2011.03.27
いまの私はウェブに生きているが、私という人間の基層には雑誌がある
最近、すっかり雑誌を買わなくなった。

PCとネットの世界に入る前の私は、雑誌が大好きだった。私は本もわりと好きなほうだと思うが、本よりも雑誌のほうが好きだと感じるくらい、雑誌が好きだった。

誰でも、自分の「本拠地」と感じるようなもの、いわば「心のよりどころ」を持っているものだと思う。かつての私の場合、それがまさに「雑誌」だった。私はわりと、いろいろなものに興味がある。私にとって雑誌というものは、その「いろいろなもの」を体現するメディアだった。

雑誌は本よりも扱う対象がひろいし、どこからでも読める。活字もあり、写真やビジュアルもある。雑誌というものは、その作り手が、自分の感性によって世界を切り取って、それを冊子に綴じたようなものだ。本と比べると、雑誌のほうがより、「編集」というもののおもしろさを体現している。作り手の力量や、組み合わせのマジックが、より直接的に出てくる。

雑誌は大きく分けて、広い話題をカバーする一般誌と、特定のジャンルを深堀りする専門誌、その2つの方向がある。私はどちらの方向も好きだった。一般誌は、いろいろな話題が並列・共存していて、文字通り「雑誌」というもののおもしろさを象徴している。いっぽう専門誌は、その特定のジャンルの深い世界がどんなものなのか、一気に見せてくれる。

雑誌はたいてい、その号のメインになる特集が1つか2つあり、あとはレギュラー執筆陣による連載記事、という構成が多い。毎号変わる特集と、毎号続いていく連載。この2つはいわば、雑誌というクルマの両輪のようなものだ。それが、雑誌というもののリズムをつくっている。

雑誌は、広告もおもしろい。話題のひろい一般誌の場合、広告を出している企業の幅もひろい。しかし、その雑誌の読者層というのがそれなりにあるので、そこを見据えた広告になっている。いっぽう、特定のジャンルに絞った専門誌の場合は、もちろんその特定のジャンルに関係した広告が多くなる。カメラの雑誌であればカメラの広告だらけだし、自作PCの雑誌であれば、自作PCパーツの広告だらけだ。広告だけで比べると、一般誌よりも専門誌のほうが、たいていマニアックで直接的なので、おもしろい。

そんな感じで、かつての私は、一般誌と専門誌の両方が好きだった。本屋に入りびたり(いまもそれなりに入りびたっているが)、いろいろな一般誌といろいろな専門誌を、立ち読みしまくっていた。そして、そのうちどうしても欲しいと思ったものを、サイフの許す範囲で買っていた。平均すれば、1日に1冊以上は買っていたと思う。

しかし最近の私は、すっかり雑誌を買わなくなった。そもそも、本屋で雑誌を立ち読みすることすら、あまりしなくなった。あれほど好きだった雑誌なのに。

それでもたまに、雑誌を買ってみることがある。しかし、買うときは読もうと思って買うのに、買っても結局、あまり読まない。かつてのように、雑誌をじっくり読もうという気にならないのだ。

かつての私は、雑誌に書いたり、自分でも小さな雑誌をつくったりしていた。だから雑誌が好きだったのかもしれないし、「本拠地」と感じていたのかもしれない。というか、雑誌が好きだったから、雑誌に書いたり、雑誌をつくっていたのだろう。

しかし、PCとネットの世界に入って、雑誌への熱意はだんだんさめていった。それは私だけでなく、少なからぬ人が、おそらくそうだったのだと思う。雑誌というメディア自体、かつての隆盛に比べれば、かなり衰退したように見える。

しかし逆にいえば、かつて雑誌にかかわっていたり、雑誌が好きだった読者層が、いまはウェブの世界に移ってきたとも言える。雑誌が衰退したというよりも、かつて雑誌が担っていた役割が、おそらくウェブにひろがってきたのだ。

いまの私が雑誌を買うのは、買って読もうという純粋な楽しみよりも、資料性の高い特集などがあって、「買っておこう」という場合が多い。単に読んで楽しむという部分は、かなりの程度ウェブでも実現してしまっているが、資料性の高い特集などは、雑誌がいまでも保持している強みのひとつだろう。

そんな感じで、いまの私にとって、雑誌はもう「過去のもの」ではある。しかし、私は間違いなく、雑誌によって育った人間だし、雑誌が「ふるさと」なのだ。

「育ち」というものは、死ぬまでその人間を規定するところがある。「ふるさと」から遠く離れて、「ふるさと」がもう好きではなくなったとしても、そこで育ったということが、その人間の基層をつくっている。

いまの私はウェブに生きているが、私という人間の基層には、雑誌がある。この「育ち」は変わらないし、変えられないだろう。

ウェブはウェブであり、私もそれはわかっている。しかし私はおそらく、ウェブを雑誌のように見ているのだ。


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