2008.06.02
IT産業を呪縛する 「変われない日本」
ITproの高橋信頼記者より、先日の私のエントリ(「雇用規制撤廃と減税で日本経済は再生する」)を紹介したとの連絡をいただき、さっそく読んだ。

ITpro - 学生とIT業界トップの公開対談で胸を衝かれたこと---IT産業を呪縛する“変われない日本”
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20080530/305172/

ここしばらくIT系ブログやソーシャルブックマークなどで大きな話題になっていた、IPAX2008での対談イベント(関連記事は末尾を参照)をふりかえりつつ、そこにあらわれたIT業界の問題点が分析されている。

まず、IT業界のダメっぷりを示すこのエピソードが面白い。

<昔、「行き詰ったプロジェクトを立て直す」というテーマで取材したときに、ある大手システム・インテグレータで聞いた話だ。そのインテグレータで、火を噴いたあるプロジェクトをどうリカバリしたかというと、「外注先にものすごく生産性の高いプログラマがひとりいて、そいつをカンヅメにして、わんこそばのように仕様書を次々と渡して一気に作らせた」のだという。それほど優秀なプログラマも、大手インテグレータにスカウトされたりはしなかった。大手の社員になるか下請けになるかは、新卒入社時に決まる身分制度のようなものだからだ>。

IT業界にいる人間なら、ありそうな話だと感じるだろう。こういう「身分制度」はたしかに存在する。
(それにしても、「わんこそばのように」っていうのは面白い)

つづけて、IT業界の生産性や品質を下げる多重下請け構造の原因として、先日の私のエントリを引いて、以下のように書かれている。

<ブレイクビーンズの桜井通開氏は、受託中心と多重下請けの原因は、どちらも日本の雇用規制にあると指摘する。解雇するための規制が厳しいため、ユーザー企業は短期間で技術が陳腐化するIT技術者を雇用するリスクを負えない。だから外注する。システム・インテグレータも雇用リスクを分散するため、社員を雇用するのではなく下請けに発注し、派遣技術者を使う(桜井氏のブログ)>。

その後、私がそのエントリでもリンクした楠さんの「SI業界もネット業界も世界に打って出られない理由」、池田信夫氏の「偽装請負を生み出しているのはだれか」「「就職氷河期」はなぜ起こったのか」といった重要なエントリが引かれている。

解雇規制の問題点について、ITproでここまで書かれたのは画期的だと思う。解雇規制は一見したところ、弱者を保護する「正義」の政策に見えるので、実はこれが悪いのだという話は、間違いなく反感を買う。一般人の大多数をも敵に回しかねないこんな政策は、政治家がみずからこれを言い出すことも期待できない。一種の「タブー」なわけだ。しかし、「一般人の大多数」が間違うこともあるわけで、解雇規制の問題はまさにその例だ。

「解雇規制はむしろ正規雇用を減らしてしまう」というのは、経済学者や労働の専門家のあいだでは比較的知られた見方のようで、OECDも日本にこの解雇規制の是正を勧告しているほどだ。そもそも私がこの視点を得たのも、池田信夫氏楠さんがずっと前からこの論点を書き続けていたからで、いろいろ調べていくうちに、その正しさを確信するに至った(関連は末尾参照)。

しかしこれは特に経済学者や専門家でなくても、会社を経営する立場の人間であれば、誰でもわかる話なのだ。解雇できないなら、最初から採用しないに決まっている。これが金儲け主義だなどと批判されるとすれば、もはやビジネスも会社も資本主義も成立せず、共産主義にするしかないだろう。実際、解雇規制という「企業に雇用を強制する」仕組みは、半分共産主義みたいなものだと思う。

ITproの記事では、その「タブー」たる解雇規制の問題を採り上げつつ、雇用流動性の問題を次のようにまとめている。

<国際競争力、多重下請け、就職先としての魅力の乏しさ。そのすべての根元に雇用流動性の問題がある。“日本的雇用慣行”と呼ばれてきたものだ。
 “日本的雇用慣行”はIT産業だけでなく、あらゆる産業に存在する。しかし、IT産業における技術革新と産業構造のスピードの変化により“日本的雇用慣行”の負の部分や矛盾が最も先鋭的な形で噴出している。“変われない日本”がIT産業にからみつき、ぬかるみのように足をすくう>。

その後、まつもとゆきひろ氏と梅田望夫氏の対談より、技術者はもっと転職、起業すべきだというまつもと氏の提言が紹介されている(ここでのまつもと氏の話はポール・グレアム「本当は上司なんて必要ない」の論旨ときわめて近い)。そして梅田氏と斉藤孝氏の対談をまとめた『私塾のすすめ――ここから創造が生まれる』(ちくま新書)より、梅田氏・斉藤氏が戦っている<まったく同じもの>として、以下の部分が引かれている。

<『時代の変化』への鈍感さ、これまでの慣習や価値観を信じる『迷いのなさ』、社会構造が大きく変化することへの想像力の欠如、『未来は創造し得る』という希望の対極にある現実前提の安定志向、昨日と今日と明日は同じだと決め付ける知的怠惰と無気力と諦め、若者に対する『出る杭は打つ』的な接し方>

これが<日本社会を閉塞させる、あまりに強大な敵>であり、<強大である理由は、それが外部ではなく、人々の心の中にあるからだ>という梅田氏の言葉が引かれている。これが、記事のタイトルにもある「変われない日本」なのだ。

そして最後に、ITエンジニアが目指すべきひとつの手本、「ロールモデル」として、「アルファギーク」と呼ばれる技術者にフォーカスをあてて、記事を終えている。

高橋記者はこれまでも、オープンソースの文化や価値観を支持する記事を精力的に書かれている印象がある。今回の記事では、まつもと氏や梅田氏の言葉、アルファギークを紹介する後半部分がそれにあたるだろう。しかし今回は、前半部分で日本のIT業界の問題点を思い切って指摘したうえで、そこから後半につなげているという点で、いっそう「果敢」な内容になっていると思う。全体として冷静でバランスがとれている記事だと思うが、前半で解雇規制問題という「タブー」に踏み込んだ高橋記者の勇気に、あらためて敬意を表したい。私が個人ブログで好き勝手に書くのとはわけが違う。

記事の中で、高橋記者はこう書いている。

<日本が変わっていかなければならないとすれば、真っ先に変わることができるのは、変化の激しいIT産業をおいてほかにない。それは働く人間が、個人を押し潰す組織の論理にNOと言うこと、NOと言える力をつけることから始まるのではないか>。

このメッセージは、きっとじわじわ広がっていくと思う。

IPAX2008 対談イベント関連:
ITpro - 「IT技術者はやりがいがある仕事か」---学生とIT産業のトップが公開対談
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20080528/304458/
はてなブックマークでの同記事の反響
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20080528/304458/
@IT - 「10年は泥のように働け」「無理です」――今年も学生と経営者が討論
http://www.atmarkit.co.jp/news/200805/28/ipa.html
はてなブックマークでの同記事の反響
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.atmarkit.co.jp/news/200805/28/ipa.html

解雇規制関連:
NIKKEI NET - 日本の正社員は過保護?・OECDが労働市場分析
http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20080305AT3S0401404032008.html
RIETI - 非正規雇用と格差―処遇の均衡へ制度改革
http://www.rieti.go.jp/jp/papers/contribution/tsuru/13.html
書籍『日本のニート・世界のフリーター―欧米の経験に学ぶ』 (中公新書ラクレ)
http://www.amazon.co.jp/dp/4121501977
書籍『脱格差社会と雇用法制―法と経済学で考える』
http://www.amazon.co.jp/dp/4535555125

関連エントリ:
雇用規制撤廃と減税で日本経済は再生する
http://mojix.org/2008/05/28/revive_japan_economy
格差は問題ではなく、日本をどうやって成長軌道に乗せるかが問題だ
http://mojix.org/2008/05/03/japans_growth
日本のプロセス改善と人材流動性の関係
http://mojix.org/2008/03/29/japan_process

Update(2008/6/3):
このエントリを補完する「解雇規制がなくなり、雇用流動性が増すとどうなるのか」を書きました。