2009.06.11
「バカなもの」を書いているのがむしろ「バカ」ではないことが「残念」なのではないか?
先日の「梅田望夫進化論」を補足したい。

梅田さんの「残念」インタビューに対する批判的な反応のなかに、こういう論旨のものをわりと見かけた。

1) 梅田望夫の『ウェブ進化論』は、ネットを肯定的に擁護して、一般人に対して煽った。
2) ネットが一般化すれば、衆愚化するのは必然だ。
3) その梅田望夫がいまさら「バカなものが多すぎる」「残念」と言って、一般人を切り捨てるのはどうなんだ?

この論旨は、私はちょっと違うように思う。そして、ここは梅田さんの「残念」において大事なポイントだと思うので、これについて私見を書いておきたい。

今回の梅田さんの「残念」は、昨年のTwitterでの「はてぶのコメントはバカなものが多すぎる」発言とほぼ同じ趣旨であり、『ウェブ時代をゆく』の第4章「ロールモデル思考法」の一節(<つまらないことで人の揚げ足を取ったり粗探しばかりしている人を見ると、よくそんな暇があるなと思う>)や、「好きを貫け」のエントリの言い換えである、というのは「梅田望夫進化論」に書いた通りだ。

ではここで「バカなものが多すぎる」「残念」と嘆かれているのは、ネットの一般化によってネットに流入した「一般人」、いわば「衆愚」なんだろうか?

そうではない。梅田さんが嘆いているのは「一般人」ではなくて、揚げ足取りや粗探しばかりしているような人、いわば「ネガティブすぎる人」であるのは、読めば明らかだと思う。

そしてこの「ネガティブすぎる人」は、Twitterの発言に「はてぶのコメント」とある通り、かなりの部分、はてなブックマークが想定されている。なにしろ、「はてな取締役であるという立場を離れて言う」という前置きで書かれているのだ。

はてなブックマークで「ネガティブすぎる人」は、梅田さんの『ウェブ進化論』を読んでネットに入ってきたような「一般人」だろうか?そうではなく、むしろ「先進的なユーザ」だと思う。どちらかといえば、『ウェブ進化論』を読んでネットに入ってくるのとは反対に、『ウェブ進化論』に対して「こんなことはとっくに知っているよ」と言いそうなくらい、「先進的なユーザ」だろう。

つまり、梅田さんが嘆く「ネガティブすぎる人」は、どちらかというと「先進的なユーザ」なのだ。ネットの一般化によって「衆愚化」をもたらす人たちというよりも、ネットが一般化する前から使っているベテランユーザであり、むしろ「ネットの衆愚化を嘆く」ような人たちなのだ。

「ネガティブすぎる人」はむしろ「先進的なユーザ」であり、本来は決して「バカ」ではない、むしろ利発で、頭のいい人たちなのだ。その先進的かつ利発な人たちが、自分の才能や時間をネガティブな言説に費やすことを、梅田さんは「残念」と嘆いているのだと思う。

この「残念」問題の核心は、ネットの一般化や「衆愚化」ではなくて、むしろ先進的なユーザの「ネガティブな態度」にある。その才能のムダ使いと、ネガティブな言説がネットを「萎縮」させてしまい、他の書き手や潜在的なユーザを締め出してしまうこと、この2つが「残念」なのだ。