2003.10.12
学習とは何がおもしろいかに気づくこと - ワーマン 『情報選択の時代』
先日、図書館で見つけたリチャード・ワーマン『情報選択の時代』(松岡正剛訳、日本実業出版社 1990年)を夢中で読んでいる。この本は素晴らしいとしか言いようがない名著だ。

以前、本屋でこの本が見当たらなくて、かわりにマクルーハンの『グーテンベルクの銀河系』を買ったことがあったが、それもそのはず、『情報選択の時代』はとっくに絶版らしい。

ワーマンは情報アーキテクトの開祖として、情報デザインの分野で知られている。「情報デザイン」というのは、どのように情報を配置すれば人間は「わかる」のかということの研究なので、すぐに「理解」や「学習」といったものに直結してくる。

じっさい、『情報選択の時代』では「理解(understanding)」や「学習(learning)」が主題になっていて、これらはこの本に限らずワーマン自身の中心テーマである。

私は学生の頃から、「教える」「学ぶ」とはどういうことなのかを漠然と考えてきた。私はいろいろなことを「学ぶ」のが大好きで、いわゆる受験勉強ですらわりと楽しんできた。

その後、教師になって「教える」のが仕事になったが、「学ぶ」のに比べて、「教える」というのはなんとつらいことだろうと思うようになった。やる気のある生徒に教えるのはやり甲斐があるのだが、学ぶ気のない生徒に教えるのがつらく、むなしかった。

生徒も教師も、互いに面白くないことをしてもロクなことはない。ほんとうは学ぶ気持ちがないのに、学校や塾に行かざるを得ない状況というのは不幸だし、時間の無駄だ。楽しいと思えない時点で、身につかないことがあらかじめ決定している。

乱暴に言えば、「教育」は不可能だという結論に私は達した。学ぶ気持ちがある人の背中を押すこと、それ以外にほんとうの教育なんてありえないと思う。

そのことが、この『情報選択の時代』にはズバリ書いてあった。

「学習とは何がおもしろいかに気づくこと」
(LEARNING IS REMEMBERING WHAT YOU ARE INTERESTED IN)
「教育によって学習させるのは、団体旅行客が冒険の旅に出るほど難しい」
(EDUCATION IS TO LEARNING AS TOUR GROUPS ARE TO ADVENTURE)
「理解したものを土台にしてしか学習は起こらない」
(YOU ONLY LEARN SOMETHING RELATIVE TO SOMETHING YOU UNDERSTAND)

というのが、6・7・8章のタイトルである。

このテーマについて、ここまで明快な主張を私は聞いたことがなかった。そしてこの本は、論旨が明快で中身があるだけでなく、(マクルーハン『グーテンベルクの銀河系』と同じ意味で)「読んでいておもしろい」のだ(引用の多さ、そのカッコよさもマクルーハンに近い)。

この調子でこの本の面白さを書いていくとキリがないので、とりあえずワーマンと『情報選択の時代』のページを作成し、あと「学ぶ」カテゴリを作って、ひとまず打ちきりにしておこう。

どうですか、この本面白そうでしょう?
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