2012.07.06
ニートと起業家は似ている
ニートと起業家は似ていると思う。

ニートは働かず、自分の生活費も稼がず、実家に寄生したりしている。いっぽう起業家は、あたらしいビジネスを立ち上げ、自分の生活費を稼ぐのはもちろん、他人の分の仕事まで生み出したりしている。

そのような意味では、ニートと起業家は正反対とも言える。しかし、「イヤなことはしない」「自分のやりたいことをやる」というマインドの点では、似ていると思うのだ。ひとことで言うと、「わがまま」なところが似ていると思う。

いまの日本に足りないのは、この「わがまま」ではないだろうか。協調やチームプレーももちろん重要だが、まずは「自分は何をしたいのか」がきちんとあって、そこにこだわるプライドが重要だろう。自分のこだわりやプライドを捨ててしまっては、ただの奴隷になってしまう。

日本では、働くということが、この「奴隷になる」ことだとカンチガイされているところがある。「立派な社会人になる」ということが、自分のこだわりやプライドを捨てて、会社のいいなりになる、ということだと思われてしまっているのだ。

ニートと起業家はいずれも、この「奴隷になる」ことを拒否する。「わがまま」だからだ。そこが似ていると思う。

ニートと起業家が違うところは、そのこだわりやプライドを、製品やサービスのかたちに具体化させて、世の中の役に立っているかどうか、という点だろう。起業家は、こだわりやプライドがあり、「わがまま」だからこそ、いままでになかった製品やサービス、付加価値を生み出すことができる。

その意味では、ニートは「起業家予備軍」と言える部分もある。以前、原上ソラさんが生み出した「ニートバレー」という概念を紹介したことがある。

「ニートバレー」 ニートはシリコンバレーみたいなものだ、という考え方
http://mojix.org/2010/10/20/neet-valley

<「ニートバレー」とは: ニートという境遇を、起業家がひしめくシリコンバレーのように、大きな可能性を秘めた有能な人材の宝庫と見なす考え方。
 ニートは労働から解放されており、社会からやや逸脱したところがあるゆえに、その個性的な才能に磨きをかけて、独創的なものを生み出す可能性がある>。

ニートと起業家を似ているものと見なす考え方は、この「ニートバレー」的な考え方だと言ってもいい。

ニートを単に「働かない人」「やる気のない人」「社会人になれない人」と見なすのではなく、「わがまま」であるがゆえに、「奴隷になる」ことを拒否している人、と考えてみてはどうだろうか。そのような資質は、意外と起業家のものに近いのだ。


関連エントリ:
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http://mojix.org/2010/10/20/neet-valley