2012.06.30
原発というパターナリズム
原発はパターナリズムである。

いくら推進派・賛成派が原発のメリットを説いたところで、反対派はそれでも「原発はいらない」と言っているのだから、無理に押しつけるべきではない。要らないと言っているものを押しつけるのは、まさにパターナリズムである。

原発をやめると電力が足りなくなる、というのが推進派・賛成派の最大の論拠だろう。そのデメリットやリスクを受け入れても、原発を拒否するというのが反対派のスタンスなのだから、どこまで行っても議論は平行線だ。

やはり、原発の賛成派と反対派で、日本を2つに分割するのがいいと思う。もし推進派が正しければ、反対派の国は原発による電力を得られず、生活や企業活動に支障が出て、貧しくなっていくだろう。もし反対派が正しければ、推進派の国はまた事故が起きたり、人が流出したり、農作物が売れなくなって、貧しくなっていくだろう。どちらを選んでもリスクがあるし、未来は誰にもわからない。だから、自分で選ぶしかない。

リスクとリターンはセットである。自分が選んだものに対する責任は、自分が取るべきだ。原発をやるのか、やらないのか。その選択は自由だが、選択によって生じるリスクやデメリットを引き受ける責任もまた、自分にある。リスクやデメリットは、他人に押しつけるべきではない。

リスクとリターンは本来セットなのに、制度上はそうなっていない、という例は少なくない。原発もそのひとつである。リスクやデメリットを他人に押しつけて、自分はリターンとメリットだけを得られるような仕組みがあれば、その仕組みは必ずタダ乗りされるだろう。


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