2008.03.16
予備校文化
ウィキペディアに「予備校文化」という面白いページがある。

ウィキペディア - 予備校文化
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%88%E5%82%99%E6%A0%A1%E6%96%87%E5%8C%96

<予備校文化(よびこうぶんか)とは、日本特有の若者文化(ユース・カルチャー)の一種であり、大学受験予備校に通う生徒(特に浪人生)の間に生まれるものを指す。また、大手予備校においては、著名講師・名物講師が多く出講していることから、学校文化としての側面も強い。往年の駿台予備学校のアカデミズムや、代々木ゼミナールや東進ハイスクールのマスプロ指向・タレント指向などが、顕著な例である>。

私が高3・浪人時代(1986-87年)にお世話になった先生の名前がたくさんあり、なつかしさで胸がいっぱいになる。
かつて受験オタクだった私は、まさにこの「予備校文化」のなかで生きていたのだ。

私が初めて「予備校文化」の洗礼を受けたのは、高2の冬に行った、札幌の代ゼミ(代々木ゼミナール)の冬期講習だった(当時の私は旭川在住で、札幌の冬期講習に通うにはホテル滞在になるため、それなりにお金がかかった)。そこで中村稔という超・個性的な英語講師に出会った。(上の「予備校文化」にもあるが)ちょっとミック・ジャガーのような容姿、ダミ声でひどい発音、そして「辞典学習」と称し、辞書に蛍光ペンを引きながら読むといった奇妙な講義なのだが、不思議に引き込まれるものがあった。

そして高3の冬には東京に滞在して、代々木の代ゼミに通った。ここで大西憲昇(化学)、山本矩一郎、安田亨(いずれも数学)、堀木博礼(現代文)などの有名講師の授業を受け、またその教室のホットな雰囲気にも感化されて、私は「予備校文化」を体で感じた。

浪人時から上京して、御茶ノ水の駿台に1年間通った。ここでも、以前も書いたことがある秋山仁長岡亮介(いずれも数学)、『英文解釈教室』で有名な伊藤和夫(英語)、坂間勇山本義隆(いずれも物理)といった有名講師の授業を多数受けることができた。

当時は駿台・代ゼミ・河合塾が「3大予備校」で、「生徒の駿台、講師の代ゼミ、机の河合塾」と言われていた(生徒の質なら駿台、講師の質なら代ゼミ、机など受講環境なら河合塾、の意味。私は河合塾だけは行ったことがないが、たしかに駿台も代ゼミも机は狭かった)。

いま考えると、私が予備校に通っていたその頃(1986-87年)あたりが、日本の予備校産業の絶頂期だったのではないかと思う。それを支えた個性的な予備校講師たちと、それに熱狂した生徒たちが作り出した「空気」が、予備校文化だった。

あれから20年。予備校で学んだことはみな忘れてしまったが、通った代ゼミや駿台の雰囲気、先生がたの顔は、いまでも覚えている。

私が「予備校文化」から得たものは、「楽しく学ぶ」姿勢だったと思う。

関連エントリ:
なぜ学校より塾や予備校が優秀なのか
http://mojix.org/2005/10/08/090449