「マンガの殿堂」国立メディア芸術総合センター(仮称)に117億円の税金を投入すべきか
Internet Watch - “マンガの殿堂”の目的は? 里中満智子氏ら「箱物」批判に反論(2009/06/04 20:44)
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2009/06/04/23684.html
<マンガやアニメ、ゲームなどを収集展示する拠点施設として、2009年度補正予算案に事業費117億円が盛り込まれた「国立メディア芸術総合センター(仮称)」について、マンガ家の里中満智子氏らが4日、「メディア芸術の歴史を築くために必要。やがては、予算の何倍もの経済効果をもたらす」などとその意義を説明した。
里中氏は「日本のマンガルネッサンスと言われている1950~60年代のマンガの破損状況がひどい」と指摘。十年ほど前から知り合いに原画の保管を呼びかけてきたというが、作者が亡くなると遺族が捨ててしまうケースもあるという。里中氏は「100年後には資料が残らず、当時のマンガを検証できなくなる」として、原画をアーカイブ化する意義を訴えた>。
政府の税金ムダ使いが何よりも嫌いな私だが、この「マンガの殿堂」の話は、確かに「ハコモノ」の中ではそれほど筋が悪くないと思う。マンガの破損がひどいという話もよく聞くし、里中氏が言っている<原画をアーカイブ化する意義>という趣旨そのものはわかる。
しかし、この手の話はつねに、その当事者にとっては「これは税金を投入する価値があり、国が先導してやるべき事業なのだ」と感じられるものだろう。いろいろな分野で、そういう当事者の要望をぜんぶ聞いて回っていたら、税金がいくらあっても足りない。そもそも、これまでの数ある「ハコモノ」だって、少なからずこの種のロジックで正当化されて、予算が通ってきたはずなのだ。その結果、初期費用だけでなく、運営費用でも赤字をタレ流しつづけるハコモノが大量にできてしまったのだ。
<国立メディア芸術総合センターに関する文化庁の検討会で主査を務めた、東京大学大学院教授の浜野保樹氏も「施設は必要」と語る。一部で「箱物行政」と批判されていることについては、「運営が厳しいと言われているが、個人的には民間に委託したり寄付を募るなどのアイデアがある。100年後には大きな国の財産になるはず」と反論した。
「箱物行政」の指摘に対しては、里中氏も「原画の保存には箱が必要」と反論。マンガを常時展示することについては、「現在流通しているすべてのマンガを展示する必要性は感じていない」としたほか、展示する場合には著作権者や出版社に経済効果がもたらされるようにしたり、Web上で「マンガ資料館」を提供することも視野に入れているという>。
「100年後には大きな国の財産になるはず」という浜野保樹氏の意見はおそらく正しくて、個人的に浜野氏は好きな論者でもあるが、だからといって税金を投入することが正当化できるのか、やはり疑問だ。「この金融商品を買えば、将来必ず儲かりますよ」というセールストークと、それは基本的に変わらないのではないか。儲かるかどうか、ペイするかどうかという見通しの正しさが問題なのではなくて、この種のロジックで国民の税金を投入することが正当なのかどうかという問題だろう。
マンガだけでなく、芸術は一般に、政府が税金で守るのではなく、情熱を持った民間人が守ったほうがいい。なぜならば、芸術というのは特に「価値の判断」が難しいもので、それを政府ができるとは思えない。政府がやるとしても、どのみち民間の有識者に任せることになるのだから、最初から政府を介在させないほうがいい。
将来大きな財産になることが確かなのであれば、税金で保護するのではなく、むしろ民間から出資を募って、原画などを買い取るアーカイブ事業を起こし、その事業やコンテンツの権利を売ったほうがいいと思う。それならば税金のムダ使いも一切起こらず、事業の運営者も政府に口出しされず自由にやれて、(見通しと事業運営が正しければ)出資者も儲かって、マンガのアーカイブも守られるだろう。
芸術というのは多かれ少なかれ、「金持ちの道楽」という面がある。マンガはもっと大衆芸術、サブカルチャー寄りかもしれないが、生活の余裕としての「遊び」という意味ではほぼ同じだ。政府がほんとうに芸術や遊びを守り、育てたいと思うならば、税金を集めて「保護」するのではなく、そのぶん減税して好きに使わせたほうがいい。日本は累進課税で金持ちをなるべく作らないようにしているが、むしろ金持ちがいたほうが、芸術に出資するパトロンや、起業家に出資するエンジェルなども出てくる。金持ちは政府よりもカネに詳しいし、政府と違って自分のカネなので、政府よりもカネを大事に使うのだ。
関連エントリ:
「アメ」と「ムチ」は一体であり、「アメ」だけもらうことはできない
http://mojix.org/2009/05/29/ame_muchi
「保護」はシステムを弱体化させ、自立する力を失わせる
http://mojix.org/2009/05/07/hogo_jakutaika
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2009/06/04/23684.html
<マンガやアニメ、ゲームなどを収集展示する拠点施設として、2009年度補正予算案に事業費117億円が盛り込まれた「国立メディア芸術総合センター(仮称)」について、マンガ家の里中満智子氏らが4日、「メディア芸術の歴史を築くために必要。やがては、予算の何倍もの経済効果をもたらす」などとその意義を説明した。
里中氏は「日本のマンガルネッサンスと言われている1950~60年代のマンガの破損状況がひどい」と指摘。十年ほど前から知り合いに原画の保管を呼びかけてきたというが、作者が亡くなると遺族が捨ててしまうケースもあるという。里中氏は「100年後には資料が残らず、当時のマンガを検証できなくなる」として、原画をアーカイブ化する意義を訴えた>。
政府の税金ムダ使いが何よりも嫌いな私だが、この「マンガの殿堂」の話は、確かに「ハコモノ」の中ではそれほど筋が悪くないと思う。マンガの破損がひどいという話もよく聞くし、里中氏が言っている<原画をアーカイブ化する意義>という趣旨そのものはわかる。
しかし、この手の話はつねに、その当事者にとっては「これは税金を投入する価値があり、国が先導してやるべき事業なのだ」と感じられるものだろう。いろいろな分野で、そういう当事者の要望をぜんぶ聞いて回っていたら、税金がいくらあっても足りない。そもそも、これまでの数ある「ハコモノ」だって、少なからずこの種のロジックで正当化されて、予算が通ってきたはずなのだ。その結果、初期費用だけでなく、運営費用でも赤字をタレ流しつづけるハコモノが大量にできてしまったのだ。
<国立メディア芸術総合センターに関する文化庁の検討会で主査を務めた、東京大学大学院教授の浜野保樹氏も「施設は必要」と語る。一部で「箱物行政」と批判されていることについては、「運営が厳しいと言われているが、個人的には民間に委託したり寄付を募るなどのアイデアがある。100年後には大きな国の財産になるはず」と反論した。
「箱物行政」の指摘に対しては、里中氏も「原画の保存には箱が必要」と反論。マンガを常時展示することについては、「現在流通しているすべてのマンガを展示する必要性は感じていない」としたほか、展示する場合には著作権者や出版社に経済効果がもたらされるようにしたり、Web上で「マンガ資料館」を提供することも視野に入れているという>。
「100年後には大きな国の財産になるはず」という浜野保樹氏の意見はおそらく正しくて、個人的に浜野氏は好きな論者でもあるが、だからといって税金を投入することが正当化できるのか、やはり疑問だ。「この金融商品を買えば、将来必ず儲かりますよ」というセールストークと、それは基本的に変わらないのではないか。儲かるかどうか、ペイするかどうかという見通しの正しさが問題なのではなくて、この種のロジックで国民の税金を投入することが正当なのかどうかという問題だろう。
マンガだけでなく、芸術は一般に、政府が税金で守るのではなく、情熱を持った民間人が守ったほうがいい。なぜならば、芸術というのは特に「価値の判断」が難しいもので、それを政府ができるとは思えない。政府がやるとしても、どのみち民間の有識者に任せることになるのだから、最初から政府を介在させないほうがいい。
将来大きな財産になることが確かなのであれば、税金で保護するのではなく、むしろ民間から出資を募って、原画などを買い取るアーカイブ事業を起こし、その事業やコンテンツの権利を売ったほうがいいと思う。それならば税金のムダ使いも一切起こらず、事業の運営者も政府に口出しされず自由にやれて、(見通しと事業運営が正しければ)出資者も儲かって、マンガのアーカイブも守られるだろう。
芸術というのは多かれ少なかれ、「金持ちの道楽」という面がある。マンガはもっと大衆芸術、サブカルチャー寄りかもしれないが、生活の余裕としての「遊び」という意味ではほぼ同じだ。政府がほんとうに芸術や遊びを守り、育てたいと思うならば、税金を集めて「保護」するのではなく、そのぶん減税して好きに使わせたほうがいい。日本は累進課税で金持ちをなるべく作らないようにしているが、むしろ金持ちがいたほうが、芸術に出資するパトロンや、起業家に出資するエンジェルなども出てくる。金持ちは政府よりもカネに詳しいし、政府と違って自分のカネなので、政府よりもカネを大事に使うのだ。
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http://mojix.org/2009/05/07/hogo_jakutaika