2009.05.29
「アメ」と「ムチ」は一体であり、「アメ」だけもらうことはできない
政府は「アメ」と「ムチ」を持っている。

保護やバラマキ、補助金は「アメ」だ。
規制や税金は「ムチ」だ。

「ムチ」が苦痛なもので、自由を奪うことは誰にも明らかだろう。
注意すべきなのは「アメ」だ。それは一見ありがたいもののようだが、以下のような欠点がある。

1) 政府の裁量で勝手に決められる。
2) 政府が決めるので、そこに利権が発生し、癒着や腐敗が起きやすい。
3) その原資はけっきょく税金なので、国民がそのコストを払わされる。
4) これに甘えていると、個人も会社も弱体化する。

このように、「アメ」は天から降ってくるものではなく、
多くの副作用やコストを増やしつつ、結局は「ムチ」をさらに増やすものだ。

「アメ」を求めるということは、「ムチ」も受け入れるということだ。
「タダめし」「フリーランチ」は存在しない。「代金」が必要なのだ。

この「アメ」と「ムチ」こそ、政府そのものだ。
「アメ」をより多く求めれば、政府は大きくなり、「ムチ」も増える。

「アメ」と「ムチ」がどのくらい欲しいのか。政府をどのくらい大きくしたいのか。
それは国民の判断にかかっている

これを判断するには、「アメ」と「ムチ」が一体であることをまず理解する必要がある。
「アメ」だけもらうことはできない。


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