価格はすでに競争力の要因にはならない気がする
世の中で売っているモノやサービスの価格は、どのように決まっているのだろうか。
価格というものは、「需要と供給が一致するところで決まる」というのが、
経済学のセオリーだろうと私は考えていた。
しかしあらためて考えてみれば、これは長期的に価格が決定していくメカニズムにはなりえても、
まず売り手が最初に価格をつけるときの「心理的根拠」にはならないように思う。
売り手が最初に価格をつけるときの根拠は、おもに次の3つくらいがありそうだ。
1 要するコストにいくらか利益を上乗せした値づけ
2 売り手が「これはこのくらい価値があるだろう」という値づけ
3 大体の相場による値づけ
そして、このどれかの方法で値づけし、じっさいに市場に投入すれば、
それが飛ぶように売れたり、まったく売れなかったりする。
その売れ行きを見て、価格が高すぎると思った場合は、調整するかもしれない。
市場で売れるか、売れないかというのは「需要」の量だから、いわば「人気度」だ。
この需要、人気度が、価格によって左右される部分はもちろんあるだろう。
需給のバランスが価格を決める、という考え方がまさにこれだ。
売り手が最初に上記のような動機でなんらかの価格を決めたとしても、
その後の売れ行き、すなわち「需要と供給のバランス」によって、価格は自然に決まっていく、という考え方だろう。
しかし現実には、安くても売れないものは売れないし、高くても売れるものは売れる。
こうなると、売れるかどうかは価格というよりも、価格以外のところでほぼ決まっているように思える。
特に、最近はこの傾向が顕著になってきたと思うのだ。
もちろん、安いことを重視する層はいる。しかし、品質やブランドを重視する層もいる。
またその「層」にしても、必ずしも絶対的な「階級」のような意味でもない。
洋服にはすごく金をかける一方で、カップラーメンばかり食べている、といった人がいるように、
同一人物であっても、興味の方向によってこだわり度が違うということはよくある。
いまはむしろ、ほとんどの人はそういう感じではないだろうか。
基本的にはお金がないと自覚している人でも、自分がこだわる分野には金をかけているものだと思う。
このような傾向が進んだ社会では、価格はすでに競争力の要因にはならない気がする。
もし低価格競争でトップに立てば、安いことを重視する層は取り込めるだろう。
しかし、安いことを重視する層は、「安いから」買っているだけで、そのブランド自体にはあまり興味がない。
低価格競争でトップに立ちつづけない限り、その層を引きつけることはできない。
さらに、単純に低価格であれば売れるということで、この市場にはディスカウンター(安売り屋)の参入が相次ぐ。
世界レベルで安い労働資源を調達し、安売りを激化させる。
しかし、労働資源も、製造資源も、いつコストが上がるかわからない。
こんな市場で「勝ちつづける」のは至難のわざであり、かつ苦しい戦いが永遠に続く。
いま「売れる」かどうかを決めている要因は、決して価格ではなく、
とにかく品質と、マーケティングだと思う。
まずいいものであること(品質)、そしてそれを知ってもらうこと(マーケティング)。
この2つがあれば、よほど高い価格ではない限り売れるし、場合によっては高い価格でも売れるのではないか。
むしろ、高い価格でも売れるということは、買い手が値段ではなく「ブランド」で決めているということだから、
一時的な売上げだけではない、さらに長期的な売上げにもつながる。
このような信頼の獲得こそ、真の「勝ち」と言えると思う。
このことに気づかず、価格や安売りのほうに意識の中心がいくと、
どこかで品質を犠牲にすることになり、壊滅的な結果をもたらす。
どんなに安くても、欠陥品を欲しい人はどこにもいない。
安いこと、それ自体はあまり意味がない。
むしろ最近は、「安いこと」は品質に対する疑いの要因になる。
まともにやっている限り、何であっても、そんなに安くはできないものだと思う。
売れるかどうかを決めるのは、いつも消費者である。
売れなければ、企業は考えをあらためる。
「安いもの」はいらない、という態度を消費者が見せなければ、
企業は永遠に安売り商品を、「安物」を作りつづけるだろう。
安いものをたくさん消費するのではなく、いいものを少し消費するようにしたほうが、
すべてがうまくいくのではないだろうか。
価格というものは、「需要と供給が一致するところで決まる」というのが、
経済学のセオリーだろうと私は考えていた。
しかしあらためて考えてみれば、これは長期的に価格が決定していくメカニズムにはなりえても、
まず売り手が最初に価格をつけるときの「心理的根拠」にはならないように思う。
売り手が最初に価格をつけるときの根拠は、おもに次の3つくらいがありそうだ。
1 要するコストにいくらか利益を上乗せした値づけ
2 売り手が「これはこのくらい価値があるだろう」という値づけ
3 大体の相場による値づけ
そして、このどれかの方法で値づけし、じっさいに市場に投入すれば、
それが飛ぶように売れたり、まったく売れなかったりする。
その売れ行きを見て、価格が高すぎると思った場合は、調整するかもしれない。
市場で売れるか、売れないかというのは「需要」の量だから、いわば「人気度」だ。
この需要、人気度が、価格によって左右される部分はもちろんあるだろう。
需給のバランスが価格を決める、という考え方がまさにこれだ。
売り手が最初に上記のような動機でなんらかの価格を決めたとしても、
その後の売れ行き、すなわち「需要と供給のバランス」によって、価格は自然に決まっていく、という考え方だろう。
しかし現実には、安くても売れないものは売れないし、高くても売れるものは売れる。
こうなると、売れるかどうかは価格というよりも、価格以外のところでほぼ決まっているように思える。
特に、最近はこの傾向が顕著になってきたと思うのだ。
もちろん、安いことを重視する層はいる。しかし、品質やブランドを重視する層もいる。
またその「層」にしても、必ずしも絶対的な「階級」のような意味でもない。
洋服にはすごく金をかける一方で、カップラーメンばかり食べている、といった人がいるように、
同一人物であっても、興味の方向によってこだわり度が違うということはよくある。
いまはむしろ、ほとんどの人はそういう感じではないだろうか。
基本的にはお金がないと自覚している人でも、自分がこだわる分野には金をかけているものだと思う。
このような傾向が進んだ社会では、価格はすでに競争力の要因にはならない気がする。
もし低価格競争でトップに立てば、安いことを重視する層は取り込めるだろう。
しかし、安いことを重視する層は、「安いから」買っているだけで、そのブランド自体にはあまり興味がない。
低価格競争でトップに立ちつづけない限り、その層を引きつけることはできない。
さらに、単純に低価格であれば売れるということで、この市場にはディスカウンター(安売り屋)の参入が相次ぐ。
世界レベルで安い労働資源を調達し、安売りを激化させる。
しかし、労働資源も、製造資源も、いつコストが上がるかわからない。
こんな市場で「勝ちつづける」のは至難のわざであり、かつ苦しい戦いが永遠に続く。
いま「売れる」かどうかを決めている要因は、決して価格ではなく、
とにかく品質と、マーケティングだと思う。
まずいいものであること(品質)、そしてそれを知ってもらうこと(マーケティング)。
この2つがあれば、よほど高い価格ではない限り売れるし、場合によっては高い価格でも売れるのではないか。
むしろ、高い価格でも売れるということは、買い手が値段ではなく「ブランド」で決めているということだから、
一時的な売上げだけではない、さらに長期的な売上げにもつながる。
このような信頼の獲得こそ、真の「勝ち」と言えると思う。
このことに気づかず、価格や安売りのほうに意識の中心がいくと、
どこかで品質を犠牲にすることになり、壊滅的な結果をもたらす。
どんなに安くても、欠陥品を欲しい人はどこにもいない。
安いこと、それ自体はあまり意味がない。
むしろ最近は、「安いこと」は品質に対する疑いの要因になる。
まともにやっている限り、何であっても、そんなに安くはできないものだと思う。
売れるかどうかを決めるのは、いつも消費者である。
売れなければ、企業は考えをあらためる。
「安いもの」はいらない、という態度を消費者が見せなければ、
企業は永遠に安売り商品を、「安物」を作りつづけるだろう。
安いものをたくさん消費するのではなく、いいものを少し消費するようにしたほうが、
すべてがうまくいくのではないだろうか。