2008.06.23
大前研一による「道州制のビジネスモデル」
SAFETY JAPAN 「産業突然死時代の人生論」 - 富を生み出す道州制への道 ―― 九州をモデルケースに
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/a/136/

<世界の繁栄する地域を見れば、その秘訣がROW(Rest of the World:その他世界)から呼び込むことにあることは明らかだ。日本ではいまだに国民の払う税金で景気刺激をするしかないと考えている人々が大半だ。富の分配はその前提として富の創出がなくてはならない。いま日本の人口はまさに少子高齢化しており、毎年40万人ずつ就業人口が減っている。GDP(国内で生み出された総付加価値)を維持するだけで毎年7%の生産性向上がなければならない。これは今の日本の能力からいってほぼ不可能な数字だ。また生産性の高い、競争力のある企業は先を競って海外に出て行っている。つまり国内での付加価値、すなわち富の創出にはこれから先あまり貢献しないだろうということだ>。

<富の創出の議論を忘れて道路建設や福祉の充実など富の配分の議論ばかりすれば、その原資は未来から、すなわち子孫から借りてくるしかない。しかし、将来の少なくなった就業人口でこの借金を返すことは至難の技だ>。

この現状を改善するには、1)歳出の削減、2)富の創出、の2つしかないとした上で、2)の「富の創出」の方法として、道州制を紹介するという記事になっている。

大前研一氏は世界が認める経営学のプロであると同時に、多くの著書や記事で政策の提言・ビジョンを多数出し続け、東京都知事への立候補(1995年)、平成維新の会・一新塾などを通じて、実際の行動でも政治や政策教育にコミットしつづけている。

この「富を生み出す道州制への道」は、その大前氏の知見・経験を存分に生かした、実に面白い「道州制」の解説・提言になっている。私がいままでに読んだ範囲だけでも、大前氏はこれまで素晴らしい著書・記事を数え切れないほど書いているが、そのなかでもこれは最も印象的な記事のひとつかもしれない。

<道州制とは富の再配分機構としての中央集権国家を解体し、世界から富を呼び込む責任を「地域国家」に持たせる、というものである。同時に一部の立法権限を道州に委譲することによって富の創出を真に志向させるものである。すなわち、富を真に作り出すか世界から呼び込む行政の単位 ―― これが道州ということになる>。

以後、この記事では九州を例にして、道州制が実現するとどうなるのかのビジョンを詳しく解説している。私にとっては、道州制はこんなに面白い話だったのか、と開眼させられるような記事だった。

<大きさは今の北海道(道)、あるいは九州(州)の単位で十分である。世界では30万人くらいの人口でも立派にOECDのメンバーになっているアイスランドのような国もあるし、繁栄する国家像をみればデンマークやシンガポールのように300万人から600万人くらいの人口のところが多い>。

たしかにその通りだ。日本をいくつかの道州に分割し、その責任と権限を強化して「国」に近づければ、それぞれの道州が自由になり、個性が出て、活気づくだろう。

道州がそれぞれ法制をいじれれば、国の経済競争のようなものが道州のあいだで起こり、その「経営」のウマい・ヘタも明らかになる。個人はより暮らしやすい環境を、企業はよりビジネスしやすい環境を求めて、日本という国にいながらにして、好きな「道州」を選べるようになる。

この大前氏の記事が面白いのは、道州制をただ制度的に説明するのではなく、九州を例にして、道州制による経済効果や人材・企業の呼び込み、立地といったテーマを軸に、「道州制のビジネスモデル」ともいうべき視点から書かれているからだろう。

いまの日本は「大きすぎる会社」のようなもので、権限が中央に集中しすぎて、機能不全に陥っている。道州制は、その大きすぎる会社をいくつかに「分社化」するようなものだろう。道州に「経営」の責任と権限を付与して、自由と機動性を与え、現場の声がより反映されるようにするのだ。

このように考えてみると、アメリカやドイツなどの連邦制も、より身近なものとして理解できるような気がする。地方分権が、こんなに面白いテーマだったとは。

関連:
ウィキペディア - 道州制
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E5%B7%9E%E5%88%B6
ウィキペディア - 連邦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E9%82%A6
ウィキペディア - 地方分権
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E6%96%B9%E5%88%86%E6%A8%A9