2008.11.06
チャレンジャー気質に与える「エサ」
かんたんなことより、むずかしいことのほうが好きなタイプ。知っていることより、知らないことに興味を感じるタイプ。こういうタイプの人間、いわばチャレンジャー気質の人間は、かなりの割合でいると思う。

人間は誰でも好奇心や学ぶ意欲を持っているので、潜在的には誰もがチャレンジャー気質を持っているはずだ。このチャレンジャー気質こそ、人類が進歩してきた力の源泉であり、人間が持つ最も偉大な能力のひとつではないだろうか。何もしないほうがある意味ラクなのに、あえて何かをやりたいと思う。それが人間というものだろう。

チャレンジャー気質の人間は、つねにチャレンジする対象、「課題」を求めている。それは食うための仕事や、社会の一員としての義務という以上に、人間の本源的な欲求だ。人間にとって、「課題」とはいわば「エサ」なのだ。

良い会社や良い社会では、人間のなかにあるこのチャレンジャー気質に、つねに「課題」という「エサ」を与えつづけるような仕組みになっていると思う。「エサ」はなくなってもダメだし、過剰に与えすぎてもダメだ。個々の人間によって、チャレンジャー気質の量や、処理能力は異なるので、必要な「エサ」の量は異なる。

また人間によって、この「エサ」を自力で発見できるタイプと、他人から与えられないと見つけられないタイプの違いもある。しかしどんなに優秀で、自分で「エサ」をどんどん見つけるタイプの人間でも、他人から与えられた「エサ」は、それはそれでうれしいものだろうし、さらに自分を成長させてくれる。

そして自分で「エサ」を見つけるのが苦手でも、いったん「エサ」を与えられれば、その処理能力はきわめて高いという人間もいる。課題を見つける能力と、課題を解く能力は別のものだからだ。

アラブの産油国では原油がつねに湧いているように、人間の「チャレンジャー気質」は、つねに湧いている。これこそ人類にとって最大の「資源」であり、これをムダにせずにどれくらい活かせるかは、人類にとって最大の戦略的課題のひとつではないだろうか。

自分のキャリアをどう描くか、会社をどう作るか、社会をどうするかといった問題はすべて、この「チャレンジャー気質」という人間の資源をどう活かすかという「設計」の問題として捉えられるように思う。それぞれの人間に適正なだけ、課題という「エサ」を与えつづけるような「仕組み」をどう作るのか、という問題だ。