2009.06.08
梅田望夫進化論
先日ITmediaに載った梅田望夫インタビューがすごい反響だ(はてなブックマークのページから、関連ページが辿れる)。特にネガティブな反応が実に多くて、これは私もひとこと書いておきたいと思ったので、書くことにする。

最初に結論を書くと、「梅田望夫はだんだん自然体になっている」んだと私は思う。いまの梅田さんのほうが、おそらく本来の梅田さんの姿だ。

ウェブ進化論』のときの梅田さんは、主にネット側(「あちら側」)に立って、そこからリアル側(「こちら側」)を「啓蒙」する立場だった。

当時の日本では、いまよりもネットに対する疑いやマイナスイメージがまだ強かったし、グーグルの圧倒的な強さやその意味なども、一般レベルではそれほど知られていなかった。この状況で、『ウェブ進化論』はグーグルをはじめとするウェブの新技術、それが切りひらく新しい社会を一般に知らしめるという役割があった。だからここでの梅田さんは、ネットに対して「戦略的にポジティブ」なスタンスを取っていた。

もともと梅田さんは、ネットに完全肯定な立場ではなかったと思うし、特に日本のネットの言説やカルチャーを擁護しているのはたぶん見たことがない。梅田さんのキャリア的にも、志向的にも、ネット側にまるごと入り込んでしまうようなスタンスではなかったように思う。そして、ネットや新技術に熱狂はしていても、あくまでもそれを「見る」というスタンスからの熱狂なのだ。野球をプレイする選手ではなくて、野球を中継するアナウンサーのような立場だ。その引いた立場から、「あちら側」と「こちら側」の両方の世界を突き放して見ることができたからこそ、ネットの新しい動向を「翻訳」して、一般人に紹介する役割を果たすことができた。

『ウェブ進化論』が出たときも、技術に詳しい人を中心に、「こんなことはとっくに知っているよ」といった反応がけっこうあった。それはある意味正しくて、『ウェブ進化論』は「一般啓蒙書」だったのだ。

私はCNETのブログ時代から梅田さんのファンだったので、『ウェブ進化論』の中身はもちろん知っていて、私にも新鮮さはなかった。私はむしろ、梅田さんの「まとめる能力」、その「仕事ぶり」のほうに感嘆した。

CNETのブログから、梅田さんのわかりやすい文章、「書く力」はわかっているつもりだったが、その数年分のエッセンスが新書にまとまり、一般人でも十分読める内容になっているのを見て、あらためて梅田さんの能力に感嘆したのだ(「梅田望夫『ウェブ進化論』は、「氷山の一角」のような本」)。

『ウェブ進化論』を読んで「こんなことはとっくに知っているよ」と思った人でも、『ウェブ進化論』を書くことはできないだろう。これくらい啓蒙的な本を書くには、内容に関する知識や専門性だけでなく、読み手に対して「わかりやすく書く」ということが最も重要であり、またそれがプロフェッショナルな書き手にとって「商売道具」となる、差別化のポイントだ。

特に梅田さんは、この手の本の書き手としては特殊だと思う。私の見るところ、梅田さんはビジネスやITの人というよりも、気質としては「人文系」の人だ。そのわかりやすくも繊細な文体は、徹底的に磨かれたもので、いわば「人文マニア」的なのだ。プログラマがいつもコードを書いていて、つねに設計を良くしようとリファクタリングするのと同じように、人文マニアにとっては「文体」がコードであり、それをどう構成するかという「設計」にこだわる。

私にとって梅田さんが特別な存在なのは、単に専門家的な知識があるとか、時代を見通す先見力があるというだけでなく、この「人文マニア」的なものを感じさせるという部分がかなり大きい。私自身、出身は理系で、いまもITをやっているが、気質的にはむしろ人文系の人間なので、梅田さんには親しみを感じるのだ。気質は人文系なのに、ビジネスとITの世界に身を置いている立場とか、福沢諭吉的な「独立」「自助」が価値観の中心にあるなど、梅田さんは私にとって共感できるポイントが多い。

そのように、私にとっての梅田さんは『ウェブ進化論』の人、専門家という感じではなく、むしろ「尊敬し、共感できる書き手」という感じの存在だった。それもあって、次の本は一般人にネットを啓蒙するのではなく、日本の次代を担う若い技術者を想定して、ビジネスについて啓蒙するような本をぜひ書いてほしいと思った。

梅田望夫 『ウェブ進化論』 は、「氷山の一角」のような本
http://mojix.org/2006/02/11/223518

<梅田ファンの私としては、いっぽうでリクエストもある。「あちら側」を「こちら側」に伝える、梅田氏が若い人から学ぶ、という方向性だけでなく、今度は梅田氏がこれまでのビジネスに関する知見を「若い人に伝える」ような本も読んでみたい。つまり、「こちら側」を「あちら側」に翻訳するような本だ>。

これに対して、梅田さんははてなブックマークで<わかりました>と書いてくれたのだ。

そして、梅田さんの次の本は『ウェブ時代をゆく』というものだった。これは『ウェブ進化論』とははっきり違う方向の本で、一般向けに新しいITの動向を伝えるような本ではなく、主に若い人に向けて「来るべき時代に備えよ」「人生いかに生くべきか」を説くような本だ。いわば、梅田さん流の「自己啓発本」だと言ってもいい。

私は『ウェブ進化論』に対しては、梅田さんの仕事ぶりに感嘆したが、内容的にはほぼ知っていることだったので、特に驚きはしなかった。しかしこの『ウェブ時代をゆく』は、完全に書き下ろしであり、私にはまったく予想できなかった内容で、実に驚いた。部分的には、梅田さんのブログですでに書いていたテーマなどが含まれてはいるが(「「好きな奴が勝つ」定理」で書いた話など)、まさか本自体の中心テーマが「生き方」のようなものになるとは、少しも思っていなかったのだ。そして私は、この本に大きな感銘を受けた。「高速道路」「けものみち」「ロールモデル思考法」「手ぶらの知的生産」といったメタファーやフレーズも見事で、『ウェブ進化論』以上に、梅田さんの「言語力」がますます発揮された内容になっている。

私は、あまりにも好きなものや、感銘を受けたものについては、逆にブログで書けなくなってしまうところがある。『ウェブ時代をゆく』もそうで、この本については何度も書こうと思ったのだが、結局ずっと書けないまま今に至ってしまった。

『ウェブ時代をゆく』は、<今度は梅田氏がこれまでのビジネスに関する知見を「若い人に伝える」ような本も読んでみたい>と書いた私の希望に対して、主なターゲットはまさに「若い人」であり、そして内容的には「ビジネス」というよりも「自己啓発本」に近いけれども、私も予想していなかったほど素晴らしい内容だったわけだ。梅田さんが私の希望を特に聞いてくれたということもないと思うが、私のリクエストを超えるものを書いてくれたような気がして、うれしかった。

『ウェブ進化論』がベストセラーになり、『ウェブ時代をゆく』もかなり売れて、梅田さんは完全に「売れっ子」と言ってもいいポジションになった。一般に「売れっ子」になっている著者に比べると、梅田さんは相当に仕事を選んでいると思うが、それでも対談本が出たり、あちこちの雑誌に出たりして、世間的な知名度も上がった。

そしていまでは、まさに『ウェブ進化論』がその一翼を担った「啓蒙」もあって、グーグルの強さについても広く知られるようになったし、ブログなどを通じてネットの一般化も進んで、ごく普通のオヤジ層などでも、ネットの重要性を疑う人はおそらくほとんどいないくらいになった。むしろ、テレビや新聞、雑誌などのマスメディアがことごとく、目に見えて凋落しはじめた一方で、ネットはますます存在感を高めている。

もう梅田さんが「啓蒙」しなくても、ネットの重要性を疑う人はほとんどいない。そして梅田さん自身、以前から宣言していた「サバティカル」という休暇のような期間に入って、今度は『シリコンバレーから将棋を観る』という本を出した。対談本や「5つの定理」などを除けば、「主著」としては『ウェブ時代をゆく』に続く本と言ってもいいと思うが、これが将棋の本になったわけだ。

梅田さんが将棋好きなのは以前から知られているし、最近は将棋関連の仕事も多かったようなので、梅田さんのブログを読んでいるような人には、これはそれほど唐突な本ではないと思う。しかしそれでも、メインテーマが「将棋」になったというのは、大きな変化を感じさせることは間違いない。梅田さんを「『ウェブ進化論』の人」と思っている一般人ならば、さらに飛躍を感じるだろう。私も変化を感じないわけではないが、「わたしが本当に書きたかったのはこの本でした」という梅田さんの言葉は、よくわかる感じがする。ちなみに私は、かつてはプロになりたかったくらい将棋が好きだったので、これも梅田さんとの接点かもしれない。

『ウェブ進化論』が一般向けの「啓蒙書」で、『ウェブ時代をゆく』が若者向けの「自己啓発書」だったとすれば、『シリコンバレーから将棋を観る』は、梅田さん自身のための「趣味の本」と言えるかもしれない。ある意味、梅田さんはまさに自分が「書きたい本」に向かっていっているのだ。とはいえ、ただの「将棋の本」にはもちろんならないのが梅田さんなわけで、naoyaさんのような若いITエンジニアをもインスパイアするような内容になっている。

私は梅田さんのこれまでの仕事をそのように見ているので、先日ITmediaに出たインタビューを読んでも、それほど意外感はなかった。

日本のWebは「残念」 梅田望夫さんに聞く(前編)
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0906/01/news045.html
Web、はてな、将棋への思い 梅田望夫さんに聞く(後編)
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0906/02/news062.html

冒頭にも書いたように、この2つの記事(特に前編)はネット上に大反響を巻き起こした。梅田さんが日本のWebに対して「残念」と発言したことで、ものすごい批判・バッシングが起きたのだ。

記事のインタビュアーは、ネットでは「有名人」といってもいい岡田有花記者。岡田さんはインタビュー冒頭でこう書いている。

<3年前、Googleを賞賛し、Webの可能性を力強くに語った梅田さんが今、Webについて語ることを休み、一流の棋士たちに魅了されている。梅田さんは日本のWebに絶望し、将棋に“乗り換え”てしまったのだろうか――記者は新刊からそんな印象を受け、梅田さんに疑問をぶつけた>。

岡田さんは、日本のネットで面白い活動をしている人を取材する記事をよく書いているので、このスタンスはわかる気がする。しかし私見では、岡田さんは心から疑問に思っているというよりも、面白いインタビューにするために、いくらか対立的なスタンスで臨んだ、というニュアンスじゃないかと思う。

インタビューの中身はとても面白く、岡田さんは普段の記事に比べると、やや意地悪に思える質問もしている気がするが、インタビュー記事としてフェアな範囲を超えるほどでもないと思う(現場を知らないので、梅田さんがどう思っているかはわからないが)。岡田さんは「変な会社」としてのはてなを最も精力的に紹介してきた人でもあり、このインタビューも悪意を感じるようなものではなく、やや踏み込んだ「挑戦」といったところだろう。その踏み込みによって、じつに面白いインタビューになったと思う。

そしてこれが、いわゆる「炎上」のような大反発を巻き起こしたということについても、私はもちろん事前に予想していたわけではないにしても、意外感はなかった。こういう集団的かつ感情的な「叩き」は、もはや日本のネットの風物詩とも言えるものだ。梅田さん近辺に絞っても、渡辺千賀さんの「海外で勉強して働こう」がつい最近、似たような反発を引き起こしたばかりだ。今回のインタビューに対するネガティブな大反響も、梅田さんが語っていることをまさに証明した格好になったと思う。

私は日本のWebにもいいところがあるのは自明だと思うし、悪いところがあるのも自明だと思う。梅田さんからすれば、『ウェブ進化論』の頃に持っていた期待値よりも、日本のWebの現状は低くなっているということだ。実際、今回の反応のような「炎上」、集団的なバッシングを恐れて、ブログを書かなくなったり、書くのをためらう人は少なくないはずで、このことの損失は計り知れないと私も思う。

私の理解しているところでは、梅田さんは「ウェブ肯定派」から「ウェブ否定派」に転じたわけではない。『ウェブ進化論』では、立ち位置としてはたしかに「ウェブ擁護」と言ってもいい側に梅田さんは立ったが、これは当時の日本では、ネットに対する「ネガティブ」な評価がまだ強かったので、これを「開国」させるために、「ポジティブ」な面を強調した。梅田さんは基本的にオプティミストで、ネガティブなことはあまり書かないが、『ウェブ進化論』の頃の「仮想敵」は、ネットを受け入れない「(リアル側の)古い日本」だったと思う。ネットに対して日本を「開国」させること、これが梅田さんの主な狙いのひとつだったと思う。

その後、日本でもネットの存在感は増して、大まかには梅田さんの望む方向に進んだ。しかし、そこで飛び交う言説の内容としては、梅田さんから見て、失望するようなネガティブなものが目立つようになったということだろう。それが、昨年のTwitterでの「はてぶのコメントには、バカなものが本当に多すぎる」発言や、今回のインタビューでの「残念」発言につながる。さすがにオプティミストの梅田さんも、自ら「ネガティブ」な発言を漏らしてしまうほど、失望させられたということだと思う。

『ウェブ進化論』でも、ネット全体を無条件に擁護するようなスタンスはなかったと思うが、徹底的にオプティミズムを貫いた「啓蒙本」なので、「ネット擁護」と取られてもおかしくない本ではあった。次の『ウェブ時代をゆく』の時点ではもう、「ネット擁護」と誤解される余地はあまりない内容になっている。そこでは「ウェブ時代」が最初から前提であって、その時代の特徴を理解して「いかに生くべきか」を説く本だから、望ましい考え方や行動の仕方を提案・示唆するものだ。

『ウェブ時代をゆく』の第4章「ロールモデル思考法」で、梅田さんはこう書いている。

<日本の若い人たちのブログを読んで思うのは、「人を褒める」のが下手だなということである。つまらないことで人の揚げ足を取ったり粗探しばかりしている人を見ると、よくそんな暇があるなと思う。もっと褒めろよ、心の中でいいなと思ったら口に出せよ、と思うことも多い。「人を褒める能力」とは「ある対象の良いところ」を探す能力」である>。

これとほぼ同趣旨なのが、次のエントリだ。

My Life Between Silicon Valley and Japan - 直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070317/p1

<僕だって君たちを見ていて、悪いところとか、足りないところとか、たくさん見えるよ。でもそんなことを指摘して何になる?
それでもっと悪いのは、ダメな大人の真似をして、自分のことは棚に上げて、人の粗探しばかりする人がいることだ。そうすると利口に見えると思っているかもしれないけど、そんなことしている暇があったら自分で何かやれ>。

このときから、梅田さんは別に何も変わっていないのだ。

もし仮にこれを読んで、では「バカなものが本当に多すぎる」とか「残念」というのは、「人の粗探し」じゃないのか?などと反論する人がいたら、あまりにも子供じみた、それこそ揚げ足取りだろう。これはつい漏らしてしまったという程度であり、梅田さんはネガティブな言説をほとんど書いていない。

これに対して、今回の梅田さんのインタビューを受けて巻き起こったネガティブな言説の量というのはすごいものがある。もちろん私が目にしたものはその一部だし、そのすべてが無意味とはもちろん思わないが、生産的な議論というよりも、感情的な反発が多いように思った。

その中でも、論旨としてわりと見かけたのは「日本のWebにもすごいものがあるのだし、それを評価しないのはフェアではない」といったものだったが、これはややピント外れだと思う。梅田さんが「バカなもの」「残念」と言っているのは、あまりにもネガティブな言説が多いことであって、それは上記の「ロールモデル思考法」の一節や、「人を褒めろ」のエントリと同じことだ。

また、「そのネガティブな言説を、はてなブックマーク自身が助長しているんじゃないか」といった批判もよく見かけた(池田信夫氏など)。これはある程度は妥当な批判であって、おそらく梅田さんが苦悩するポイントのひとつだと思う。これについて私は、むしろはてなや梅田さんが「オプティミズム」に立っており、ユーザの自主性を尊重しているからこそ、現状のようなシステムになっている、と捉えている。ネガティブな言説の責任は、基本的にはその言説の生産者にある、というのがおそらくはてなや梅田さんのスタンスであり、私もこのスタンスに基本的に賛成だ。もちろん、現状のはてなブックマークは「Wisdom of Crowds」の成立条件を満たしていないので情報カスケード(皆が他人の行動をマネする)も起きやすく、それも含めて改善の余地はあると思うが、ネガティブな言説をシステム的に全部押さえ込むことは、すべてを承認制にでもしない限り、どのみち不可能だろう。<群集の知恵だけを集めて、狂気を集めないようにするのは難しい>のだ。

システムが性善説を前提としているのは、はてなだけでなく、ネット自体がそうだ。この「オプティミズム」が、ネットをここまで成功させてきたのだ。しかし性善説を前提としたシステムは、ネガティブなものも見境なく許容する。こうしたネットの特性と現状に対して、「オプティミズム」の可能性を強調したのが『ウェブ進化論』という本だった。次の『ウェブ時代をゆく』では、システムのオプティミズムではなくて、主に若い人に向けて、いわば「ポジティブな人間であれ」と説いたわけだ。「バカなものが本当に多すぎる」とか「残念」は、これの言い換えにすぎない。

これに対して、「ネガティブな言説を放置するな、システム的に取り締まれ」と言うのは、ひとつの方法ではあるが、システムの性善説=「オプティミズム」を捨てろ、と言っているのに近い。この検閲的な解決方法を安易に採りたくない、というのがはてなと梅田さんの気持ちであるはずで、ここに苦悩が生じる。梅田さんの「バカなものが本当に多すぎる」とか「残念」は、その苦悩から漏れた言葉だ。システムの性善説=「オプティミズム」を採っているからこそ、「ポジティブな人間であれ」と説いているのであって、そこには矛盾がなく、むしろ一貫していると思う。「残念」と苦悩しつつも「オプティミズム」を保持しているのは、それでも基本的には「ユーザを信じたい」という姿勢のあらわれだろう。

岡田有花さんによる今回のインタビューでは、梅田さんは多少ガードをゆるめてしまい、「本音」が出てしまったのだと思う。しかし、主張や論旨という意味では、これまで梅田さんが書いてきたことと矛盾はなく、一貫していると私は思う。<梅田さんは日本のWebに絶望し、将棋に“乗り換え”てしまった>というよりも、むしろだんだん本来の梅田さんの姿、「地」の梅田さんが出てきている、というように感じられた。

今回のインタビューの「残念」程度で、これだけネガティブな反発が大きいというのは、ちょっとした言葉尻を捉えられてしまうくらい、梅田さんの影響力が強くなったということでもあるだろう。梅田さんがつい漏らした「失言」がネットを駆け巡っているような感じで、まるで総理大臣みたいな騒がれ方だ。

もちろん、梅田さんに対する否定的な評価は以前からあったけれども、今回のインタビューがこれだけ大きな反発を呼んだことは、それだけ梅田さんの存在が大きくなったということでもあると思う。以前から梅田さんを評価していない人は、ある意味一貫しているが、今回のインタビューで梅田さんに「失望」した、それこそ「残念」だったというような人は、むしろ梅田さんへの期待が大きく、梅田さんに「ネットの擁護者」みたいな役割を期待していたのかもしれない。

梅田さんは、『ウェブ進化論』という本があまりにも売れて、それが梅田さんの「代名詞」のようになってしまった。梅田さんはそのポジションにわざと乗るのではなく、むしろ自分がより「自然体」になれる方向に向かっているのだと思う。今回のインタビューに対して起こった反発は主に、求められているポジション、誤解されたイメージと、梅田さんの現在地のズレが引き起こしたものではないだろうか。

梅田さんの本では、『ウェブ進化論』よりも『ウェブ時代をゆく』のほうが、「梅田さんにしか書けない」本になっていると思う。そして、その独自性をさらに追求したのが『シリコンバレーから将棋を観る』で、書名から「ウェブ」が消え、将棋に軸足が移ったのだ。私にとっては、梅田望夫は「進化」していて、次はどんな本を書いてくれるのか、ますます楽しみな「書き手」になっている。


関連:
ITmedia - 日本のWebは「残念」 梅田望夫さんに聞く(前編)
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0906/01/news045.html
ITmedia - Web、はてな、将棋への思い 梅田望夫さんに聞く(後編)
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0906/02/news062.html
My Life Between Silicon Valley and Japan - 直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070317/p1
ウィキペディア - 梅田望夫
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E7%94%B0%E6%9C%9B%E5%A4%AB

関連エントリ:
梅田望夫 『ウェブ進化論』 は、「氷山の一角」のような本
http://mojix.org/2006/02/11/223518
日本はアメリカの「のびのび」を見習おう
http://mojix.org/2005/07/14/212640

Update(2009.6.9):
このエントリを、梅田さんが自身のブログで紹介してくれた。

My Life Between Silicon Valley and Japan - 棋聖戦第一局の観戦記を書きに行ってきます。
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20090607/p1

<IT Mediaでのインタビュー記事がたいへんお騒がせしていて、それについて何も反応できておらず、すみません。頭と心の整理がついたところで、いずれ何かここに書きます。ただそれまでの間は、このエントリーをお読みいただくのが、僕の気持ちにいちばん近いです。どうしてこれほど他者のことがわかり、それを正確な文章に移しかえることができるのだろう、と正直なところ思ったほどでした>。

私の解釈は梅田さん自身の気持ちとそれほど遠くなかったようで、とてもうれしい。

はてなブックマークでも200以上のブックマークがついていて、うれしいコメントもたくさんある。長々と書いた甲斐があった。