2009.07.30
(自民党と民主党は)両政党の違いよりも、政党内部の違いの方が大きい
日経ビジネスオンライン - いい加減「情緒政治」と決別せよ 「政権交代ドラマ」に隠された本当の課題(竹中正治)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090727/201026/

<たとえ反対意見の有権者の支持を失っても、政治家が旗幟鮮明に政策原理、ビジョンを掲げて選挙戦を展開することを多くの有権者は望んでいる。ところが肝心の政策原理、ビジョンの対立軸が一向に見えてこない>。

<自民党と民主党のどちらを見ても、最大公約数の要望を満遍なく満たそうとするような総花的で、区別のつかないマニフェストにうんざりしてきた>。

もう完全に同感。

この他にも、うなずきたくなる記述が満載の記事だ。



<それでも、例えば米国では、保守・共和党とリベラル・民主党は、政策原理とビジョンの違いで判りやすい対立の構図を形成している。どちらの政党の候補者か知らずに政策演説を聞いたとしても、どちらの党か分かる。それは保守とリベラルの間に図のような原理的な対立軸があるからだ>。

こういう図はよく「ポリティカル・コンパス」などと呼ばれ、政治的な立ち位置を示すのに使われる(末尾の関連エントリ参照)。アメリカでは、この図にある通り、共和党(保守)と民主党(リベラル)の違いがはっきりしていて、これはイギリスの保守党(保守)と労働党(リベラル)でもほぼ同様だ(イギリス労働党については先日書いたばかり)。

<日本の政治はどうだろう。郵政民営化問題でも自民党内部に左右の対立があると同時に民主党内にも同様の対立がある。両政党の違いよりも、政党内部の違いの方が大きいくらいだ>。

これには笑ってしまった。まったくその通りだろう。日本の場合、いまの自民党と民主党はほとんど政策に差がなくて、それぞれの党の内部での違いのほうが大きいわけだ。「両政党の違いよりも、政党内部の違いの方が大きい」というのは名言じゃないかな。

<それでは日本の2大政党は、いったい何をベースに寄り集まっているのだろうか。政治から政策原理とビジョンを抜いたら、あとは人脈、金脈、それと情緒しか残らない。人脈と金脈が政治の世界で強い「紐帯(結び付ける力)」となるのは古今東西のことだ>。

<日本的な特徴は「情緒の共有」にある。「苦楽をともにして長年やって来た」「相手の気持ちが分かる。私の気持ちも分かってくれる」「お世話になっている」。そうした紐帯関係である>。

<政党の代議士同士のみならず、代議士と地元有権者の関係にも同じ原理が働いている。政治家の地元での活動の多くが、後援会活動などを通じた支持者らとの情緒の共有による紐帯強化に費やされている>。

これとまったく同じことを、小泉元首相が1996年に『官僚王国解体論』という本で書いている(当時は首相になる前)。

<私がこれまで見てきた現実の選挙では、多くの場合、候補者が訴える政策の是非よりも、候補者本人が有権者の身近によく顔を出してくれたとか、握手してくれたとか、地元の会合によく出てきたといったことが最重視されている。日本の政治風土のなかでは、候補者の政見、政策より、地元との顔のつながり、人脈こそがもっとも大事にされるのである>(小泉純一郎『官僚王国解体論』(光文社、1996年)57ページ「果てしなく続くサービス合戦地獄」)。

この頃に比べると、いまはもう少しドライな人が増えていると思うが、政策でなく「つながり」が基本的な選択基準になっていることは変わらないだろう。

自民党も民主党も、政策によって連帯しているという以上に、「自民党である」「民主党である」ということ自体でつながっている。クラスメートや同僚みたいなものだ。だから、政策を争点にしたマトモな政策論はやりにくく、言葉の揚げ足取りをするような幼稚な批判合戦、「敵失」を責める減点合戦しかやりようがないのかもしれない。

政党とその支持者も、政策に共感してというよりも、「つながり」によって支持している。政党もそれをわかっているので、マトモな政策論ではなく、「つながり」をともかく拡大するためのドブ板選挙になるしかない。その「つながり」をより強くしたものが、地元への公共事業やハコモノの誘致、業界への補助金といった利益誘導だったりするわけだ。

この記事では、雇用問題についてもこう書かれている。

<例えば、日本の産業・企業がグローバル競争を勝ち残るために必要だと言われて、雇用契約の多様化、柔軟化などを進める法制度変更が実施され、派遣社員などの活用が拡大した。ところが、今回の不況で、「同じ社員なのに一方的に解雇されてかわいそう」という声がメディアで大々的に報道されると一転、自民党も民主党も規制緩和の見直し、規制強化に動き出した>。

<経済学者らはこう説いた。「雇用の保護主義的な規制を強化すれば、既存従業員の利益は守られるが、一方で企業は新規雇用に慎重になり、結果として未就労者層を中心に失業率が逆に高まる」。だが、メディアで流れる「かわいそうじゃないか」の大合唱で、野党も与党も先祖帰り的な規制強化に逆走している>。

これもごくまっとうな見方だ。

この雇用問題では、民主党が規制強化の方向をより打ち出している。民主党にも経済通はたくさんいるはずだが、上にも書いたような仕組みで党内での「振れ幅」がきわめて大きいため、党の意見として集約された結果、なんとも反市場的な政策が出てきてしまったわけだ。

記事の最後にはこう書かれている。

<今回の選挙の結果、民主党を中心とした政権が誕生し、もし本気で「小泉政権の市場原理的な政策路線」が間違っていたと主張するのなら、ぜひやってもらいたいことがある。同党がかねてから主張してきたポリティカル・アポインティー(政治任用)をしっかりと実施し、官僚組織の中から「市場原理主義的」な政策を担った幹部官僚を外に出し、代わりに規制強化派の先生方を任用してもらいたい>。

これはおそらく半分皮肉だろう。民主党はおそらくこうはしない。とにかくいまは「政権交代」のために、大衆ウケのいい「規制強化」路線を出しておいて(「反市場バイアス」と「雇用維持バイアス」)、政権を取ってしまえば、「現実路線」にどんどん修正するだろう(外交政策では、すでにこの「修正」が起きはじめている)。

なぜ日本の政治がこういう幼稚なもの、記事のタイトルにもある「情緒政治」になっているかというと、政治家や政党自体が幼稚というだけでなく、突き詰めれば、そういう政治を選んでしまう国民が幼稚だということ、これ以外にないだろう(「日本をダメにしたのは誰か」)。政策でなく「つながり」で投票し、もっとひどい場合は「利益誘導」のために投票する。政治家は当選しないと生きて行けないので、その幼稚な国民に合わせているとも言える。政治家にとって、国民は「上司」なのだ。

投票とはやはり、ブライアン・カプランの言う通り、「愚策」が好き放題に投げ込まれる「共有地」なのかもしれない。この「共有地」を良くするには、日本人が政治的に成長するのをじっと待つしかないのだろうか。


関連:
竹中正治 ホームページ
http://www.geocities.jp/takenakausa/
この記事の著者である経済学者、竹中正治氏のサイト。面白い記事が満載。

関連エントリ:
ブライアン・カプラン 『選挙の経済学 投票者はなぜ愚策を選ぶのか』
http://mojix.org/2009/07/23/caplan_myth_of_rational_voter
「小さな政府」、構造改革、経済成長路線の新党を待望する
http://mojix.org/2009/07/18/small_gov_party
日本をダメにしたのは誰か
http://mojix.org/2009/05/15/nihon_dame

関連エントリ(ポリティカル・コンパス関連):
10個の質問に答えるだけで自分の政治的位置がわかる
http://mojix.org/2008/04/28/worlds_smallest_political_quiz
ノーラン・チャート
http://mojix.org/2008/04/20/nolan_chart