大学の講義ノートを売るビジネス
Cheshire Life - テスト前に講義ノートを売るというビジネスがおもしろい
http://d.hatena.ne.jp/coconutsfine/20080723#1216809258
<そんな僕の大学ではテスト前になると講義ノートが非公式に販売される。事前に、ノートをコピーさせてくれる人には2万円あげるから綺麗にうつしておいてね、みたいな感じのバイトの広告が生徒に配られていて、それを販売しているようだ。これは他の大学でもあるのかはわからないけど、うちの大学では結構あたりまえのことらしく、ほぼ全ての生徒がその事実を認識している>。
<ところが本日その講義ノート販売に大学が注意を促してきた。内容は、講義ノートのみをたよりに試験を乗り切ろうとする風潮は大学としては好ましくなく、試験は大学での授業への出席を前提とした理解度を総合的にはかるものということと、大学での授業の意味を理解して欲しい、というものだった>。
これは面白い話。
私が大学の頃(もう20年くらい前)は、試験対策のプリント(シケプリ)を学生が自主的に作り、それが出回るというのはあったが(おそらくいまでもあるだろう)、それを販売するとか、ノート取りをビジネスとして請け負うというのはなかったと思う。
<そのノートを見るだけで試験を乗り越えられるくらいの学力がつくのならそれは歓迎すべきことだし、もしノートを見ただけで試験を乗り越えられるようなら、授業がその十数枚の紙程度の内容しかなかったということになるか、実力を問うような試験をつくることができなかったことになる。「授業にでている人にだけわかる問題」というのが確かに存在するのだろうけど、それは講義ノートをみればすぐにわかるような単なる合い言葉ではなくて、本来は「授業の内容を理解していれば解ける問題」なので、講義ノートを見ただけでその問題が解けるのであれば授業の内容を理解しているのでやっぱり問題は無い>。
このcoconutsfineさんは現役の大学生のようだが、大学側がこれに注意をうながしているのに、よくこれをブログに書いたと思う。
これについては、私もcoconutsfineさんに賛成だ。「時間を節約させる」ソリューションをお金で売るのは正当なことであって、ビジネスの基本ですらある。世の中には、お金を出して時間を買いたい人がたくさんいる。
半年の授業に出なくても、それだけ見れば試験に通るようなノートをまとめられた人がいれば、それはそのノートの作者がそれだけ優れているのであり、対価を受け取るに値する。
大学は義務教育ではないから、講義に出席するかどうかは、自分の判断だ。講義に出て得られるものもあるし、講義以外の活動で得られるものもある。どうしても出席が必要な授業は、教官側で出席を義務にすればいいし、実際そうしているだろうから、出席が義務でない場合は、不正でなければどんな方法で試験を通ったって構わないと思う。
マジメに勉強すれば成果が出るとは限らない。それは、マジメに働いても成果が出るとは限らないのと同じだ。現実の社会では、マジメさももちろん重要な資質だが、能力の違いやプロセスの違いも結果に大きな差を生む。
大学生はもう子供ではないから、「マジメさ」を教えてもしょうがない。「マジメさ」を評価するのではなく、成果や結果の達成度を評価するべきだ。
この大学も「好ましくない」程度の声明を出しているだけで、禁止したり、単位を無効にしたりしているわけではないみたいだから、それでいいと思う。大学が「ノート販売をジャンジャンやってください」とは言いにくいだろうし。
coconutsfineさんも書いているように、むしろ教官の側が、その2万円のノートに負けない授業をするように努力すべきだろう。そうやって互いに切磋琢磨していくのがいい。
関連エントリ:
勉強も仕事も、量より質が重要
http://mojix.org/2008/04/30/study_work_quality
http://d.hatena.ne.jp/coconutsfine/20080723#1216809258
<そんな僕の大学ではテスト前になると講義ノートが非公式に販売される。事前に、ノートをコピーさせてくれる人には2万円あげるから綺麗にうつしておいてね、みたいな感じのバイトの広告が生徒に配られていて、それを販売しているようだ。これは他の大学でもあるのかはわからないけど、うちの大学では結構あたりまえのことらしく、ほぼ全ての生徒がその事実を認識している>。
<ところが本日その講義ノート販売に大学が注意を促してきた。内容は、講義ノートのみをたよりに試験を乗り切ろうとする風潮は大学としては好ましくなく、試験は大学での授業への出席を前提とした理解度を総合的にはかるものということと、大学での授業の意味を理解して欲しい、というものだった>。
これは面白い話。
私が大学の頃(もう20年くらい前)は、試験対策のプリント(シケプリ)を学生が自主的に作り、それが出回るというのはあったが(おそらくいまでもあるだろう)、それを販売するとか、ノート取りをビジネスとして請け負うというのはなかったと思う。
<そのノートを見るだけで試験を乗り越えられるくらいの学力がつくのならそれは歓迎すべきことだし、もしノートを見ただけで試験を乗り越えられるようなら、授業がその十数枚の紙程度の内容しかなかったということになるか、実力を問うような試験をつくることができなかったことになる。「授業にでている人にだけわかる問題」というのが確かに存在するのだろうけど、それは講義ノートをみればすぐにわかるような単なる合い言葉ではなくて、本来は「授業の内容を理解していれば解ける問題」なので、講義ノートを見ただけでその問題が解けるのであれば授業の内容を理解しているのでやっぱり問題は無い>。
このcoconutsfineさんは現役の大学生のようだが、大学側がこれに注意をうながしているのに、よくこれをブログに書いたと思う。
これについては、私もcoconutsfineさんに賛成だ。「時間を節約させる」ソリューションをお金で売るのは正当なことであって、ビジネスの基本ですらある。世の中には、お金を出して時間を買いたい人がたくさんいる。
半年の授業に出なくても、それだけ見れば試験に通るようなノートをまとめられた人がいれば、それはそのノートの作者がそれだけ優れているのであり、対価を受け取るに値する。
大学は義務教育ではないから、講義に出席するかどうかは、自分の判断だ。講義に出て得られるものもあるし、講義以外の活動で得られるものもある。どうしても出席が必要な授業は、教官側で出席を義務にすればいいし、実際そうしているだろうから、出席が義務でない場合は、不正でなければどんな方法で試験を通ったって構わないと思う。
マジメに勉強すれば成果が出るとは限らない。それは、マジメに働いても成果が出るとは限らないのと同じだ。現実の社会では、マジメさももちろん重要な資質だが、能力の違いやプロセスの違いも結果に大きな差を生む。
大学生はもう子供ではないから、「マジメさ」を教えてもしょうがない。「マジメさ」を評価するのではなく、成果や結果の達成度を評価するべきだ。
この大学も「好ましくない」程度の声明を出しているだけで、禁止したり、単位を無効にしたりしているわけではないみたいだから、それでいいと思う。大学が「ノート販売をジャンジャンやってください」とは言いにくいだろうし。
coconutsfineさんも書いているように、むしろ教官の側が、その2万円のノートに負けない授業をするように努力すべきだろう。そうやって互いに切磋琢磨していくのがいい。
関連エントリ:
勉強も仕事も、量より質が重要
http://mojix.org/2008/04/30/study_work_quality