2008.08.09
Googleマップのストリートビューに対する苦痛感が、なぜ日本のほうが強いのか
Googleマップのストリートビューに対して日本で起きている反発に関して、essaさんが鋭い考察をしている。

アンカテ - 安心社会から信頼社会への移行をグーグルが強制している
http://d.hatena.ne.jp/essa/20080808/p2

山岸俊男が『安心社会から信頼社会へ』で提示した「安心」と「信頼」の対比を議論のベースにしつつ、

(A) 二車線以上の道路や駅などのパブリックな空間
(B) 路地のようなコミュニティの空間
(C) 家の内部のようなプライベートな空間

の3つに空間を分けた場合、アメリカと日本では以下の差があるとしている。

アメリカ: (A)と(B)の境界が不明確。(B)と(C)の境界がきっちり仕切られている。
日本: (B)は「安心」できる空間。(A)と(B)の境界が重要で、(B)と(C)の境界があいまい。

(以上、表現は私が要約している)

これはとても面白い話だと思う。

アメリカと日本では、こういう捉え方、マインドがもともと違うというのは当然あるだろう。Googleのストリートビューは、そのアメリカの捉え方をベースに作られているので、日本のほうが違和感が大きくなるわけだ。

この物理空間に対する意識の差は、よく言われる「他者」の意識の違いとも重なりそうだ。アメリカ人は異質性を前提としているが、日本人は同質性を前提としている(これが、いじめや妬みを生む)。これがちょうど「信頼」と「安心」に対応していて、上記の3つの物理空間においては、中間的な距離である(B)でその違いがもっとも大きく出るわけだ。

またそれ以前に、単純に日本のほうが住宅の土地が狭いので、特に路地の場合、建物と道路がきわめて近くなるという物理的な違いもある。人間は、他人とあまりにも接近すると、苦痛や危険を感じる。これはほぼ人種によらない、人間の生物学的な性質だ。仮にアメリカ人と日本人にマインドの差がまったくないとしても、ストリートビューの撮影は日本のほうが「より至近距離からの撮影」になっているので、生物学的にも、苦痛がより大きくなると言えるかもしれない。

Googleマップのストリートビュー機能に思うこと」に書いたとおり、私は基本的にはこのサービスを支持する賛成派だが、反発が大きいのもよく理解できる。Googleはもう少し工夫して、事前に撮影の日時や場所を告知したり、撮影車をわかりやすくするなどすれば、印象もだいぶ違ってくるように思う。むしろ、「Googleの撮影車が来る!」ということで、日本各地が盛り上がるくらいかもしれない。

これだけ画期的なサービスを作り上げたのに、反発の声がさらに強くなっていけば、このサービスだけでなく、Google自体のブランドイメージまで下がりかねない。私はGoogleの「強行突破」的な行動原理とその成果を基本的には支持しているし、このサービスも中止する必要はないと思うが、もう少していねいにやったほうがいいと思う。

個人的には、社会学や心理学、都市計画などの専門家がGoogleのストリートビューをどう捉えているのか、ぜひ読んでみたい気がする。essaさんのエントリが面白いのは、そういう普遍的なテーマに触れているからだろう。

関連エントリ:
Googleマップのストリートビュー機能に思うこと
http://mojix.org/2008/08/06/google_street_view
パブリック空間、グループ空間、プライベート空間
http://mojix.org/2005/10/28/143702