リベラル・アーツは 「自由人の技術」
ウィキペディア - リベラル・アーツ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA...
<リベラル・アーツの起源は古代ギリシアにまで遡る。プラトンの『国家』では哲学の予備学として、ムーシケー(文芸)および幾何学の学習が必要であることが説かれる。これは自由人としての教養であり、手工業者や商人のための訓練とは区別される。(この自由人は、古代ギリシア社会においては、同時に「非奴隷」であることも意味しており、今日的な意味で「自由」を捉えると原義はわかりにくいものになる)>。
古代ギリシアでは、文芸と幾何学が<自由人としての教養>であり、<手工業者や商人のための訓練>とは区別されていて、この「自由人」が「非奴隷」を意味していた、というのは面白い。
<古代ローマにおいて技術(アルス ars)は自由人の諸技術(アルテース・リーベラーレース artes liberales)と手の技である機械的技術(アルテース・メーカニカエ artes mechanicae)に区別された。前者を英語に訳したものが「リベラル・アーツ」である>。
古代ローマでもその区別は引き継がれ、「技術」が大きく「自由人の諸技術」と「機械的技術」に区別されたという。この前者が「リベラル・アーツ」なわけだ。
<ローマ時代の末期に5世紀後半から6世紀にかけて、自由技術は七つの科目からなる「自由七科」(セプテム・アルテース・リーベラーレース septem artes liberales)として定義された。自由七科はさらに、主に言語にかかわる3科目の「三学」 (トリウィウム trivium) と主に数学に関わる4科目の「四科」 (クワードリウィウム quadrivium) の二つに分けられる。
それぞれの内訳は三学が文法・修辞学・弁証法(論理学)、四科が算術・幾何・天文・音楽である。哲学はこの自由七科の上位に位置し、自由七科を統治すると考えられた。哲学はさらに神学の予備学として、論理的思考を教えるものとされる。この自由七科の編成は、キリスト教の理念に基づき教育内容を整えるためギリシア・ローマ以来の諸学が集大成されたものと見ることもできる>。
古代ギリシアの「自由人としての教養」、古代ローマの「自由人の諸技術」が、ローマ時代末期にカリキュラムとして成立したのが「自由七科」で、言語にかかわる「三学」と、数学に関わる「四科」で成立した。これらの上位に哲学があった。
<13世紀のヨーロッパで大学が誕生した当時、自由七科は学問の科目として公式に定められた。ヨーロッパ中世の大学では、法学部などの専門学部に進む前に、学生はこれらの科目を学芸学部ないし哲学部で学習した。このため現在でもヨーロッパやその大学体系を引き継いだオーストラリアの大学では、哲学は文学部でなく、独立の学部である哲学部で教えられることがある。
英米の大学ではしばしば、それぞれの学問を象徴する女神像を、講堂(オーディトリアム)の高みにぐるりと7つの学科を代表する女神の立像が飾られる>。
その後に成立した大学では、自由七科が公式に採用されて、法律などの専門分野に進む前に教えられるものになった、ということらしい。哲学も自由七科と一体だったようだ。
こうして読んでみると、あらためて次のようなことがわかる。
・リベラル・アーツは言語と数学であること
・リベラル・アーツは哲学と切り離せないこと
・専門分野に入る前にリベラル・アーツが必要であること
つまり、リベラル・アーツという基礎をすっ飛ばしていきなり専門分野に行く、というのはありえなかったわけだ。
またリベラル・アーツが「自由人」のための教養・技術であり、手工業者や商人のための「機械的技術」と区別されていることも見逃せない。当時の「自由人」とは「非奴隷」のことで、いまの「自由」とは意味が異なるにしても、それが「意味しているもの」はいまでも通用すると思う。
手工業者や商人のための「機械的技術」は、長らく低い位置に見られていたようだが、18世紀のディドロ、ダランベールらによる「百科全書」の頃には評価が見直されている。自然科学も17世紀あたりから本格的に発展しはじめ、その後産業革命も起きるなど、近代以降はむしろ「機械的技術」によって世界が塗り替えられていった、とも言える。
こうして見てみると、西洋における学問・技術の歴史は、まずリベラル・アーツ(言語・数学)が基礎としてあり、それを土台に専門分野がある、という体系が古代から現在まで脈々と受け継がれている。またそれとは別の「機械的技術」があり、最初は低い地位にあったものの、だんだん評価され、実際に世の中を変えていく、という流れのようだ。
これに対して日本では、むしろ「職人的伝統」は古くからあるものの、こういう学問体系のような伝統がない。そのためか、リベラル・アーツはほとんどやらず、いきなり専門分野や「機械的技術」に入っていくようなところがあると思う。
日本は技術や文化などの「こまかい」もの、ミクロなスキルでは優れているが、政治や経営などの「大局的」なもの、マクロなスキルでは劣っている。そのひとつの理由は、日本人にはこのリベラル・アーツという基礎教養が抜けているからではないだろうか。
日本人の行動特性として、「自由」よりもむしろ「奴隷」を志向するように見えるのも、このリベラル・アーツが抜けていて、大局的な思考ができない、というのも一因かもしれない。
関連エントリ:
なぜ論理的思考力が重要なのか
http://mojix.org/2008/05/09/logical_thought
数学と科学の違い
http://mojix.org/2008/05/07/math_and_science
標準教養試験
http://mojix.org/2008/04/06/standard_kyouyou
山崎養世によるバランスのとれた日本評
http://mojix.org/2008/03/27/yamazaki_yasuyo
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA...
<リベラル・アーツの起源は古代ギリシアにまで遡る。プラトンの『国家』では哲学の予備学として、ムーシケー(文芸)および幾何学の学習が必要であることが説かれる。これは自由人としての教養であり、手工業者や商人のための訓練とは区別される。(この自由人は、古代ギリシア社会においては、同時に「非奴隷」であることも意味しており、今日的な意味で「自由」を捉えると原義はわかりにくいものになる)>。
古代ギリシアでは、文芸と幾何学が<自由人としての教養>であり、<手工業者や商人のための訓練>とは区別されていて、この「自由人」が「非奴隷」を意味していた、というのは面白い。
<古代ローマにおいて技術(アルス ars)は自由人の諸技術(アルテース・リーベラーレース artes liberales)と手の技である機械的技術(アルテース・メーカニカエ artes mechanicae)に区別された。前者を英語に訳したものが「リベラル・アーツ」である>。
古代ローマでもその区別は引き継がれ、「技術」が大きく「自由人の諸技術」と「機械的技術」に区別されたという。この前者が「リベラル・アーツ」なわけだ。
<ローマ時代の末期に5世紀後半から6世紀にかけて、自由技術は七つの科目からなる「自由七科」(セプテム・アルテース・リーベラーレース septem artes liberales)として定義された。自由七科はさらに、主に言語にかかわる3科目の「三学」 (トリウィウム trivium) と主に数学に関わる4科目の「四科」 (クワードリウィウム quadrivium) の二つに分けられる。
それぞれの内訳は三学が文法・修辞学・弁証法(論理学)、四科が算術・幾何・天文・音楽である。哲学はこの自由七科の上位に位置し、自由七科を統治すると考えられた。哲学はさらに神学の予備学として、論理的思考を教えるものとされる。この自由七科の編成は、キリスト教の理念に基づき教育内容を整えるためギリシア・ローマ以来の諸学が集大成されたものと見ることもできる>。
古代ギリシアの「自由人としての教養」、古代ローマの「自由人の諸技術」が、ローマ時代末期にカリキュラムとして成立したのが「自由七科」で、言語にかかわる「三学」と、数学に関わる「四科」で成立した。これらの上位に哲学があった。
<13世紀のヨーロッパで大学が誕生した当時、自由七科は学問の科目として公式に定められた。ヨーロッパ中世の大学では、法学部などの専門学部に進む前に、学生はこれらの科目を学芸学部ないし哲学部で学習した。このため現在でもヨーロッパやその大学体系を引き継いだオーストラリアの大学では、哲学は文学部でなく、独立の学部である哲学部で教えられることがある。
英米の大学ではしばしば、それぞれの学問を象徴する女神像を、講堂(オーディトリアム)の高みにぐるりと7つの学科を代表する女神の立像が飾られる>。
その後に成立した大学では、自由七科が公式に採用されて、法律などの専門分野に進む前に教えられるものになった、ということらしい。哲学も自由七科と一体だったようだ。
こうして読んでみると、あらためて次のようなことがわかる。
・リベラル・アーツは言語と数学であること
・リベラル・アーツは哲学と切り離せないこと
・専門分野に入る前にリベラル・アーツが必要であること
つまり、リベラル・アーツという基礎をすっ飛ばしていきなり専門分野に行く、というのはありえなかったわけだ。
またリベラル・アーツが「自由人」のための教養・技術であり、手工業者や商人のための「機械的技術」と区別されていることも見逃せない。当時の「自由人」とは「非奴隷」のことで、いまの「自由」とは意味が異なるにしても、それが「意味しているもの」はいまでも通用すると思う。
手工業者や商人のための「機械的技術」は、長らく低い位置に見られていたようだが、18世紀のディドロ、ダランベールらによる「百科全書」の頃には評価が見直されている。自然科学も17世紀あたりから本格的に発展しはじめ、その後産業革命も起きるなど、近代以降はむしろ「機械的技術」によって世界が塗り替えられていった、とも言える。
こうして見てみると、西洋における学問・技術の歴史は、まずリベラル・アーツ(言語・数学)が基礎としてあり、それを土台に専門分野がある、という体系が古代から現在まで脈々と受け継がれている。またそれとは別の「機械的技術」があり、最初は低い地位にあったものの、だんだん評価され、実際に世の中を変えていく、という流れのようだ。
これに対して日本では、むしろ「職人的伝統」は古くからあるものの、こういう学問体系のような伝統がない。そのためか、リベラル・アーツはほとんどやらず、いきなり専門分野や「機械的技術」に入っていくようなところがあると思う。
日本は技術や文化などの「こまかい」もの、ミクロなスキルでは優れているが、政治や経営などの「大局的」なもの、マクロなスキルでは劣っている。そのひとつの理由は、日本人にはこのリベラル・アーツという基礎教養が抜けているからではないだろうか。
日本人の行動特性として、「自由」よりもむしろ「奴隷」を志向するように見えるのも、このリベラル・アーツが抜けていて、大局的な思考ができない、というのも一因かもしれない。
関連エントリ:
なぜ論理的思考力が重要なのか
http://mojix.org/2008/05/09/logical_thought
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http://mojix.org/2008/05/07/math_and_science
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http://mojix.org/2008/04/06/standard_kyouyou
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http://mojix.org/2008/03/27/yamazaki_yasuyo