2012.07.14
「これは善なのだから、他人に強制してもいい」という考え方そのものが危険だ
一昨日あたりから、2010年に書いた

ナチスの「25カ条綱領」は日本人必読では
http://mojix.org/2010/10/11/national-socialist-program

というエントリに多くのアクセスが来ていて、はてなブックマークでもたくさんのブックマークがついている。どうやら、Tumblrで誰か影響力のあるユーザが、このエントリの

<「これは善なのだから、他人に強制してもいい」という考え方そのものが危険だ>

という部分を引用して、これが多数のユーザにリブログされているようだ()。

この一節には、自由主義・リバタリアニズムの考え方のエッセンスが含まれている(関連:「リバタリアニズムのキモは「強制しない」こと」)。日本では、自由主義・リバタリアニズムはいまのところ、それほど支持されているとは言えない。しかし、この一節が多くの共感を集めているということは、自由主義・リバタリアニズムの潜在的な支持者はまだたくさんいる、ということを意味しているのではないだろうか。

リバタリアニズムは、右翼でも左翼でもない。リバタリアニズムがあまり知られていないのは、そもそも「右翼と左翼は反対概念ではなく、独立概念である」ということが、ほとんど理解されていないからだろう。私自身、「ノーラン・チャート」を知ってはじめて、右翼と左翼の位置づけがすっきり理解できて、私の考え方はリバタリアニズムに近いということがわかった。右翼にも左翼にも共感できないからといって、政治意識が低いとか、ノンポリというわけではないのだ。


関連エントリ:
何が「善」であるかは必ずしもはっきりしないが、何が「強制」であるかははっきりしている
http://mojix.org/2010/10/18/zen-kyousei
世界を上下に分けて下に味方するのが左翼、世界をウチとソトに分けてウチに味方するのが右翼
http://mojix.org/2010/10/15/matsuo-uyosayo
右翼(国家主義)と左翼(社会主義)は反対概念ではなく、独立概念である
http://mojix.org/2010/10/14/left-and-right