2010.06.27
みんなが主観的であれば全体として客観的になる
1人1人が思い切り主観的であっても、それがたくさん集まれば、全体としての多様性によって客観性を確保できる。全体として多様性があれば、どれがいい意見なのかをみんなが「眺められる」ので、いい意見が勝ち残りやすい。

いっぽう日本のように、1人1人が主観をあまり出さず、場にあわせよう、「空気」を読もうと考えていると、いったん有力化した意見に全員が「飛び乗る」ことになる。これだと、全体の意見が「初期状態」に強く左右されてしまい、多様性の中からいい意見が選ばれていくという「競争」のプロセスを経ずに、たまたま支配的になった意見がそのまま勝ち残ることになる。

つまり、1人1人が客観的であろうとするあまり消極的になってしまうと、むしろ全体としての多様性が失われ、客観的でなくなるのだ。重要な意思決定においてこれが起きてしまうと、危険ですらある。


関連エントリ:
自由とは「多様性を許容する設計」である
http://mojix.org/2009/11/23/jiyuu_tayousei
「主観恐怖症」の日本
http://mojix.org/2009/10/11/shukan_kyoufu
群集がいつも賢いとは限らない 「Wisdom of Crowds」の成立条件
http://mojix.org/2006/01/14/100147