会社が社員をきちんと評価できていないからこそ、雇用流動性が必要なのだ
昨日の「解雇規制がなくなり、雇用流動性が増すとどうなるのか」に対して、はてなブックマークでこういうコメントがあった。
<会社に「ペイしている社員」を見極める力があればそうですね。そこが疑問視されてるんじゃないかな>(zu2さん)
<優秀な人に辞められて困るのは現場だけで経営者は困らない。そもそも優劣の判断ができるなら成果主義で解決してる>(ymScottさん)
<労働者のコストパフォーマンスを厳密に測定することは出来ない、という事実こそ、我々が成果主義という迷妄から得たわずかな知見だと思うのだが>(rajendraさん)
これらはいずれも、会社はちゃんと「ペイしている社員」を見分けられるのか、社員を正しく評価できるのか疑問だ、という趣旨の意見だと思う。
成果測定や成果主義はたしかにむずかしい。しかし雇用流動性を考えるにあたっては、成果をきちんと測定できなくてもなんら問題はない。むしろ、成果主義に限界があるからこそ、雇用流動性が必要になるのだ。
会社が「あなたには年間300万円払います」と言ったとする。それが「会社があなたにつけた評価額」だ。
これに対して、あなたは「それは安い、年間500万円もらわないとダメだ」と言ったとする。これが「あなたがあなた自身につけた評価額」だ。
この「300万円」と「500万円」のどちらが「正しい」のかは、神のみぞ知る。どっちも間違っているかもしれない。「ほんとうの価値」なんて、誰にもわからないのだ。ここでは「ほんとうの価値」などわからなくても、両者の評価額さえ出ていれば十分だ。
もしここで両者が一歩も譲らなければ、取引は成立せず、あなたは年間500万円もらえる別の会社を探しに行くことになる。
ここで、すぐに年間500万円もらえる別の会社が見つかったら、元の会社に見る目がなく、あなたの自己評価が「正しかった」ことになる。逆に、そんな会社はいくら探しても見つからなかったら、あなたの自己評価は高すぎ、「間違っていた」ことになる。
このプロセスで起きているのは、まさに「市場取引」だ。売りたい人と買いたい人が、ある値段で合意すれば取引が成立する。「ほんとうの価値」なんてわからなくても、その取引が成立した値段が「市場価格」になる。
雇用においてこのような「市場」が成立するには、雇用流動性があるということが前提になる。雇用流動性が高ければ、年間500万円の能力を持っている人は、年間500万円出してくれる会社を見つけやすい。
しかし雇用流動性が低いと、労働がこのような「市場」にならない。年間500万円の能力を持っている人が、他の会社の仕事を探しても、なかなか見つからないのだ。
なぜならば、ほんとうはこの年間500万円の能力を持っている人を欲しい会社はたくさんあるのに、それらの会社には年間500万円とりながらぜんぜん働かない人、年間800万円とっている馬鹿な管理職、年間1000万円とっている無能な役員などがあふれかえっていて、さらにそういう人を解雇することもできないので、新規に採用ポストを作れないのだ。
けっきょく、雇用流動性があれば、会社側に見る目がなくてあなたを過小評価した場合、あなたの自己評価が妥当であれば、あなたはすぐに別の仕事を見つけられる。
しかし雇用流動性がないと、別の仕事があまり出回らなかったり、質の悪い仕事しかないので、あなたは転職することができず、いまの会社の過小評価を受け入れるしかないのだ。
解雇規制によって雇用流動性が低い現状では、会社側は「ペイしている社員」に対して、この「転職しにくい」という現実を利用して、待遇を「過小評価」しているともいえる。これは、「ペイしていない社員」に対して、働きが低いのに人並みの給料を出しているという「過大評価」と表裏一体のものだ。
会社や経営陣がちゃんと人材を評価できていない、つまりまともに働いている社員を過小評価しているというのが現状だとすれば、雇用流動性が増したほうが、その社員は得をするのだ。
雇用流動性が増せば、過小評価されていると感じた社員はどんどん流出するから、その会社は傾いたり、つぶれたりする。経営陣の無能さはこうして証明される。こうならないために、経営者は社員をきちんと評価する必要が生じる。
しかし雇用流動性が低いと、社員を過小評価してもなかなか流出しないから、会社は過小評価に気づかなかったり、気づいていても改めない。いまの日本はまさにこの状況にある。
会社や経営陣は無能で、自分は過小評価されていると思っている人は、雇用流動性を歓迎しないと筋が通らないのだ。
ちなみに、冒頭に紹介したコメントと同じブックマークページで、fromdusktildawnさんはこう書いている。
<「人間」には「どの労働者がペイするかどうか」を判別できないからこそ、われわれは市場メカニズムという「情報システム」によって、マクロ的にその判別を行い、全体の福祉を増大させている>。
これはまさに、私が上で「市場」として説明した部分の話だ。会社(経営者)が社員を過小評価しても、雇用が流動する「市場」があれば、社員は自分をちゃんと評価してくれる別の会社を見つけられるのだ。
このマッチングをおこない、誤った評価を是正してくれるのが「市場」であって、fromdusktildawnさんはこれを「情報システム」と表現している。
関連エントリ:
解雇規制がなくなり、雇用流動性が増すとどうなるのか
http://mojix.org/2008/06/03/what_if_fluid_employment
IT産業を呪縛する 「変われない日本」
http://mojix.org/2008/06/02/kawarenai_nihon
雇用規制撤廃と減税で日本経済は再生する
http://mojix.org/2008/05/28/revive_japan_economy
<会社に「ペイしている社員」を見極める力があればそうですね。そこが疑問視されてるんじゃないかな>(zu2さん)
<優秀な人に辞められて困るのは現場だけで経営者は困らない。そもそも優劣の判断ができるなら成果主義で解決してる>(ymScottさん)
<労働者のコストパフォーマンスを厳密に測定することは出来ない、という事実こそ、我々が成果主義という迷妄から得たわずかな知見だと思うのだが>(rajendraさん)
これらはいずれも、会社はちゃんと「ペイしている社員」を見分けられるのか、社員を正しく評価できるのか疑問だ、という趣旨の意見だと思う。
成果測定や成果主義はたしかにむずかしい。しかし雇用流動性を考えるにあたっては、成果をきちんと測定できなくてもなんら問題はない。むしろ、成果主義に限界があるからこそ、雇用流動性が必要になるのだ。
会社が「あなたには年間300万円払います」と言ったとする。それが「会社があなたにつけた評価額」だ。
これに対して、あなたは「それは安い、年間500万円もらわないとダメだ」と言ったとする。これが「あなたがあなた自身につけた評価額」だ。
この「300万円」と「500万円」のどちらが「正しい」のかは、神のみぞ知る。どっちも間違っているかもしれない。「ほんとうの価値」なんて、誰にもわからないのだ。ここでは「ほんとうの価値」などわからなくても、両者の評価額さえ出ていれば十分だ。
もしここで両者が一歩も譲らなければ、取引は成立せず、あなたは年間500万円もらえる別の会社を探しに行くことになる。
ここで、すぐに年間500万円もらえる別の会社が見つかったら、元の会社に見る目がなく、あなたの自己評価が「正しかった」ことになる。逆に、そんな会社はいくら探しても見つからなかったら、あなたの自己評価は高すぎ、「間違っていた」ことになる。
このプロセスで起きているのは、まさに「市場取引」だ。売りたい人と買いたい人が、ある値段で合意すれば取引が成立する。「ほんとうの価値」なんてわからなくても、その取引が成立した値段が「市場価格」になる。
雇用においてこのような「市場」が成立するには、雇用流動性があるということが前提になる。雇用流動性が高ければ、年間500万円の能力を持っている人は、年間500万円出してくれる会社を見つけやすい。
しかし雇用流動性が低いと、労働がこのような「市場」にならない。年間500万円の能力を持っている人が、他の会社の仕事を探しても、なかなか見つからないのだ。
なぜならば、ほんとうはこの年間500万円の能力を持っている人を欲しい会社はたくさんあるのに、それらの会社には年間500万円とりながらぜんぜん働かない人、年間800万円とっている馬鹿な管理職、年間1000万円とっている無能な役員などがあふれかえっていて、さらにそういう人を解雇することもできないので、新規に採用ポストを作れないのだ。
けっきょく、雇用流動性があれば、会社側に見る目がなくてあなたを過小評価した場合、あなたの自己評価が妥当であれば、あなたはすぐに別の仕事を見つけられる。
しかし雇用流動性がないと、別の仕事があまり出回らなかったり、質の悪い仕事しかないので、あなたは転職することができず、いまの会社の過小評価を受け入れるしかないのだ。
解雇規制によって雇用流動性が低い現状では、会社側は「ペイしている社員」に対して、この「転職しにくい」という現実を利用して、待遇を「過小評価」しているともいえる。これは、「ペイしていない社員」に対して、働きが低いのに人並みの給料を出しているという「過大評価」と表裏一体のものだ。
会社や経営陣がちゃんと人材を評価できていない、つまりまともに働いている社員を過小評価しているというのが現状だとすれば、雇用流動性が増したほうが、その社員は得をするのだ。
雇用流動性が増せば、過小評価されていると感じた社員はどんどん流出するから、その会社は傾いたり、つぶれたりする。経営陣の無能さはこうして証明される。こうならないために、経営者は社員をきちんと評価する必要が生じる。
しかし雇用流動性が低いと、社員を過小評価してもなかなか流出しないから、会社は過小評価に気づかなかったり、気づいていても改めない。いまの日本はまさにこの状況にある。
会社や経営陣は無能で、自分は過小評価されていると思っている人は、雇用流動性を歓迎しないと筋が通らないのだ。
ちなみに、冒頭に紹介したコメントと同じブックマークページで、fromdusktildawnさんはこう書いている。
<「人間」には「どの労働者がペイするかどうか」を判別できないからこそ、われわれは市場メカニズムという「情報システム」によって、マクロ的にその判別を行い、全体の福祉を増大させている>。
これはまさに、私が上で「市場」として説明した部分の話だ。会社(経営者)が社員を過小評価しても、雇用が流動する「市場」があれば、社員は自分をちゃんと評価してくれる別の会社を見つけられるのだ。
このマッチングをおこない、誤った評価を是正してくれるのが「市場」であって、fromdusktildawnさんはこれを「情報システム」と表現している。
関連エントリ:
解雇規制がなくなり、雇用流動性が増すとどうなるのか
http://mojix.org/2008/06/03/what_if_fluid_employment
IT産業を呪縛する 「変われない日本」
http://mojix.org/2008/06/02/kawarenai_nihon
雇用規制撤廃と減税で日本経済は再生する
http://mojix.org/2008/05/28/revive_japan_economy