2013.04.08
年寄りには、若者を嘆いているヒマはない
一昨日の「ネットの文字は「活字」に入らないのか」で、「若者の活字離れ」問題は、要するに「年寄りがネットに適応できない」問題だ、という意味のことを書いた。

なぜ、年寄りはネットに適応できないのか。これは、PCの操作を覚えるのが苦手だ、といった側面もあると思うが、「情報を発信する」ということに慣れていない、というのも大きいと思う。

ネットが出てくるまでは、ただの一般人が、情報を広く、安価に発信する方法は存在しなかった。同人誌や自費出版などは昔からあったが、いまのネットに比べると、手間やコストがべらぼうに高かった。

同人誌や自費出版をやったことがある人はわかると思うが、紙の出版はけっこうたいへんである。まず一定量のコンテンツを準備して、編集して、紙面をつくる。それを印刷して、冊子のかたちにする。ここまででも、かなりたいへんだし、費用がかかる。さらに、それを広く読んでもらうには、書店などに置いてもらう必要がある。これは、ある意味では冊子をつくる以上にたいへんである。だから、そこまでやるのは、よほど好きな一部の人だけだった。

日本でネットが本格的に普及しはじめたのは、1995年~96年頃だろう(私がネットをはじめたのも、1996年だった)。ネットが出てきて、誰でもホームページを立ち上げられるようになった。いくらか勉強して、いくらか手間をかければ、ほとんどお金をかけずに、情報公開ができるようになったのだ。

その後ブログが出てきて、「ホームページ」に比べると、はるかに少ない手間で、自分のサイトを作れるようになった。自分でデザインしたり、FTPでアップロードなどをしなくても、ただブラウザ上で文章を書き、ボタンを押すだけで、情報公開ができるようになった(関連:「ブログがWebにもたらしたMVCモデル - コンテンツ、デザイン、テクノロジー」)。

さらにSNSやツイッターが出てきて、情報発信はいっそうかんたんになった。あまりにもかんたんなので、「ハラへった」みたいなくだらないつぶやきまで、いちいち発信されるようになったほどだ。

こうして、情報発信の「敷居」は、いまや極限まで下がってきている。いまはPCを使う必要もなく、タブレットでも、スマホでも情報発信ができるので、「操作がむずかしい」という敷居もかなり下がってきた。

それでも、年寄りは情報発信が苦手なようだ。もちろん、バリバリ情報発信している年寄りもたくさんいるが、全体としては、若者よりも情報発信が苦手なことは間違いない。

なぜ、年寄りは情報発信が苦手なのか。その理由はごく単純で、「これまでずっと、情報発信をしてこなかった」からだろう。

ネット以前に育った年寄りは、情報というのはもっぱら「受信」するもので、「発信」するものではなかったのだ。ネット以前には、かんたんに「発信」する方法がなかったのだから、これは仕方がない。

ネット以後に育った若者は、情報を発信することに、あまりためらいがないと思う。しかし年寄りは、ためらいがあるのだ。

私は年齢的にいえば、年寄りと若者の中間くらいだろう。私はネットが大好きだが、本や雑誌も大好きだし、世代的にいえば、むしろ紙で育った世代である。だから、年寄りの気持ちも、若者の気持ちも、両方ともわかる気がする。

だから私は、年寄りがネットや情報発信が苦手であっても、それをあまり責めるつもりはない。しかし、年寄りが若者の活字離れを嘆いたり、ネットが紙より文化的に劣るかのような物言いを見ると、イラっとくるのだ(笑)。若者の活字離れよりも、年寄りがネットを使えないとか、年寄りがテレビばかり見ていることのほうが、むしろはるかに問題なのではないか。年寄りには、若者を嘆いているヒマはないはずだ。


関連エントリ:
ネットの文字は「活字」に入らないのか
http://mojix.org/2013/04/06/net-moji-katsuji
パブリック空間が開放され、マスメディアの危機が訪れている
http://mojix.org/2005/10/31/233644