ネットの文字は「活字」に入らないのか
朝日新聞デジタル - 若者は文字が好き…でも活字よりネットで テレビ離れも(2013年4月5日11時4分)
http://www.asahi.com/national/update/0404/TKY201304040073.html
<【川本裕司】若者の活字離れが指摘されるなか、インターネット上の文字情報やメールなどを含めると、10代と20代は30~60代よりも文字に接している時間が長いことが、東大の橋元良明研究室(情報学環)と総務省情報通信政策研究所によるメディア利用調査でわかった。10代と20代ではテレビ視聴よりネット利用の割合が高いことも明らかになった。メディアの信頼度では首位の新聞に次ぎ、テレビ、ネット、雑誌の順だった>。
<ネットの利用実態がわかる統計を求めていた総務省が、日本人の情報行動を5年ごとに調べてきた橋元教授(コミュニケーション論)とともに実施した。昨年9~10月、任意で選んだ全国の13~69歳計1500人に48時間の行動を日記式に記入してもらった>。
<その結果、1日のうち、動画を除いたネット上の文字系情報、メール、新聞、雑誌、書籍に接する情報行動は、10代が100分、20代が93分だった。ともに大半がネットとメールで、新聞や書籍、雑誌の合計は1割前後。ただ、文字への接触時間が70分前後だった30~60代を上回っていた>。
10代と20代はテレビよりネット利用の割合が高く、30~60代よりも文字への接触時間が長い、とのこと。この調査結果には、特に驚きはない。
違和感があるのは、「若者は文字が好き…でも活字よりネットで」という、この記事のタイトルだ。
「活字よりネットで」というのだから、ネットは活字に含まれない、という見方だろう。記事の中でも、冒頭に「若者の活字離れが指摘されるなか」という決まり文句が置かれ、いっぽうネットのほうは、「インターネット上の文字情報」「ネット上の文字系情報」という言い方がされている。要するに、紙に印刷された文字だけが「活字」で、ネットのほうは「文字情報」ということらしい。
紙に印刷された文字だけを「活字」と見なすのであれば、「若者の活字離れ」という俗説は、ほとんどナンセンスだろう。若者かどうかにかかわりなく、紙の媒体自体が減っているのだから。この見方に立てば、「若者の活字離れ」というのは、若者はネットというあたらしい媒体に適応しており、いっぽう年長者は適応できない、という意味でしかないと思う。
いっぽう、ネットの文字情報も「活字」と見なすのであれば、「若者の活字離れ」は、むしろ反対になってしまう。この調査結果にも出ているように、若者はテレビよりもむしろネットに親しんでいて、文字を読み書きする量では、むしろ年長者よりも多いのだから。
どちらの見方に立っても、「若者の活字離れ」という俗説は、ナンセンスあるいは誤りであって、妥当とは言えないだろう。
ネットを活字に含めない、というこの記事の見方に立てば、私のブログも活字に含まれないし、この朝日新聞デジタルの記事も活字に含まれないのだ。そんなバカな話があるだろうか。朝日新聞デジタルは、自分のメディアを活字と思っていないのだろうか?
ウィキペディアに「活字離れ」という項があり、この話がズバリ書かれていた。
ウィキペディア - 活字離れ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%BB..
<活字離れは、教育者や保護者が学生をはじめとする若者について、あるいは識者らが社会全般の傾向として、言語能力の低下、勉学意欲の減退など、知的水準が落ちていると主張するとき、その原因として挙げられることが多い。また「出版不況」の原因ともいわれる。活字離れはしばしば社会問題のひとつとされ、活字媒体を好まない者を否定的に断じるとともに、そのような者をいかに減らすかが話題となる。 ただし、「活字離れ」を議論するときに、インターネットは巨大な活字媒体であるという視点からの発言は少ない。YouTubeなどの動画の再生以外は、8割以上インターネット上での情報伝達は活字である>。
<また、「活字を読む側」だけだった立場から、作家や編集者、ライターと同様の立場で「活字を発信する側」に立つ人が、ブログやEメールといった「デジタル活字」の出現によって格段に増えたのは、活字を通じた多様な文化形成に貢献しているといえる。その一方で、「活字」=「文字媒体」としたときに、紙媒体に載っている文字だけが「活字」だとするならば、「活字離れ」の議論も「(新聞・書籍などに限定された)狭義の活字論争」と言わざるを得ないという意見もある>。
まったくその通りだろう。「若者の活字離れ」という俗説は、紙媒体の側から出てきた、若者への言いがかりに過ぎないと思う。
むしろ、若者は年長者に比べて、情報を受け取るだけでなく、情報を発信する機会が増えている。これは少なくとも、日本語の運用力を高めているはずだ。
情報の受容という点だけでも、ネットはテレビや紙媒体に比べて、はるかに多様な情報がある。ゴミも多いが、専門的な情報、簡潔にポイントをおさえた情報がたくさんある。
トータルに見れば、むしろネットに親しんでいる若者のほうが、日本語運用力も高く、情報リテラシーも高いのではないだろうか。
関連エントリ:
「真逆(まぎゃく)」は日本語の進化か、退化か
http://mojix.org/2012/09/10/magyaku
マスコミに対するブログの強み
http://mojix.org/2009/01/13/blog_strength
http://www.asahi.com/national/update/0404/TKY201304040073.html
<【川本裕司】若者の活字離れが指摘されるなか、インターネット上の文字情報やメールなどを含めると、10代と20代は30~60代よりも文字に接している時間が長いことが、東大の橋元良明研究室(情報学環)と総務省情報通信政策研究所によるメディア利用調査でわかった。10代と20代ではテレビ視聴よりネット利用の割合が高いことも明らかになった。メディアの信頼度では首位の新聞に次ぎ、テレビ、ネット、雑誌の順だった>。
<ネットの利用実態がわかる統計を求めていた総務省が、日本人の情報行動を5年ごとに調べてきた橋元教授(コミュニケーション論)とともに実施した。昨年9~10月、任意で選んだ全国の13~69歳計1500人に48時間の行動を日記式に記入してもらった>。
<その結果、1日のうち、動画を除いたネット上の文字系情報、メール、新聞、雑誌、書籍に接する情報行動は、10代が100分、20代が93分だった。ともに大半がネットとメールで、新聞や書籍、雑誌の合計は1割前後。ただ、文字への接触時間が70分前後だった30~60代を上回っていた>。
10代と20代はテレビよりネット利用の割合が高く、30~60代よりも文字への接触時間が長い、とのこと。この調査結果には、特に驚きはない。
違和感があるのは、「若者は文字が好き…でも活字よりネットで」という、この記事のタイトルだ。
「活字よりネットで」というのだから、ネットは活字に含まれない、という見方だろう。記事の中でも、冒頭に「若者の活字離れが指摘されるなか」という決まり文句が置かれ、いっぽうネットのほうは、「インターネット上の文字情報」「ネット上の文字系情報」という言い方がされている。要するに、紙に印刷された文字だけが「活字」で、ネットのほうは「文字情報」ということらしい。
紙に印刷された文字だけを「活字」と見なすのであれば、「若者の活字離れ」という俗説は、ほとんどナンセンスだろう。若者かどうかにかかわりなく、紙の媒体自体が減っているのだから。この見方に立てば、「若者の活字離れ」というのは、若者はネットというあたらしい媒体に適応しており、いっぽう年長者は適応できない、という意味でしかないと思う。
いっぽう、ネットの文字情報も「活字」と見なすのであれば、「若者の活字離れ」は、むしろ反対になってしまう。この調査結果にも出ているように、若者はテレビよりもむしろネットに親しんでいて、文字を読み書きする量では、むしろ年長者よりも多いのだから。
どちらの見方に立っても、「若者の活字離れ」という俗説は、ナンセンスあるいは誤りであって、妥当とは言えないだろう。
ネットを活字に含めない、というこの記事の見方に立てば、私のブログも活字に含まれないし、この朝日新聞デジタルの記事も活字に含まれないのだ。そんなバカな話があるだろうか。朝日新聞デジタルは、自分のメディアを活字と思っていないのだろうか?
ウィキペディアに「活字離れ」という項があり、この話がズバリ書かれていた。
ウィキペディア - 活字離れ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%BB..
<活字離れは、教育者や保護者が学生をはじめとする若者について、あるいは識者らが社会全般の傾向として、言語能力の低下、勉学意欲の減退など、知的水準が落ちていると主張するとき、その原因として挙げられることが多い。また「出版不況」の原因ともいわれる。活字離れはしばしば社会問題のひとつとされ、活字媒体を好まない者を否定的に断じるとともに、そのような者をいかに減らすかが話題となる。 ただし、「活字離れ」を議論するときに、インターネットは巨大な活字媒体であるという視点からの発言は少ない。YouTubeなどの動画の再生以外は、8割以上インターネット上での情報伝達は活字である>。
<また、「活字を読む側」だけだった立場から、作家や編集者、ライターと同様の立場で「活字を発信する側」に立つ人が、ブログやEメールといった「デジタル活字」の出現によって格段に増えたのは、活字を通じた多様な文化形成に貢献しているといえる。その一方で、「活字」=「文字媒体」としたときに、紙媒体に載っている文字だけが「活字」だとするならば、「活字離れ」の議論も「(新聞・書籍などに限定された)狭義の活字論争」と言わざるを得ないという意見もある>。
まったくその通りだろう。「若者の活字離れ」という俗説は、紙媒体の側から出てきた、若者への言いがかりに過ぎないと思う。
むしろ、若者は年長者に比べて、情報を受け取るだけでなく、情報を発信する機会が増えている。これは少なくとも、日本語の運用力を高めているはずだ。
情報の受容という点だけでも、ネットはテレビや紙媒体に比べて、はるかに多様な情報がある。ゴミも多いが、専門的な情報、簡潔にポイントをおさえた情報がたくさんある。
トータルに見れば、むしろネットに親しんでいる若者のほうが、日本語運用力も高く、情報リテラシーも高いのではないだろうか。
関連エントリ:
「真逆(まぎゃく)」は日本語の進化か、退化か
http://mojix.org/2012/09/10/magyaku
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http://mojix.org/2009/01/13/blog_strength