だ。
ひとことで言えば、日本に足りないのは「クレイジーさ」じゃないかな。やっぱり、トム・ピーターズが必要だ。