2012.07.15
原発をめぐる対立は、異なる「善」のぶつかりあい
原発をめぐる対立は、異なる「善」のぶつかりあいである。

反対派から見れば、原発は「悪」以外の何ものでもない。反原発こそが「善」である。

しかし賛成派から見れば、原発は電力を提供してくれるものであり、これが生活や企業活動を支えてくれるのだから、原発は「善」なのだ。

もちろん賛成派のなかには、自分の立場や利権を守るために賛成している人もいるだろう。これは擁護しようがない。しかし、純粋に国民のためを思って、原発を維持すべきと主張している人も少なくないのだ。

異なる「善」がぶつかりあっているとき、お互いに、相手側は「悪」に見えやすい。しかし、ここで相手を「悪」と決めつけてしまっては、対立は深まるばかりだ。

少なくとも、異なる「善」がありうるということ、まずこれを前提にすべきだろう。異なる考え方がありうるということを理解し、自分の主張と異なるものを「悪」と決めつけてしまわないことだ。異なる「善」がありうるということを前提にしないかぎり、まともな対話は不可能だろう。

原発のような政治問題の議論では、自分の職や立場、利権、既得権益を守るための主張をおこなう人もいる。しかし大半の人は、国民のためを思って、全体的観点から主張しているはずだ。よって、意見の異なる相手に対して、「悪意」を勝手に仮定すべきではない(ハンロンの剃刀)。陰謀論はたいてい的外れであり、むしろその主張者の品位を疑わせて、他の発言の説得力まで下げてしまう。


関連エントリ:
「これは善なのだから、他人に強制してもいい」という考え方そのものが危険だ
http://mojix.org/2012/07/14/zen-kyousei2
原発というパターナリズム
http://mojix.org/2012/06/30/genpatsu-paternalism
ハンロンの剃刀「無能で説明できる現象に悪意を見出すな」
http://mojix.org/2011/02/22/hanlons-razor