2009.04.11
韓国における老人の立場 「敬老」というパターナリズム
コネスト - 毎日が「敬老の日」? 礼の国、韓国の老人達は今
http://www.konest.com/data/korean_life_detail.html?no=433

<韓国では年上の人を敬うという「仁」の思想が古くから定着していて、老人ともなるとそれがさらに徹底してくる。
 電車でもバスでも、お年寄りが乗ってきたら即、席を譲ってあげるのが当たり前のこと。「今日は疲れてるから…」などと狸寝入りを決め込んだり、「相手を老人扱いして失礼なのではないか」などという考えは韓国ではご法度なのである。
 さっきまで足を広げて大きな態度をしていた金髪のお兄さんであったとしても、ささっと席をたつ。そんな光景は見ていて、すがすがしささえも感じるものである>。

<また、テレビのチャンネルをひねってみると、日本の某テレビ番組を真似た「ご長寿クイズ」なるものもあったりする。番組内では、70、80をとうに迎えたご老人方が放送禁止スレスレの内容や、下品な表現を連発する。普通なら視聴者から苦情が来るものだが、敬老思想の前では、視聴者もマスコミも手も足も出ず。
 番組は完全に老人ペースになり、あげくの果て番組そのものを老人たちが仕切っていくようになる。つまり、韓国では『老人』であるということがひとつの武器みたいなものと化しているのである>。

韓国では「敬老思想」が強いらしい。2001年に書かれた記事のようだが、この種の社会慣習がそう大きく変わるとも思えないから、現在もほぼこの状況だろう。

しかし、これほど丁重に扱われているのに、韓国ではむしろ「幸せでない」と思っている老人の割合が多いとのこと。

<資料によると、「自分は幸せでない」と思っている韓国人老人の割合は23%で、日本(7.1%)やアメリカ(6.8%)を大幅に上回っていることが分かる。
 それに、子供は親と一緒に生活しないといけないという概念がある反面、子供と一緒に暮らしたいと思っている老人は実に全体の10.7%にすぎないという統計もあるのである。
 と、こんな寂しさを抱いているのは全世界どこに行っても同じ事なのかもしれないが>。

最近、老人についてときどき考えている私にとって、この記事はとても示唆的だった。

「敬老」というのは、敬(うやま)っているのだとしても、老人を特別扱いすることには違いない。つまり「老人扱い」であるとも言える。しかし老人は、「老人扱い」されたくないのだ。

自分が老人になったとして考えてみる。自分が電車に乗ったら、周囲が即座に反応して、席を譲ってもらえる。それは「ありがたい」ことには違いないし、好意によって譲ってくれているのだとしても、何か押しつけがましい気もする。別に座りたいと思っていないときでも、声をかけられて、周囲の人に見守られながら、「座らされる」のだ。こういうとき、「いえ、大丈夫です」と言って断るのもどこか失礼な気がするから、ほんとうは座りたくないときも、お礼を言いながら座ったりするわけだ。

こういう老人の立場は、なんとも息苦しいものだろう。私が老人になったとき、その立場になるかと思うと、ぞっとする。

「敬老思想」の強い韓国なのに、「幸せでない」と思っている老人の割合が多いという皮肉な結果は、私にはよくわかる感じがする。こういう「好意の押しつけ」というのは、まさにパターナリズムの一種であって、これは韓国に限らず、日本にもよく見られる傾向だ。

「敬老」というパターナリズムは、ほんとうに老人を幸せにしているのだろうか。