「次(Next)」と「前(Previous)」というナビゲーションには何かスッキリしないものがある
ウェブサイトで連続的な複数のページがある場合、そのナビゲーションには
「次(Next)」 と 「前(Previous)」
が使われることが多いが、これにはいつも、何かスッキリしないものを感じている。
ブログに代表されるように、たいていの場合は「日時の降順」、つまり「新しい順」に並んでいることが多い。それを考えれば、
「次(Next)」 = もっと古いもの(過去)
「前(Previous)」 = もっと新しいもの(未来)
となるのは明らかではある。
しかし、ウェブやブログを前提としない、普通の「時間感覚」でいえば、前方に未来があり、後方に過去があるので(注)、
「次(Next)」 = 未来(もっと新しいもの)
「前(Previous)」 = 過去(もっと古いもの)
という連想も働かないわけではない。
つまり、まったく反対の意味が、オーバーラップして重なってしまうわけだ。
ここでは、意味やラベルの上で「衝突(Conflict)」が起きている。まずここに「スッキリしない」第1の理由がある。
さらに、多くの場合は、
「← 前」 「次 →」
のように、
左側 = 「前(Previous)」
右側 = 「次(Next)」
という左右の配置になっているが、これが逆になっている場合もある。さらに、「より新しいもの(Newer)」「より古いもの(Older)」といった表現が使われている場合もあり、これの左右も決まっているわけではない。
この、目に見える「左右」という空間配置に対して、そこに何を対応させるべきかが定まっていない、ということが「スッキリしない」第2の理由だ。
結局のところ、それぞれは人間にとって普遍的な感覚である
1) 「未来」「過去」
2) 「前方」「後方」
3) 「左」「右」
という3種類の「方向」を、どのようにマッピング(対応)させて見せるのが自然か、という規則がウェブの世界で確立していないために、場合に応じて「うまくいく組み合わせ」を自分で考えなければならないわけだ。
「次」「前」という表現は、1次元的な「順序」を前提としており、この3つの方向感覚でいうと、2)の「前方」「後方」にもっとも近いだろう。これを1)の「時間」とどう対応づけるか、さらに画面上の配置として3)の「左右」とどう対応づけるか、という組み合わせがいろいろあるわけだ。
この「思考コスト」をしょっちゅう強いられること、いわば「迷いの感覚」が、「ナビゲーション」というものにおいて発生しているわけだ。これは「ナビゲーション」というものの役割を考えれば、いわば根本的な矛盾であって、「ナビゲーションの危機」ともいえるだろう。
この「迷いの感覚」が、「スッキリしないもの」の正体だと思う。スッキリしないまま、「解決」も見あたらないところが、余計にスッキリしない。
注:
「前方に未来があり、後方に過去がある」は人間の普遍的な感覚ではなく、インドなどでは「未来に向かってあとずさりする」と考える、と聞いたことがある(その真偽については知らない)。「未来に向かってあとずさりする」なら、「前方に過去があり、後方に未来がある」と考えるかもしれない。
「次(Next)」 と 「前(Previous)」
が使われることが多いが、これにはいつも、何かスッキリしないものを感じている。
ブログに代表されるように、たいていの場合は「日時の降順」、つまり「新しい順」に並んでいることが多い。それを考えれば、
「次(Next)」 = もっと古いもの(過去)
「前(Previous)」 = もっと新しいもの(未来)
となるのは明らかではある。
しかし、ウェブやブログを前提としない、普通の「時間感覚」でいえば、前方に未来があり、後方に過去があるので(注)、
「次(Next)」 = 未来(もっと新しいもの)
「前(Previous)」 = 過去(もっと古いもの)
という連想も働かないわけではない。
つまり、まったく反対の意味が、オーバーラップして重なってしまうわけだ。
ここでは、意味やラベルの上で「衝突(Conflict)」が起きている。まずここに「スッキリしない」第1の理由がある。
さらに、多くの場合は、
「← 前」 「次 →」
のように、
左側 = 「前(Previous)」
右側 = 「次(Next)」
という左右の配置になっているが、これが逆になっている場合もある。さらに、「より新しいもの(Newer)」「より古いもの(Older)」といった表現が使われている場合もあり、これの左右も決まっているわけではない。
この、目に見える「左右」という空間配置に対して、そこに何を対応させるべきかが定まっていない、ということが「スッキリしない」第2の理由だ。
結局のところ、それぞれは人間にとって普遍的な感覚である
1) 「未来」「過去」
2) 「前方」「後方」
3) 「左」「右」
という3種類の「方向」を、どのようにマッピング(対応)させて見せるのが自然か、という規則がウェブの世界で確立していないために、場合に応じて「うまくいく組み合わせ」を自分で考えなければならないわけだ。
「次」「前」という表現は、1次元的な「順序」を前提としており、この3つの方向感覚でいうと、2)の「前方」「後方」にもっとも近いだろう。これを1)の「時間」とどう対応づけるか、さらに画面上の配置として3)の「左右」とどう対応づけるか、という組み合わせがいろいろあるわけだ。
この「思考コスト」をしょっちゅう強いられること、いわば「迷いの感覚」が、「ナビゲーション」というものにおいて発生しているわけだ。これは「ナビゲーション」というものの役割を考えれば、いわば根本的な矛盾であって、「ナビゲーションの危機」ともいえるだろう。
この「迷いの感覚」が、「スッキリしないもの」の正体だと思う。スッキリしないまま、「解決」も見あたらないところが、余計にスッキリしない。
注:
「前方に未来があり、後方に過去がある」は人間の普遍的な感覚ではなく、インドなどでは「未来に向かってあとずさりする」と考える、と聞いたことがある(その真偽については知らない)。「未来に向かってあとずさりする」なら、「前方に過去があり、後方に未来がある」と考えるかもしれない。