2013.04.29
紙の雑誌に書くということ
先日、雑誌『Spectator(スペクテイター)』にコラムを寄稿した旨を書いた。私が紙の雑誌に原稿を書いたのは、おそらく10数年ぶりである。

「紙の雑誌に書く」という感覚をすっかり忘れてしまったので、いつものブログと同じような調子で書いたのだが、やはりブログとはどうも勝手が違う。どこが違うかというと、主に次のような点だ。

1)字数制限がある
2)あとで直せない
3)出るのが遅い

まずいちばん苦しんだのが、1)の字数制限である。もう字数制限というものが存在することすら忘れるほど、長らく紙の雑誌に書いていなかったのだが、字数制限がこんなにも苦しいとは、思ってもみなかった。

字数制限という制約があると、全体の構成が大きく左右されるので、何を書くかというテーマすら左右される。つまり、テーマを考える段階にはじまり、構成を考え、じっさい書くときまで、つねに字数制限という重荷を背負い、その重圧に耐えながら進んでいくのだ。

紙の雑誌に書いているライターなら、誰でもこれをやっているはずだが、これはなかなかたいへんである。昔、紙の雑誌によく書いていた頃の私は、文章はヘタクソだったにせよ、いつもこれをやっていたはずなのだ。なぜそんなことができていたのか、いまでは不思議に思う。それくらい、いまの私にとって、字数制限というのはたいへんな重荷だった。

2)の「あとで直せない」というのは、字数制限と違い、原稿を書いているときは、特に不自由を感じなかった。しかし、原稿を提出してしまったあと、「ここはこうすればよかった」「ここをちょっと変えたい」というのがいろいろ出てきた。ブログであれば、アップしたあとでも直すことができるが、紙の原稿だとそうはいかない。もう、腹をくくってあきらめるしかない。

また、雑誌が完成して、自分の原稿が載ったのを見てからも、「ああ、ここはこうすればよかった」というのが、いろいろ出てきた。ブログであれば、じっさいにアップする前に、載った状態のプレビューを見ることもできるが、紙の雑誌ではそれもできない。

3)の「出るのが遅い」は、紙の雑誌だから当然なのだが、ブログにすっかり慣れてしまった私には、「わかってはいたが、こんなに遅いのか」と痛感させられた。今回、私が原稿を書いたのは2月の中頃で、そこから2か月ちょっとで雑誌が出たことになる。『Spectator』は年2回発行なので、これはむしろ早いくらいかもしれない。しかし、ブログの時間感覚にすっかり慣れきった私にとっては、2か月というのは大昔に感じられる。

しかし、こういう不自由なところがあっても、ひさびさに紙の雑誌に書くことができて、とてもうれしかった。私はもともと、紙の雑誌で育った人間なので、ひさしぶりに故郷(ふるさと)に帰ってきたような気がした。


関連エントリ:
雑誌『Spectator(スペクテイター)』最新号(27号)にコラムを書きました
http://mojix.org/2013/04/25/spectator
いまの私はウェブに生きているが、私という人間の基層には雑誌がある
http://mojix.org/2011/03/27/web-zasshi