山崎養世によるバランスのとれた日本評
山崎養世の「東奔西走」 - 世界経済悲観論に踊るなかれ “バーナンキ暴落”は終わり、株は上昇を開始する
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20080324/151011/
<経済の実態を冷静に観察すれば、悲観論が過大であり、世界恐慌もスタグフレーションも起きていないことは明白です。
ところが、日本のメディアはしきりに不安を煽り立てます。そればかりではありません。外国の偉い経済学者の先生たちの多くも大悲観派です。
ノーベル経済学者のスティグリッツ教授によれば、米国経済は戦前の大恐慌以来のひどい状態になるそうです。ハーバード大学のフェルドシュタイン教授によれば、戦後最悪の不況に突入するそうです。
そんな中で今年1月末、当コラムで「バーナンキ暴落は終わりに向かう」などと書いた筆者は全くの少数派です。それでもあえて言わざるを得ません。米国株式のバーナンキ暴落は収束に向かい、世界経済は緩やかな成長軌道に戻るでしょう。そして、世界の株式市場は上昇に転ずるでしょう。
もちろん、米国の不動産の低迷は今後2~3年は続くでしょう。経済もゼロ成長になるかもしれません。欧州でも、不動産と金融機関の経営は悪化するでしょう。
しかし、そうした悪化を既に織り込んでここまで下げた株式市場は、今年にも上昇を開始する可能性が大いにあります。過度な悲観に踊らされたら、方向を誤るでしょう>。
ちょうどBryan Caplanの「悲観バイアス」を知ったというのもあってか、この見方にはピンと来るものがあった。
著者の山崎養世(やまざき・やすよ)氏については、名前だけは聞いたことがあったが、どんな人か知らなかった。ウィキペディアの解説やプロフィールによると、ゴールドマン・サックスのパートナーなどを経て、2002年には徳島県知事選に出馬、現在は金融、財政、国際経済問題等に関する調査・研究及び提言活動を行っているとのこと。
これは面白い。まるでルービンやポールソンみたいなキャリアだ。私は投資家こそ世界がよく見えており、政治家向きだと思っているので、こういうキャリアの人は基本的に信用できる。
そして山崎養世のBLOGに、次のすばらしいエントリを見つけた。
山崎養世のBLOG - “職人力”こそ日本の強さ
http://blog.livedoor.jp/zackyamazaki/archives/51920918.html
<日本の人材が強い分野は、手で触れるもの、目に見えるもの、現場で分かるものです。全体よりも部分を重んじ、大宮殿より3畳の茶室、長歌よりも俳句、盆景よりも盆栽、を発達させてきた、われわれ日本人の深いところにあるにある特質なのでしょう。
逆に言えば、日本人が弱いのは、手で触れないもの、目に見えないもの、概念でしか語れないものです。これは、仕方のないところがあります。海に囲まれ、西洋からは遠く離れた日本には、侵略を受けにくく、独自の文明を生むことができる、という利点がありました。
しかし、一方で、世界全体で起きている変化や潮流に取り残されることも多いのです。これは決して、日本人が閉鎖的だというわけではありません。それどころか、日本人は、世界有数の外国のものを受け入れる民族といっていいでしょう。
ただし、それは和魂洋才です。外のものは、物質的で目に見えるものしか、なかなか受け入れないのです。日本独自の文明を守ってきたと同時に、世界の深いところで起きている精神や文明のルールの変化が分からないのです>。
<そして、今、日本経済の没落は、目に見えないもの、手で触れない分野で起きています。それは、マネーと情報であり、経営の分野です。いずれも、部分よりも全体、戦術よりも戦略、個々の能力よりもシステム、発明よりも発想、などが重要な分野です。
この点が得意なのが、欧米やインドなどの人たちです。カントの神様は、日本の八百万の神のようには、目に見えません。宇宙の秩序や自然の法則という抽象的な存在です。カントが、21世紀に至る人類の歴史をほぼ正確に予言していたさまは、驚くべきことです。カントが示したのは、情報の量ではなく洞察力、そして、全体を考察する力でした。
言い換えると、目にも見えない、誰も教えてくれないことを自分で考えることが大切です。この点で、今の日本の教育は、致命的な欠陥を持っています。
小さい頃から、人が作った問題に、人が考えた答えを出すことばかりを訓練され、自ら問題を見つけるという、戦略思考の最も基礎となる訓練を破壊しているのです。それは、一人でものを考え、一人でも行動するという、人間の強さも奪います。そこからは、常識を覆す、新しい思考によるイノベーションは起きません。
金融や情報や経営は、付和雷同すれば負ける世界です。すべての人が知っていることを信じて買った時が天井になります。その逆に、誰も買わない時に価値のあるものを買うと大きな収益が得られます。物事の本質を見抜くことにしのぎを削るのが、マネーや情報、経営戦略の世界のルールです>。
ここに引用したのはほんの一部で、長いけれども実に中身の濃いエントリなので、ぜひ読んでみてほしい。
私はこれまで、日本はダメだという話もよく書いてきたし、アンビバレントな思いはあるが、基本的には日本が好きで、日本は「買い」だと思っている。その私にとって、これほどバランスがとれていて、納得感の高い「日本評」というのはあまり見たことがない。
ここで挙げられている、日本(日本人)の強みと弱みのポイントは、以下の2つだろう。
1. 日本人は「部分に強く、全体に弱い」。
2. 日本人は「見えるものに強く、見えないものに弱い」。
まったくその通りだと思う。
この強みと弱みの把握から、「次の日本」への戦略が出てくる。
その基本方針はもちろん、強みを伸ばし、弱みを克服することだろう。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20080324/151011/
<経済の実態を冷静に観察すれば、悲観論が過大であり、世界恐慌もスタグフレーションも起きていないことは明白です。
ところが、日本のメディアはしきりに不安を煽り立てます。そればかりではありません。外国の偉い経済学者の先生たちの多くも大悲観派です。
ノーベル経済学者のスティグリッツ教授によれば、米国経済は戦前の大恐慌以来のひどい状態になるそうです。ハーバード大学のフェルドシュタイン教授によれば、戦後最悪の不況に突入するそうです。
そんな中で今年1月末、当コラムで「バーナンキ暴落は終わりに向かう」などと書いた筆者は全くの少数派です。それでもあえて言わざるを得ません。米国株式のバーナンキ暴落は収束に向かい、世界経済は緩やかな成長軌道に戻るでしょう。そして、世界の株式市場は上昇に転ずるでしょう。
もちろん、米国の不動産の低迷は今後2~3年は続くでしょう。経済もゼロ成長になるかもしれません。欧州でも、不動産と金融機関の経営は悪化するでしょう。
しかし、そうした悪化を既に織り込んでここまで下げた株式市場は、今年にも上昇を開始する可能性が大いにあります。過度な悲観に踊らされたら、方向を誤るでしょう>。
ちょうどBryan Caplanの「悲観バイアス」を知ったというのもあってか、この見方にはピンと来るものがあった。
著者の山崎養世(やまざき・やすよ)氏については、名前だけは聞いたことがあったが、どんな人か知らなかった。ウィキペディアの解説やプロフィールによると、ゴールドマン・サックスのパートナーなどを経て、2002年には徳島県知事選に出馬、現在は金融、財政、国際経済問題等に関する調査・研究及び提言活動を行っているとのこと。
これは面白い。まるでルービンやポールソンみたいなキャリアだ。私は投資家こそ世界がよく見えており、政治家向きだと思っているので、こういうキャリアの人は基本的に信用できる。
そして山崎養世のBLOGに、次のすばらしいエントリを見つけた。
山崎養世のBLOG - “職人力”こそ日本の強さ
http://blog.livedoor.jp/zackyamazaki/archives/51920918.html
<日本の人材が強い分野は、手で触れるもの、目に見えるもの、現場で分かるものです。全体よりも部分を重んじ、大宮殿より3畳の茶室、長歌よりも俳句、盆景よりも盆栽、を発達させてきた、われわれ日本人の深いところにあるにある特質なのでしょう。
逆に言えば、日本人が弱いのは、手で触れないもの、目に見えないもの、概念でしか語れないものです。これは、仕方のないところがあります。海に囲まれ、西洋からは遠く離れた日本には、侵略を受けにくく、独自の文明を生むことができる、という利点がありました。
しかし、一方で、世界全体で起きている変化や潮流に取り残されることも多いのです。これは決して、日本人が閉鎖的だというわけではありません。それどころか、日本人は、世界有数の外国のものを受け入れる民族といっていいでしょう。
ただし、それは和魂洋才です。外のものは、物質的で目に見えるものしか、なかなか受け入れないのです。日本独自の文明を守ってきたと同時に、世界の深いところで起きている精神や文明のルールの変化が分からないのです>。
<そして、今、日本経済の没落は、目に見えないもの、手で触れない分野で起きています。それは、マネーと情報であり、経営の分野です。いずれも、部分よりも全体、戦術よりも戦略、個々の能力よりもシステム、発明よりも発想、などが重要な分野です。
この点が得意なのが、欧米やインドなどの人たちです。カントの神様は、日本の八百万の神のようには、目に見えません。宇宙の秩序や自然の法則という抽象的な存在です。カントが、21世紀に至る人類の歴史をほぼ正確に予言していたさまは、驚くべきことです。カントが示したのは、情報の量ではなく洞察力、そして、全体を考察する力でした。
言い換えると、目にも見えない、誰も教えてくれないことを自分で考えることが大切です。この点で、今の日本の教育は、致命的な欠陥を持っています。
小さい頃から、人が作った問題に、人が考えた答えを出すことばかりを訓練され、自ら問題を見つけるという、戦略思考の最も基礎となる訓練を破壊しているのです。それは、一人でものを考え、一人でも行動するという、人間の強さも奪います。そこからは、常識を覆す、新しい思考によるイノベーションは起きません。
金融や情報や経営は、付和雷同すれば負ける世界です。すべての人が知っていることを信じて買った時が天井になります。その逆に、誰も買わない時に価値のあるものを買うと大きな収益が得られます。物事の本質を見抜くことにしのぎを削るのが、マネーや情報、経営戦略の世界のルールです>。
ここに引用したのはほんの一部で、長いけれども実に中身の濃いエントリなので、ぜひ読んでみてほしい。
私はこれまで、日本はダメだという話もよく書いてきたし、アンビバレントな思いはあるが、基本的には日本が好きで、日本は「買い」だと思っている。その私にとって、これほどバランスがとれていて、納得感の高い「日本評」というのはあまり見たことがない。
ここで挙げられている、日本(日本人)の強みと弱みのポイントは、以下の2つだろう。
1. 日本人は「部分に強く、全体に弱い」。
2. 日本人は「見えるものに強く、見えないものに弱い」。
まったくその通りだと思う。
この強みと弱みの把握から、「次の日本」への戦略が出てくる。
その基本方針はもちろん、強みを伸ばし、弱みを克服することだろう。