ブライアン・カプラン 『選挙の経済学 投票者はなぜ愚策を選ぶのか』
去年の3月に「経済に関して一般人が陥りやすい4つのバイアス」というエントリで紹介した、Bryan Caplanの『The Myth of the Rational Voter: Why Democracies Choose Bad Policies』の日本語訳が先ごろ出た。
ブライアン・カプラン『選挙の経済学 投票者はなぜ愚策を選ぶのか』
http://ec.nikkeibp.co.jp/item/books/P46090.html
<大多数の有権者は、市場メカニズムを過小評価し、貿易の利益を過小評価し、労働の価値を過大評価し、経済をあまりに悲観的に見通す傾向がある。こうしたバイアスが存在するために、私たちはわざわざ間違った政策を選び、民主主義を台無しにしている――。
経済学の手法で、投票行動の非合理性を分析し、世界を動かしている民主主義の矛盾を解き明かした注目作。
グレゴリー・マンキュー教授(ハーバード大学)も絶賛の一冊!>
まだ読んでいる途中なのだが、これはすごい本だ。日本語訳がちょっと硬い感じで、読むのにやや骨が折れるが、それでも読む価値がある。
『選挙の経済学』という書名もちょっと穏便すぎて、この斬新で論争的な本には似つかわしくない感じだ。副題の『投票者はなぜ愚策を選ぶのか』のほうが、原書の副題にも近くて、これを書名にしたほうが良かった気もする(ちなみに原題を直訳すると「合理的投票者という神話:なぜ民主主義は愚策を選ぶのか」)。
本書の骨子をきわめて大雑把に表現すると、「一般人は経済に関して誤った信念を持っているため、その一般人の多数決で決まる民主主義は愚策を選ぶ」というものだ。一般人が経済に関して持つ誤った信念のうち、本書では次の4つのバイアス(偏り)を代表的なものとして採り上げている。
1)反市場バイアス: 市場メカニズムがもたらす経済的便益を過小評価する傾向
2)反外国バイアス: 外国人との取引による経済的便益を過小評価する傾向
3)雇用創出バイアス: 労働を節約することの経済的便益を過小評価する傾向
4)悲観的バイアス: 経済問題の厳しさを過大に評価し、経済の過去・現在・将来の成果を過少に評価する傾向
こうしたバイアスを持った一般人が投票すれば、それが選ぶ政策もまた、このバイアスをそれなりに反映したものになるわけだ。例えば1)であれば「規制による市場介入」、2)であれば「保護貿易」、3)であれば「解雇規制」、4)であれば「バラマキ」、といったものが具体例になりそうだ(この例はカプランが本書で出しているものではない)。
これらのバイアスについては、「経済に関して一般人が陥りやすい4つのバイアス」でも触れており、これを書いた時点で私もおよそ理解していた。この「4つのバイアス」の部分だけでも、この本を読む価値があると思うが、本書の「射程」はこれをはるかに超えるものだった。
私もまだ読んでいる途中なので、現時点で理解した範囲に過ぎないが、例えば本書は以下のようなことを指摘している。
・投票者にとって、自分の1票はほとんど結果を動かさず、また責任も取らなくていいので、投票とは「外部性」である(「共有地」といってもいい)。
・その「外部性」(「共有地」)に、4つのバイアスのような「愚かさ」が「投げ込まれる」。その結果、愚策が選ばれてしまう。
・民主主義というシステムでは、これは避けられない。民主主義は過大評価されており、経済学者も民主主義を過大評価している。
・これまでの社会科学は、人間の合理性を仮定しすぎている。「愚かさ」の研究が必要だ。
投票が「外部性」(あるいは「共有地」)である、という指摘は、個人的には衝撃を受けた。これまでそんなふうに捉えたことはなかったが、確かにそう考えると、いろいろなことが見えてくる気がする。
本書で出ている例を借りれば、「外国の製品を買っているのに、保護貿易に賛成している人」がこれにあたる。自分の生活においては、外国製品から便益を得るという「自由貿易」的な行動をしているのに、信念や投票行動においては「保護貿易」に賛成する。もし自分の生活においても「保護貿易」をやれば、ただちに自分の生活が不便になるので、「保護貿易」という考え方が間違っていることがわかるはずなのに、投票は「外部性」(あるいは「共有地」)なので、自分の誤りがすぐにデメリットとして跳ね返ってこない(駅前に自転車を放置しても、自分はソンしない、というのと同じ図式)。これによって、誤った政策が選ばれてしまうわけだ。
「愚かさ」の研究が必要だというのも、斬新な視点だと思う。これについて、終章ではこう書かれている。
<政治には学ぶべきことがたくさんあるが、捨て去るべきこともたくさんある。社会科学は、愚行が蔓延している政治のような領域でさえ、あらゆるモデルは「愚か者がいない話」でなければならない、という誤ったこだわりによって、袋小路に入りこんでしまい、進むべき道を見失ってきた。ことわざ曰く、「愚者が賢者から学ぶ以上に、賢者は愚者から学ぶ。」社会科学の賢者たちは、愚か者や愚かな行為を見て見ぬふりをすることで、自分たちが学び進む道を自ら閉ざしてきたのである>。
経済と政治の両方に興味がある人には、とにかく面白い本だと思う。また本書を読み終わったあとに、あらためて何か書きたい。
関連:
ブライアン・カプラン『選挙の経済学 投票者はなぜ愚策を選ぶのか』
http://ec.nikkeibp.co.jp/item/books/P46090.html
http://www.amazon.co.jp/dp/4822246094
Wikipedia - The Myth of the Rational Voter: Why Democracies Choose Bad Policies
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Myth_of_the_Rational_Voter
池田信夫 blog - 選挙の経済学 投票者はなぜ愚策を選ぶのか
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/37f1302747b360122d3b7b0ca86c0efe
ウィキペディア - 外部性
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E9%83%A8%E6%80%A7
関連エントリ:
「賢者と愚者」の格言
http://mojix.org/2008/07/24/gusha_kenja
経済に関して一般人が陥りやすい4つのバイアス
http://mojix.org/2008/03/25/caplan_four_biases
群集がいつも賢いとは限らない 「Wisdom of Crowds」の成立条件
http://mojix.org/2006/01/14/100147
ブライアン・カプラン『選挙の経済学 投票者はなぜ愚策を選ぶのか』
http://ec.nikkeibp.co.jp/item/books/P46090.html
<大多数の有権者は、市場メカニズムを過小評価し、貿易の利益を過小評価し、労働の価値を過大評価し、経済をあまりに悲観的に見通す傾向がある。こうしたバイアスが存在するために、私たちはわざわざ間違った政策を選び、民主主義を台無しにしている――。
経済学の手法で、投票行動の非合理性を分析し、世界を動かしている民主主義の矛盾を解き明かした注目作。
グレゴリー・マンキュー教授(ハーバード大学)も絶賛の一冊!>
まだ読んでいる途中なのだが、これはすごい本だ。日本語訳がちょっと硬い感じで、読むのにやや骨が折れるが、それでも読む価値がある。
『選挙の経済学』という書名もちょっと穏便すぎて、この斬新で論争的な本には似つかわしくない感じだ。副題の『投票者はなぜ愚策を選ぶのか』のほうが、原書の副題にも近くて、これを書名にしたほうが良かった気もする(ちなみに原題を直訳すると「合理的投票者という神話:なぜ民主主義は愚策を選ぶのか」)。
本書の骨子をきわめて大雑把に表現すると、「一般人は経済に関して誤った信念を持っているため、その一般人の多数決で決まる民主主義は愚策を選ぶ」というものだ。一般人が経済に関して持つ誤った信念のうち、本書では次の4つのバイアス(偏り)を代表的なものとして採り上げている。
1)反市場バイアス: 市場メカニズムがもたらす経済的便益を過小評価する傾向
2)反外国バイアス: 外国人との取引による経済的便益を過小評価する傾向
3)雇用創出バイアス: 労働を節約することの経済的便益を過小評価する傾向
4)悲観的バイアス: 経済問題の厳しさを過大に評価し、経済の過去・現在・将来の成果を過少に評価する傾向
こうしたバイアスを持った一般人が投票すれば、それが選ぶ政策もまた、このバイアスをそれなりに反映したものになるわけだ。例えば1)であれば「規制による市場介入」、2)であれば「保護貿易」、3)であれば「解雇規制」、4)であれば「バラマキ」、といったものが具体例になりそうだ(この例はカプランが本書で出しているものではない)。
これらのバイアスについては、「経済に関して一般人が陥りやすい4つのバイアス」でも触れており、これを書いた時点で私もおよそ理解していた。この「4つのバイアス」の部分だけでも、この本を読む価値があると思うが、本書の「射程」はこれをはるかに超えるものだった。
私もまだ読んでいる途中なので、現時点で理解した範囲に過ぎないが、例えば本書は以下のようなことを指摘している。
・投票者にとって、自分の1票はほとんど結果を動かさず、また責任も取らなくていいので、投票とは「外部性」である(「共有地」といってもいい)。
・その「外部性」(「共有地」)に、4つのバイアスのような「愚かさ」が「投げ込まれる」。その結果、愚策が選ばれてしまう。
・民主主義というシステムでは、これは避けられない。民主主義は過大評価されており、経済学者も民主主義を過大評価している。
・これまでの社会科学は、人間の合理性を仮定しすぎている。「愚かさ」の研究が必要だ。
投票が「外部性」(あるいは「共有地」)である、という指摘は、個人的には衝撃を受けた。これまでそんなふうに捉えたことはなかったが、確かにそう考えると、いろいろなことが見えてくる気がする。
本書で出ている例を借りれば、「外国の製品を買っているのに、保護貿易に賛成している人」がこれにあたる。自分の生活においては、外国製品から便益を得るという「自由貿易」的な行動をしているのに、信念や投票行動においては「保護貿易」に賛成する。もし自分の生活においても「保護貿易」をやれば、ただちに自分の生活が不便になるので、「保護貿易」という考え方が間違っていることがわかるはずなのに、投票は「外部性」(あるいは「共有地」)なので、自分の誤りがすぐにデメリットとして跳ね返ってこない(駅前に自転車を放置しても、自分はソンしない、というのと同じ図式)。これによって、誤った政策が選ばれてしまうわけだ。
「愚かさ」の研究が必要だというのも、斬新な視点だと思う。これについて、終章ではこう書かれている。
<政治には学ぶべきことがたくさんあるが、捨て去るべきこともたくさんある。社会科学は、愚行が蔓延している政治のような領域でさえ、あらゆるモデルは「愚か者がいない話」でなければならない、という誤ったこだわりによって、袋小路に入りこんでしまい、進むべき道を見失ってきた。ことわざ曰く、「愚者が賢者から学ぶ以上に、賢者は愚者から学ぶ。」社会科学の賢者たちは、愚か者や愚かな行為を見て見ぬふりをすることで、自分たちが学び進む道を自ら閉ざしてきたのである>。
経済と政治の両方に興味がある人には、とにかく面白い本だと思う。また本書を読み終わったあとに、あらためて何か書きたい。
関連:
ブライアン・カプラン『選挙の経済学 投票者はなぜ愚策を選ぶのか』
http://ec.nikkeibp.co.jp/item/books/P46090.html
http://www.amazon.co.jp/dp/4822246094
Wikipedia - The Myth of the Rational Voter: Why Democracies Choose Bad Policies
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Myth_of_the_Rational_Voter
池田信夫 blog - 選挙の経済学 投票者はなぜ愚策を選ぶのか
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/37f1302747b360122d3b7b0ca86c0efe
ウィキペディア - 外部性
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E9%83%A8%E6%80%A7
関連エントリ:
「賢者と愚者」の格言
http://mojix.org/2008/07/24/gusha_kenja
経済に関して一般人が陥りやすい4つのバイアス
http://mojix.org/2008/03/25/caplan_four_biases
群集がいつも賢いとは限らない 「Wisdom of Crowds」の成立条件
http://mojix.org/2006/01/14/100147