2008.09.14
歴史のなかで鳴りひびく音楽 - フリードリヒ2世とC.P.E.バッハ
啓蒙都市ウィーン」のおかげで、18世紀のウィーンに興味がわき、このあたりを中心に世界史の用語集などをときどき見ている。

こうやって興味のある部分から入っていくと、世界史はけっこう頭に入ってくる感じだ。少なくとも、世界史への苦手感はなくなってきた気がする。私にとっては、これだけでも大きな成果だ。

18世紀中盤のウィーンにとって、フリードリヒ2世が治めるプロイセンはまさに宿敵だった。マリア・テレジアの息子ヨーゼフ2世は、そのフリードリヒ2世を崇拝していたということで、マリア・テレジアは生涯心を痛めたという。

ウィキペディア - フリードリヒ2世 (プロイセン王)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95...

<フリードリヒ2世(Friedrich II., 1712年1月24日 - 1786年8月17日)は、第3代プロイセン王(在位:1740年5月31日 - 1786年8月17日)。優れた軍事的才能と合理的な国家経営でプロイセンの強大化に努め、啓蒙専制君主の典型とされる。 また、フルート演奏をはじめとする芸術的才能の持ち主でもあり、ロココ的な宮廷人らしい万能ぶりを発揮した。その功績を称えてフリードリヒ大王(Friedrich der Große)と尊称されている>。

このフリードリヒ2世の解説を読んでいると、C.P.E.バッハの名前が出てきた。

<フリードリヒの宮廷には当時の第一級の音楽家が集い、フルート奏者で作曲家のクヴァンツ、1732年から大王に仕えたヴァイオリンの名手で作曲家グラウン、同じくヴァイオリンの名手で作曲家フランツ・ベンダらがいた。また、大バッハの次男C・P・E・バッハが1740年から1767年までチェンバロ奏者として仕え、父の大バッハをフリードリヒに紹介している>。

C.P.E.バッハは、私が大好きな作曲家の1人なのだ。

ウィキペディア - カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB...



<カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ (Carl Philipp Emanuel Bach, 1714年3月8日 ヴァイマル - 1788年12月14日 ハンブルク)はドイツの作曲家。ヨハン・ゼバスティアン・バッハが先妻マリア・バルバラともうけた次男。父親より、父親の友人ゲオルク・フィリップ・テレマンの作曲様式を受け継ぎ、ギャラント様式や多感様式を追究して、古典派音楽の基礎を築いた>。

<弟ヨハン・クリスティアンがモーツァルトを教え導いたように、カール・フィリップの作風は、ハイドンやベートーヴェンに多大な影響を与えた。生前は父親よりも有名で、兄弟の中では誰よりも世俗的な成功を収めたが、本人は父親の指導があったから自分が成功することができたと訴え続けた。その意味においては、初期のバッハ神話を創り出した張本人であったと言える。
 他のバッハ一族の作曲家と区別するために「ベルリンのバッハ」、「ハンブルクのバッハ」などとも呼ばれる>。

<それから数ヵ月後に、プロイセン王国の皇太子フリードリヒ2世(後のフリードリヒ大王)のルッピンの宮廷にチェンバロ奏者として奉職し、1740年にフリードリヒ2世が国王に即位すると、ベルリンの宮廷楽団員に昇進した。この頃になるとヨーロッパでも最先端のクラヴィーア奏者のひとりとなっており、1731年にさかのぼる作曲活動も、お気に入りの鍵盤楽器のための、30曲のソナタや数々の小品が含まれるようになっていた>。

これまでも、私はC.P.E.バッハのこういう解説は何度となく読んできた。しかし世界史をまったく知らないために、「プロイセン」とか「フリードリヒ2世」とかいう単語が私にとって意味を持たず、読み飛ばしてしまっていた。いまようやく、これの意味がわかった。

<作曲家としての名声は、それぞれフリードリヒ大王とヴュルテンベルク大公に献呈された、別々の2つのソナタ集によって打ち立てられた。1746年には王室楽団員の地位に昇り、それから22年の間、カール・ハインリヒ・グラウンやヨハン・ヨアヒム・クヴァンツ、ヨハン・ゴットリープ・ナウマンらと並んで、大王の寵愛を受け続けた>。

C.P.E.バッハはおそらく、当時プロイセンで最先端の作曲家・演奏家だった。当時のプロイセン最高権力者であり、音楽の理解者だったフリードリヒ大王は、そのC.P.E.バッハを寵愛していた。C.P.E.バッハは「ベルリンのバッハ」として、1740年から1768年までの28年ものあいだ、フリードリヒ大王の側にいたのだ。

私の好きなC.P.E.バッハが、18世紀中盤のプロイセンにおける「BGM」だったわけだ。歴史のなかを歩いていて、私の好きな音楽が突然鳴りひびいてきたような感じだ。こんな喜びがあったとは、世界史がますます面白くなってきた。