1年のあいだに5700万人が職を失い、5100万人が採用されるアメリカ
ボストンのベンチャーキャピタルに勤める古賀洋吉氏が、こう書いている。
愛の日記 @ ボストン - たった1年で5100万の雇用を生み出すアメリカの雇用流動性
http://yokichi.com/2009/11/post-239.html
<アメリカの2008年9月から2009年9月の12ヶ月の雇用状況の話だが、この間に、無職の人口が600万人増加した。ここですごいのは、5700万の職が失われ、5100万の新たな雇用が発生した結果が600万人であるということ。すさまじい再雇用の勢いであり、どうりでクビになった友人たちはわりと能天気なわけだ。たった12ヶ月の間に、9人が仕事を失いそのうち8人が仕事を見つけるというプロセスを600万回繰り返してこうなったということ>。
この話は、トム・ピーターズのブログから引かれている(「tompeters! - The Mess Will Save Us. Eventually.」)。トム・ピーターズも書いているように、600万の失業が生じたことはもちろん悲しむべきことだが、そのあいだに5100万の職が生まれており、人材の移動が起きたというのはすごいことだ。
アメリカの人口は約3億人だから、5100万というのは約6人に1人である。日本の人口で換算すれば、約2000万人だ。労働人口を国民の半分とすれば、アメリカではこの1年で、労働者の3人に1人が転職したことになる。「この1年で3人に1人が転職」って、実に驚くべき数字だ。
この話を受けて、古賀氏はこう書いている。
<日本政府がつぶれかけの大型業界の雇用を守るために補助金を投入し延命措置を行い、銀行がやらせることの無いバブル世代の高給取りを守り、労働組合が半死状態の航空会社にトドメをさし、解雇された人が「私は前と同じ業界じゃなきゃ働かない介護の仕事なんてしたくない」と言い、「派遣村」に押し寄せた人々が職を探す時間を惜しんでキレている間に、アメリカでは僕達の目の前で今もすさまじい勢いで雇用能力・競争力のある会社や産業に労働力がシフトしている。長期的にはこの新陳代謝の高さがアメリカの回復力に大きく影響するだろう>。
まったく同感だ。この不況で600万の失業が生じたとしても、同時に5100万の移動が起きたこと、その「新陳代謝」の意味はきわめて大きい。これが次の成長につながるのだ。
今の失業率の数字だけ見れば、アメリカより日本のほうがマシかもしれないが、その実体は大きく異なるわけだ。アメリカは労働力の再配置を終えているが、日本は解雇規制のために再配置が進まず、衰退傾向の産業が余剰人員を抱えている。
このエントリのコメント欄や、ひとつ前のエントリのコメント欄にも、解雇規制をはじめとする日本の問題について古賀氏の見方が書かれている。ほとんど全部、私も同意見だ。
国のなかに労働力がどのように配置されているかというのは、「ポートフォリオ」のようなものだろう。アメリカはどんどん「損切り」して、つねに「ポートフォリオ」を変えていく。日本は「損切り」をしようとせず、同じ「ポートフォリオ」のままで行こうとする。いまの「ポートフォリオ」がうまくいかないのは、それが間違っているからではなく、一時的な「運」だと考える。あるいは、間違いを認めたくなくて、財政出動で無理に需要を作り出したりする。
このアメリカと日本の差は、「失敗」を認めるかどうかの差ではないだろうか。アメリカは失敗を許容し、失敗してもまたチャレンジすればいいと考えるので、そのぶん成功も増える。日本は失敗を許容しないので、チャレンジが減り、成功も減る。
これは国民性に起因する部分もあると思うが、解雇規制に典型的なように、むしろ制度的要因がそういう「ふるまい」を作り出している部分のほうが大きいと思う(そう思わない人は、山岸俊男『安心社会から信頼社会へ』(中公新書)を読んでみてほしい)。日本人がもともと失敗を許容しない国民なのではなく、国の制度が失敗を許容しないようにできている。「失敗してもいい」のではなく、「失敗はない」ことになっており、よって「失敗してはいけない」のだ。
関連エントリ:
アメリカ人は「希望駆動型」、日本人は「危機感駆動型」
http://mojix.org/2009/07/31/us_kibou_jp_kiki
アンソニー・ギデンズ「急速に社会が変化している時代には、『仕事』を守るのではなく、『人』を守らなければならない」
http://mojix.org/2009/06/18/giddens_shigoto
終身雇用は採用時の属性差別を強める
http://mojix.org/2009/01/30/shuushinkoyou_sabetsu
愛の日記 @ ボストン - たった1年で5100万の雇用を生み出すアメリカの雇用流動性
http://yokichi.com/2009/11/post-239.html
<アメリカの2008年9月から2009年9月の12ヶ月の雇用状況の話だが、この間に、無職の人口が600万人増加した。ここですごいのは、5700万の職が失われ、5100万の新たな雇用が発生した結果が600万人であるということ。すさまじい再雇用の勢いであり、どうりでクビになった友人たちはわりと能天気なわけだ。たった12ヶ月の間に、9人が仕事を失いそのうち8人が仕事を見つけるというプロセスを600万回繰り返してこうなったということ>。
この話は、トム・ピーターズのブログから引かれている(「tompeters! - The Mess Will Save Us. Eventually.」)。トム・ピーターズも書いているように、600万の失業が生じたことはもちろん悲しむべきことだが、そのあいだに5100万の職が生まれており、人材の移動が起きたというのはすごいことだ。
アメリカの人口は約3億人だから、5100万というのは約6人に1人である。日本の人口で換算すれば、約2000万人だ。労働人口を国民の半分とすれば、アメリカではこの1年で、労働者の3人に1人が転職したことになる。「この1年で3人に1人が転職」って、実に驚くべき数字だ。
この話を受けて、古賀氏はこう書いている。
<日本政府がつぶれかけの大型業界の雇用を守るために補助金を投入し延命措置を行い、銀行がやらせることの無いバブル世代の高給取りを守り、労働組合が半死状態の航空会社にトドメをさし、解雇された人が「私は前と同じ業界じゃなきゃ働かない介護の仕事なんてしたくない」と言い、「派遣村」に押し寄せた人々が職を探す時間を惜しんでキレている間に、アメリカでは僕達の目の前で今もすさまじい勢いで雇用能力・競争力のある会社や産業に労働力がシフトしている。長期的にはこの新陳代謝の高さがアメリカの回復力に大きく影響するだろう>。
まったく同感だ。この不況で600万の失業が生じたとしても、同時に5100万の移動が起きたこと、その「新陳代謝」の意味はきわめて大きい。これが次の成長につながるのだ。
今の失業率の数字だけ見れば、アメリカより日本のほうがマシかもしれないが、その実体は大きく異なるわけだ。アメリカは労働力の再配置を終えているが、日本は解雇規制のために再配置が進まず、衰退傾向の産業が余剰人員を抱えている。
このエントリのコメント欄や、ひとつ前のエントリのコメント欄にも、解雇規制をはじめとする日本の問題について古賀氏の見方が書かれている。ほとんど全部、私も同意見だ。
国のなかに労働力がどのように配置されているかというのは、「ポートフォリオ」のようなものだろう。アメリカはどんどん「損切り」して、つねに「ポートフォリオ」を変えていく。日本は「損切り」をしようとせず、同じ「ポートフォリオ」のままで行こうとする。いまの「ポートフォリオ」がうまくいかないのは、それが間違っているからではなく、一時的な「運」だと考える。あるいは、間違いを認めたくなくて、財政出動で無理に需要を作り出したりする。
このアメリカと日本の差は、「失敗」を認めるかどうかの差ではないだろうか。アメリカは失敗を許容し、失敗してもまたチャレンジすればいいと考えるので、そのぶん成功も増える。日本は失敗を許容しないので、チャレンジが減り、成功も減る。
これは国民性に起因する部分もあると思うが、解雇規制に典型的なように、むしろ制度的要因がそういう「ふるまい」を作り出している部分のほうが大きいと思う(そう思わない人は、山岸俊男『安心社会から信頼社会へ』(中公新書)を読んでみてほしい)。日本人がもともと失敗を許容しない国民なのではなく、国の制度が失敗を許容しないようにできている。「失敗してもいい」のではなく、「失敗はない」ことになっており、よって「失敗してはいけない」のだ。
関連エントリ:
アメリカ人は「希望駆動型」、日本人は「危機感駆動型」
http://mojix.org/2009/07/31/us_kibou_jp_kiki
アンソニー・ギデンズ「急速に社会が変化している時代には、『仕事』を守るのではなく、『人』を守らなければならない」
http://mojix.org/2009/06/18/giddens_shigoto
終身雇用は採用時の属性差別を強める
http://mojix.org/2009/01/30/shuushinkoyou_sabetsu