2010.12.10
「スマホ」と「ガラケー」
「スマホ」と「ガラケー」って、すごい日本語だと思う。

私はこういう新語は嫌いではなく、むしろ好きなほうだ。こういうのを見ると、日本語の造語力、柔軟性を見せつけられる気がして、「日本語はすごい」と思う。

「スマホ」のほうは、「スマートフォン」の短縮形だから、日本語には比較的よくあるパターンだろう。「スマートフォン」という概念は世界共通であり、「スマホ」というのは単にその名前を短くしたに過ぎないから、「スマートフォン」という概念自体をわかっていれば、特にむずかしいところはない。

しかし「ガラケー」のほうは、ややむずかしい。これも「ガラパゴスケータイ」の短縮形ではあるが、そもそも「ガラパゴスケータイ」という概念がちょっとむずかしい。これは「スマートフォンではなく、日本独自の従来型ケータイ」くらいの意味だろうが、この概念の成立には、「スマートフォン」の存在が前提になっている。「スマートフォン」という次世代かつ世界標準的なモバイル機器の登場によって、それまでの日本独自のケータイの世界が「ガラパゴス」として逆に規定され、位置づけられたわけだ。

つまり「ガラケー」を理解するには、スマートフォンとの関係や位置づけ、ちょっとした「歴史」を理解していなければならない。そのように、「ガラパゴスケータイ」という概念自体がややむずかしく、日本独自の新語である上に、それを「ガラケー」と略してしまうのだから、まったく原型をとどめておらず、いっそうむずかしくなる。

そのような意味では、「スマホ」と「ガラケー」というのはまさに対(つい)になっており、一種の「反意語」だと言えるだろう。「スマホ」と「ガラケー」という、モンスターみたいな楽しげな名前のものが、一種のライバル関係にあって、それぞれに支持者やファンがいるわけだ。

「スマホ」と「ガラケー」は、成立の仕方やキャラも大きく違っており、その違いについて考えてみれば、ビジネスやITについてもさまざまな知見が得られる。「スマホ」はいままさに、すごい勢いで成長しているところだし、いっぽう「ガラケー」のほうは、かつては栄華を誇ったが、いまはその勢いを失い、衰退しつつある。その勝敗の構図も含めて、「スマホ」と「ガラケー」のライバル関係は多くの教訓を含んでおり、おもしろい。


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