2012.07.07
大学が多すぎる
大学生の学力低下、という話を毎年のように聞くが、これは若者が年々バカになっているというよりも、単に大学が多すぎるからだろう。

子供の数が減ってきても、大学は生き残りのために合格ラインを下げるだろうし、短大や専門学校も「大学化」していって、大学の数はむしろ増えている印象がある。

むかしは、大学へ行ける人は少数だった。それがだんだん大学が増えてきて、大学進学率が上がってきた。大学生自体の数が増えれば、その平均レベルが下がるのは当然だ(「大学生の就職内定率」が下がっていくのも同じ構造)。

大学生でも、トップのほうにはすごい奴がたくさんいるはずだ。しかし母集団が増えれば当然ドンケツのレベルも下がってくるので、「分数の足し算ができない」ような例も出てくる(そして、マスコミはそういうドンケツの例ばかり採り上げる。年長者に「最近の若者はバカすぎる」と嘆かせ、ささやかな自己満足を与えるため)。

こうして、いまやただの大卒(学士)では価値が薄く、少なくとも修士でないと「専門家」とは見なされないようなところもある。希少性がなくなれば、価値が下がるのは当然だ。

私もそうだったのだが、多くの大学生は、大学に入るまでの受験で燃え尽きてしまい、大学へ入ると遊んでしまう。そして社会へ出てはじめて、大学で勉強できることがどれだけ貴重な機会だったかを理解して、大学で遊んでしまったことを後悔する。

いっそのこと、高校を出たらみんないちど働いて、その後ほんとうに大学へ行きたくなったら行く、という順番になればいいのではないか。そうすれば、大学にはほんとうに勉強する気のある人しか来ないし、特に勉強したくない人は、そのまま働いていてもいい。いつ勉強したくなるか、あるいはずっと勉強したくならないかは、人によってまちまちだと思うが、それでいいと思う。

そもそも、学びたいという心の準備ができていない人に対して教育するのは不可能であり、お互い時間の無駄だ。このミスマッチが不幸を呼び、生産効率を下げていると思う。

いまや、大学を出てもさほど意味がなくなってきたので、「大学に行かなければならない」という強迫観念を捨てるには、ちょうどいい頃ではないだろうか。高卒で起業したり、高卒で働く例がもっと増え、あたりまえになればいいと思う。


関連エントリ:
大学生の就職内定率は「景気の指数」であり、かつ大学生が増えつづけている限り下がるしかない
http://mojix.org/2010/03/15/daigaku_baramaki
「下流大学」はなぜ必要とされるのか
http://mojix.org/2009/05/06/karyuu_daigaku
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