2009.07.31
アメリカ人は「希望駆動型」、日本人は「危機感駆動型」
昨日のエントリで触れた「いい加減「情緒政治」と決別せよ」という記事がとても面白く、著者である竹中正治氏の力量を確信したので、竹中氏の『ラーメン屋vs.マクドナルド』という新書を買ってみた。

新潮新書 - 竹中正治『ラーメン屋vs.マクドナルド―エコノミストが読み解く日米の深層―』
http://www.shinchosha.co.jp/book/610279/



テーマとしては「経済から見た日米比較文化論」という感じの本で、これが予想通りの面白さだった。

竹中正治(たけなか・まさはる)氏は、東京三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)、国際通貨研究所を経て、今年4月より龍谷大学経済学部教授になったというキャリアの持ち主である(「いい加減「情緒政治」と決別せよ」の末尾にプロフィールがある)。為替・通貨のプロであり、ワシントンDCでエコノミストとして活躍していたとのことだ。

竹中氏の文章は、その知識・経験のバックグラウンドに裏打ちされた中身があるだけでなく、とにかく読みやすくて、わかりやすく、面白い。特にこの『ラーメン屋vs.マクドナルド』という本は、書籍ページにある目次を見てもらえば予想がつくと思うが、まったく堅苦しいところのないエッセイ的な内容で、スラスラ読める。しかしその日米文化比較はかなり鋭く、本質を突いたものだと感じる。

この本のベースになったと思われる原稿が、竹中氏のサイトの「評論、論考(日本語)」に多数掲載されている。ここでは、そのうちのひとつを紹介してみたい。

日米比較文化論編:「危機感」の島国、「希望」の大陸
http://www.geocities.jp/takenakausa/200308-03.htm

これがベースになったものが、『ラーメン屋vs.マクドナルド』の第2章に「普通だったら「Excellent!」」として収録されている。ここでは、サイトに掲載されている「「危機感」の島国、「希望」の大陸」のほうから引用してみよう。

<4月に自動車を買った時の事である。契約をしてから2、3日後に電話で自動車メーカーから「Customer Satisfaction Survey」の電話がかかってきた。ディーラーのサービスに対する購入者の満足度をアンケート方式で調査するものである。数項目についてExcellent、Very Good、Good、Fair、Unsatisfactoryの5段階評価で選べと言う。普通に満足していたので、Very Goodを主にGoodを多少混ぜて回答した>。

<後日、ディーラーの営業担当者から私に電話があり、「買った車に何か問題があるか?」ときかれた。「問題ないよ。新しい車を楽しんでいるよ。」と答えると、「それじゃ、サーベイでどうしてあんなに悪いScoreをくれたんだ?」と先方は言う。 「悪いScoreなんて回答してないよ。Very GoodとGoodで答えたよ。」と言うと、「あんた! そりゃひどい点ってことだよ!」と愚痴られた。 Excellent以外は「問題あり」のBad Scoreなのだそうだ。日本人はよっぽど感動でもしない限り「素晴らしい!」なんて普通は言わない>。

<これをきっかけに気が付いた。学校で先生が生徒を評する時も米国では「Excellent、Great、Perfect!」の連発である。ゴルフ練習場でもお父さんが小学生の息子にクラブを振らせて、ちょっとでもボールが前に転がれば、「Excellent、Great、Perfect!」を連発していた。日本人だったら上手に出来ても「よく出来た。(Well done.)」でおしまいだ>。

これは面白いエピソードだ。私の体験した範囲でも、アメリカ人は日本人に比べてやたらホメる、というのはその通りだと思う)。

<家族、地域、学校、職場などあくまでも一定の仲間意識が働く関係でのことであるが、要するに、アメリカ人は相手のパフォーマンスを評する際に、ポシティブな表現に気前が良く(generous)、日本人は禁欲的(stoic)な傾向が強い。その反対に相手にネガティブな表現はアメリカ人はあまり使わない。最悪でも「OK」であり、それ以下の表現は相手と喧嘩するつもりでもなければ普通は使わないようだ。しかし日本人はネガティブな表現についてはかなり気軽に使う。先生が勉強が足りない受験生に「危機感が足りないぞ、おまえ!」なんて言うのは常套句だ。 表現に関する文化的な違いと言ってしまえばそれまでであるが、どうも根がもっと深いのではないだろうか?>

まったくその通りだと思う。アメリカ人のネガティブ表現が、<最悪でも「OK」であり、それ以下の表現は相手と喧嘩するつもりでもなければ普通は使わない>というのも、私のこれまでの体験に一致する。私の体験などごく僅かでしかないが、長年ワシントンDCに滞在し、無数のネイティブと接してきた竹中氏が言うのだから、間違いないだろう。

<この違いを類型化してみよう。私の見るところ、日本人に多い類型は「危機感駆動型」なのである。「このままではお前はダメだ!」「危機だ!」と言われると強く反応して動くわけである。 一方、アメリカ人に多い類型は「希望駆動型」である。「すごいじゃないか!」「できるじゃないか!」と励まされると強く反応して動くのである。こうして考えると、日米の様々な違いが説明できる>。

これは面白い。アメリカ人は「希望駆動型」で、日本人は「危機感駆動型」なわけだ。

竹中氏はこれに続けて、なぜその差ができてしまったのかを考察し、<アメリカ人は危機感に駆り立てられて行動するのは苦手で、そういう時には失敗を重ねる>、<日本人は反対に、危機感が薄れると座標軸を見失い、別の深い危機を招いてしまう>、と書いている。これは歴史家が扱うようなテーマで、私には即断できないが、竹中氏の記述にはかなり説得力があることは確かだ。

このあたりの歴史考察的な記述は、『ラーメン屋vs.マクドナルド』のほうではかなり加筆・変更・アレンジされている。第2章の終わりでは、日本の「危機感駆動型」カルチャーは<リーダーシップ(主体的意識)の不在と表裏>である、という指摘がある。ビジョンやリーダーシップの不在により、<問題状況は漠然とした危機感として拡散し、「危機だ。総員奮起して頑張れ!」という毎度の陳腐なお題目に行き着いてしまう>、と書かれている。「個人」に対して責任や主体性を持たせない仕組みになっているわけだ。

またこの「危機感駆動型」カルチャーは、行政や企業に対する「無謬(むびゅう)信仰」と結びついている、と書かれている。コストとのバランスを無視して、100%の安全や正しさを求めるような厳格な態度の結果、逆に失敗したときに「失敗を認める」「失敗から学ぶ」ことができない、といった指摘がある。日本の閉塞を生み出しているのはこの「無謬信仰」であり、これを捨てて「失敗を許容」しよう、といった提言がある。個人的には、同感、共感しっぱなしの内容だ。

竹中氏は、日本人も「危機感駆動型」でなく、アメリカ人の「希望駆動型」に切り替えるべきだ、と説いているようだ。私もこの点では、アメリカ型のほうが正しいと思う。叱られるより褒められたほうが伸びるのは、国民性によらない、人間本来の性質だろう。

日本人も「希望駆動型」に切り替えよう、というこの話は、梅田(望夫)さんの言う「人を褒めろ」という話とも重なる。梅田さんから見て、日本の言説があまりにもネガティブで「残念」なものに見えるのは、<普通だったら「Excellent!」>であるようなアメリカ基準からすると、なおさら当然なわけだ。私がこの点で梅田さんに共感するのも、「叱られるより褒められたほうが伸びる」というのが人間の普遍的な性質であると信じているからで、日本のネット言説における「ネガティブ・バイアス」は、人間の精神にとって有害であると確信するからだ(「ネガティブ・バイアス」はネット以前から日本にあるが、非対面かつ匿名だといっそう助長されるのだろう)。

そのような意味では、竹中氏と梅田さんというのは、テーマや立ち位置はまったく違っていて、まるで「異世界」だが、ともに「日本をアメリカから見る」ことができる日本人であり、日本のネガティブな閉塞性をアメリカのポジティブな「希望駆動型」で打開しようとする姿勢では、通じるところがある。

『ラーメン屋vs.マクドナルド』は、ここで紹介した部分以外にも多数の面白い考察を含んでおり、ネット言説がらみでも、第3章が「ディベートするアメリカ人vs.ブログする日本人」である。機会があれば、この本について再度書いてみたい。


関連エントリ:
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http://mojix.org/2009/06/11/zannen_mondai
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http://mojix.org/2005/07/14/212640