山内康一氏が自民党を離党 構造改革路線、「小さな政府」路線の正統な継承者
このブログでおそらく最も多く採り上げている政治家、山内康一氏が21日の衆院解散後、自民党を離党した。
衆議院議員 山内康一 の「公募新人奮闘記」 - 離党のお詫びとご報告(7/21)
http://yamauchi-koichi.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-9e9f.html
<本日、私は自由民主党を離党いたしました>。
<公募で立候補して4年前の「郵政解散」総選挙で初当選した私は、
自民党のおかげで国政に送り出していただき、
政治活動の場を自民党に提供していただきました。
自民党にたいへんご恩があります。
にもかかわらず、自民党を離党し、恩を仇でかえす形になってしまい、
申し訳ない気持ちでいっぱいです>。
<小泉元総理が「自民党をぶっ壊す」といって壊した古い既得権が復活し、
公共事業バラマキ派や郵政民営化反対派が復権し、党内改革派はいまや少数派です。
私は、小泉元総理が「ぶっ壊す」といった古い自民党の体質を変えて、
新しい自民党をつくることに情熱を感じ、党改革や行政改革に取り組んできました。
しかし、改革は進むどころか、逆行しています>。
<こういった状況の下で、自分が信じていない政策の旗印を掲げて、
自分が信じていない政策を訴えて、選挙戦に臨むことは私にはできません。
選挙は勝ち負けも重要ですが、選挙を戦う「大義」はもっと大事だと思います。
苦しい戦いでも自分が信じる大義のためならがんばれますが、
自分が信じていない政策を有権者に訴えることは、私にはできません>。
ここに抜粋したのは一部なので、ぜひ全文を読んでみてほしい。
自らの信念を行動で示した山内氏の勇気に、拍手を送りたい。この人はやはり本物の政治家だった。
私は衆院解散の3日前にあたる18日、山内氏の「党内の麻生政権支持率」というエントリを受けて、次のようなエントリを書いている。
「小さな政府」、構造改革、経済成長路線の新党を待望する
http://mojix.org/2009/07/18/small_gov_party
<日本には「小さな政府」を志向する政党が存在しない。小泉自民党がそれに近かったが、山内氏が書いているように、いまや自民党内でも小泉路線は「絶滅種」だ。私の印象では、小泉元首相は人気があって一時的に担がれていただけで、小泉時代を経ても自民党の「体質」そのものはやはり変わらなかったのだという気がする>。
<山内氏のような構造改革派、「小さな政府」を志向する政治家は、いまこそ自民党を出て、新党を作って欲しい。自民党内で構造改革派・「小さな政府」派が主流になれないことはもう明らかだろうし、いまやこれほど劣勢な自民党にいても「数のメリット」はもう薄いだろうから、いっそ自民党を出たほうがいいと思う。またそのことで、自民党の論理や派閥より、自分の政策や信念を優先することをより明確にアピールできると思う>。
この3日後の21日に衆院解散、その晩に山内氏は自民党を離党したわけだ。
私はまさか、山内氏がそこまで決意しており、すぐに離党するとは予想していなかった。しかし山内氏のブログをずっと読んでいれば、それはある程度予想がついたことでもある。冒頭に引いた「離党のお詫びとご報告」(7/21)に続く、翌日の「離党に対する反応」(7/22)というエントリで、山内氏はこう書いている。
<他方、ブログの読者の皆さんからかなり多くのメールが来ました。
ブログ読者の皆さんの間では「自然のこと」という受けとめが多く、
とても意外な感じがしました。
どうやら私のブログを定期的に読んでくださる人たちは、
私の思考パターンや政策の方向性をよくわかっていて、
構造改革路線から決別宣言をした自民党から、
私が離れていくことにあんまり違和感を覚えないようです>。
私もまったく同感だ。多少は驚いたが、違和感もないし、唐突感もない。むしろ自然であり、「やるべきことをやった」という快挙だと感じる。
山内氏の地元には、「自民党だから」支持していたという人もいるだろうが、山内氏をその政策によって支持している人ならば、今回の離党はむしろ自然だと感じるのではないか。地元の支持者に比べると、ブログの読者には「自民党だから」支持するという人はおそらく皆無で、山内氏「個人」を支持している人ばかりだろう。票を入れるのは地元の支持者だが、ブログを読んでいる人のほうが、山内氏「個人」をその政策や考え方、「中身」によって支持している傾向が強いはずだ。
形としては自民党を離党し、<恩を仇でかえす>とも言えるかもしれないが、むしろ山内氏こそ、構造改革路線、「小さな政府」路線の正統な継承者だろう。山内氏はいわゆる「小泉チルドレン」の1人だが、この離党によって、小泉元首相の構造改革路線を継承することをむしろ明確に示したと思う。
本当の意味で<恩を仇でかえす>ことをしているのは、自民党のほうだ。そもそも、いまの自民党政権の根拠は、2005年の「郵政選挙」で自民党が大勝したことにある。その構造改革路線、「小さな政府」路線が自民党の中でだんだん後退していき、国民の審判を経ないまま、いつのまにか改革中止のバラマキ路線になっていった。自民党こそが国民を裏切ったのであり、<恩を仇でかえ>したのだ。いま国民の支持が民主党に傾いているのも、民主党への積極的な支持という以上に、その自民党に対する失望がかなりの部分を占めるはずだ。
最新のエントリ「構造改革への殉死?」(7/23)でも、山内氏のビジョン、政策はいたってマトモであることを再確認できる。
<麻生総理は「行き過ぎた市場原理主義からは決別」と述べて、
明示的に構造改革路線の全面否定を行いました。
そもそも「市場原理主義」の定義が明らかではありませんが、
規制緩和や民営化の流れを逆転させる意思が感じられます>。
<私は「市場の失敗」もきちんと認識すべきだと思いますが、
それよりも警戒すべきは「政府の失敗」だと思っています。
ちょっと前には「官製不況」という言葉がありましたが、
これは規制強化によって民間のビジネスが大迷惑を被った結果です>。
<市場も同じようなものだと思います。
市場には欠陥があり、歴史を振り返るとバブルは何度も発生しましたが、
それでも市場メカニズムよりも効率的な資源分配システムはありません。
市場の失敗を補完するために、政府が一定の役割を果たすべきですが、
政府が市場メカニズムを否定すれば、社会主義国の失敗を繰り返します>。
<構造改革否定派による「市場原理主義からの決別」の背景には、
規制を強化して権限や予算を確保したい霞が関の意思が見えます。
大きな政府への道を逆戻りしたら、官の肥大化による重税国家が、
待っていると私は思っています>。
こういう考え方は、経済学者や、多少なりとも経済をわかっている人にはごくあたりまえのことなのだが、一般人はカプランのいう「反市場バイアス」にとらわれがちで、「市場に任せる」よりも「規制でコントロールする」ほうがうまくいく、と考えてしまいやすい(私の解雇規制の議論に対しても、いつも一定の強い反発がある)。それが規制強化や増税を許し、「大きな政府」を生み出すわけだ。
一般人ならまだしも、政治家でさえ、これをちゃんとわかっている人は少なそうだ。その人たちが政策を決めるのだから、なんとも恐ろしい。市場が万能ではないのはその通りなのだが、だから国家が規制・コントロールすればいい、というのでは社会主義に逆戻りだ。金融危機以降、「小泉・竹中路線が日本をダメにした」みたいな安易な市場否定論が増えてきたが、こういう人たちのほとんどは単に市場というものを理解していないだけだ。それが俗論のレベルならまだしも、政権を取りそうな民主党にもこの種の発想があるように感じられる。
「市場の失敗」よりも「政府の失敗」のほうが恐ろしい、というこの「超基本事項」を認識している政治家がどのくらいいるのか、本当に不安だ。自民党政権では、「政府の失敗」はせいぜい税金のムダ使い、汚職、既得権益の保護、といったレベルに収まっていたが(これも当然許せないのだが)、これが民主党政権になると、正義感が強いのはいいのだが、「反市場バイアス」や「コントロール(統制)志向」が強すぎて、「市場」よりも「規制」が上位に来てしまうのではないかという恐怖がある。考えすぎであればいいのだが、製造業派遣禁止や最低賃金規制など、市場の動きを無視するような強引な労働政策を見ていると、どうしても反市場的な「コントロール(統制)志向」、何から何まで「計画」したがる傾向を感じずにはいられない。民主党は自民党よりも「正義感」が強く、「善意」を感じることは疑いないのだが、「善意」がつねに正しいとは限らないのだ。「地獄への道は善意で敷き詰められている」。
山内氏は、この「超基本事項」をちゃんと認識している政治家であり、かつ今回の離党で、自分の信念に忠実であることを行動で示した。私はすべての政治家を精査したわけではないけれども、少なくとも山内氏であれば、日本という国を任せても大丈夫な政治家であると確信できる。これまで以上に、山内氏を支持していきたい。
山内氏の離党について、ロンドン在住のリバタリアンであるanacapさんが書いている。
アナルコ・キャピタリズム研究(仮)ブログ - 山内康一さん離党。神奈川9区に注目。
http://anacap.jugem.jp/?eid=263
<Zopeジャンキー日記でよく取り上げられ応援されている自民党の山内康一さん>という切り口で、私のブログから山内氏がらみのエントリをいくつか採り上げつつ、以前ここでも紹介した「悪法収容所」の後輩との対話のかたちで、山内氏を紹介している。
私「まあZopeジャンキーに何回も出てくるってことは普通じゃないけどね」
リ「はい、リバタリアン受けする政治家なんてそういません」
というくだりにウケつつも、
私「たしか小さな政府の分権型社会を主張してるんだよね」
リ「そうです。JICAから国際協力NGOという経歴で、NGO・NPOが作る市民社会、というとなんか左翼っぽいんですけど、彼は大学時代開発経済学などを専攻していて市場をよく理解しています。これは穀物生産と市場経済の効用という彼のブログ記事を見てみるとわかります。あと自民党の公募に応募する前はロンドン大学の院にも行っていて教育経済学を学んだそうですよ」
といった部分は、山内氏のバックグラウンドをうまく説明していて、かつその山内氏の政策がなぜリバタリアニズムに近いかの説明にもなっていると思う(リバタリアニズムというのは、「小さな政府」のいわばハードコア版だ)。
先日の「中川秀直「非正規雇用の方を切り捨てて守ろうとしているのは‥」に対する大きな反響から察するに、いわゆる「無党派層」の中には、いまでも「小さな政府」路線に共感する人がかなりの割合でいると思う。「小泉・竹中路線が日本をダメにした」といった言説も少なくないが、むしろ最近の自民党のダメっぷりを見て、「小泉・竹中路線はやっぱり正しかったんだ」とあらためて感じている人も少なくないと思う。
その意味で、山内氏は「小さな政府」に共感する一定の層から、強い支持を集める可能性があるように思う。自民党で「小さな政府」路線が後退してしまい、民主党も「小さな政府」路線とは言えない現状では、「小さな政府」に共感する人が支持できる政党が存在しない。個々の政治家のレベルでも、それを明確に打ち出している人というのはあまり聞かないので、いっそう山内氏の存在は際立つ。
「無党派層」の多くは、「いまの自民党も民主党も、どうもしっくりこない」というのが実感だろう。私もその1人だ。これは現在の自民党と民主党のあいだに真の「対立軸」がなく、ほぼ似たような政策だったり、両党ともさまざまな政治家がごちゃまぜで、党全体としては支持しようがないということが原因だろう。そしてどちらも「大きな政府」路線としか思えない現状は、私から見れば危機的である。現状だと、「自民党か民主党か」という「政権選択」は、「どちらにしても大きな政府」ということになるのだ。
このように考える私にとって、「小さな政府」路線を明確に打ち出す山内氏は重要な政治家であり、自民党とハッキリ決別してくれたことで、より強く支持したい政治家になった。
衆院解散によって、山内氏はもう衆議院議員ではなく、身分としては「無職」である。次の総選挙で当選するかどうかもわからず、少しでも応援が欲しいところを、自分の政治家としての信念を貫いて、自民党を離れたのだ。それほど不安定な身でありながら、日本のために戦っている。「大きな政府」の圧倒的な力に対して、山内氏はそこに立ち向かうドン・キホーテのようなものかもしれない。しかし、自民党のなかでは「絶滅種」であっても、国民のなかには、山内氏の構造改革路線、「小さな政府」路線に共感する人がきっとたくさんいると思う。
関連:
NIKKEI NET - 自民・山内康一氏、国民新・糸川正晃氏が離党届(7/22 00:17)
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20090721AT3S2103221072009.html
<自民党の山内康一前衆院議員(神奈川9区、当選1回)は21日、細田博之幹事長に離党届を提出した。山内氏は離党の理由について国会内で記者団に、「自分が目指している方向とずれを感じる。公務員制度改革などのスピードが落ち、逆行している印象を受ける」と語った。1月に離党した渡辺喜美元行政改革相との連携に関しては「考え方は近い。いろんな可能性を考える必要がある」と含みを残した。衆院選は無所属でも出馬する意向も表明した>。
YOMIURI ONLINE - 山内康一前衆院議員、渡辺新党合流も(2009年7月22日01時45分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin2009/news1/20090722-OYT1T00151.htm
<21日に自民党に離党届を提出した山内康一・前衆院議員(当選1回、神奈川9区)は国会内で記者会見し、衆院選には神奈川9区から出馬する考えを示した上で、渡辺喜美・元行政改革相らが結成を目指す新党への参加について、「考え方が(渡辺氏と)近いのは間違いない。可能性はある」と語った>。
ビジョン:分権型市民社会論(7/20)
http://yamauchi-koichi.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-2f74.html
山内氏の「個人マニフェスト」。解散・離党の前日に出ており、この時点ではもう離党を決意していたはずだ。山内氏はどんな気持ちでこれを書いただろうか。
Observing Japan - Fleeing a sinking ship?
http://www.observingjapan.com/2009/07/fleeing-sinking-ship.html
Newsweekで「オブザーヴィング日本政治」を書いているトバイアス・ハリス(Tobias Harris)が山内氏の離党に触れたもの。
河野太郎発行メルマガ「ごまめの歯ぎしり」ブログ版 - 衆議院解散
http://www.taro.org/blog/index.php/archives/1088
<院内へ行く地下通路で山内康一代議士とすれ違う。(離党届を)やっぱり出すのか>。<残念ながら慰留しきれなかった。彼のような人材を失うのは自民党としてももの凄くいたい。自民党太陽系の中で、河野太郎が冥王星なら、山内康一はハレー彗星と呼ばれていたが、いつか太陽系の中心を動かして、俺たちが真ん中になるぞと言ってきた>。
関連エントリ:
「小さな政府」、構造改革、経済成長路線の新党を待望する
http://mojix.org/2009/07/18/small_gov_party
小さな政府、大きな市民社会がつくる「新しい公共」
http://mojix.org/2008/10/27/small_gov_big_civil_society
衆議院議員 山内康一 の「公募新人奮闘記」 - 離党のお詫びとご報告(7/21)
http://yamauchi-koichi.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-9e9f.html
<本日、私は自由民主党を離党いたしました>。
<公募で立候補して4年前の「郵政解散」総選挙で初当選した私は、
自民党のおかげで国政に送り出していただき、
政治活動の場を自民党に提供していただきました。
自民党にたいへんご恩があります。
にもかかわらず、自民党を離党し、恩を仇でかえす形になってしまい、
申し訳ない気持ちでいっぱいです>。
<小泉元総理が「自民党をぶっ壊す」といって壊した古い既得権が復活し、
公共事業バラマキ派や郵政民営化反対派が復権し、党内改革派はいまや少数派です。
私は、小泉元総理が「ぶっ壊す」といった古い自民党の体質を変えて、
新しい自民党をつくることに情熱を感じ、党改革や行政改革に取り組んできました。
しかし、改革は進むどころか、逆行しています>。
<こういった状況の下で、自分が信じていない政策の旗印を掲げて、
自分が信じていない政策を訴えて、選挙戦に臨むことは私にはできません。
選挙は勝ち負けも重要ですが、選挙を戦う「大義」はもっと大事だと思います。
苦しい戦いでも自分が信じる大義のためならがんばれますが、
自分が信じていない政策を有権者に訴えることは、私にはできません>。
ここに抜粋したのは一部なので、ぜひ全文を読んでみてほしい。
自らの信念を行動で示した山内氏の勇気に、拍手を送りたい。この人はやはり本物の政治家だった。
私は衆院解散の3日前にあたる18日、山内氏の「党内の麻生政権支持率」というエントリを受けて、次のようなエントリを書いている。
「小さな政府」、構造改革、経済成長路線の新党を待望する
http://mojix.org/2009/07/18/small_gov_party
<日本には「小さな政府」を志向する政党が存在しない。小泉自民党がそれに近かったが、山内氏が書いているように、いまや自民党内でも小泉路線は「絶滅種」だ。私の印象では、小泉元首相は人気があって一時的に担がれていただけで、小泉時代を経ても自民党の「体質」そのものはやはり変わらなかったのだという気がする>。
<山内氏のような構造改革派、「小さな政府」を志向する政治家は、いまこそ自民党を出て、新党を作って欲しい。自民党内で構造改革派・「小さな政府」派が主流になれないことはもう明らかだろうし、いまやこれほど劣勢な自民党にいても「数のメリット」はもう薄いだろうから、いっそ自民党を出たほうがいいと思う。またそのことで、自民党の論理や派閥より、自分の政策や信念を優先することをより明確にアピールできると思う>。
この3日後の21日に衆院解散、その晩に山内氏は自民党を離党したわけだ。
私はまさか、山内氏がそこまで決意しており、すぐに離党するとは予想していなかった。しかし山内氏のブログをずっと読んでいれば、それはある程度予想がついたことでもある。冒頭に引いた「離党のお詫びとご報告」(7/21)に続く、翌日の「離党に対する反応」(7/22)というエントリで、山内氏はこう書いている。
<他方、ブログの読者の皆さんからかなり多くのメールが来ました。
ブログ読者の皆さんの間では「自然のこと」という受けとめが多く、
とても意外な感じがしました。
どうやら私のブログを定期的に読んでくださる人たちは、
私の思考パターンや政策の方向性をよくわかっていて、
構造改革路線から決別宣言をした自民党から、
私が離れていくことにあんまり違和感を覚えないようです>。
私もまったく同感だ。多少は驚いたが、違和感もないし、唐突感もない。むしろ自然であり、「やるべきことをやった」という快挙だと感じる。
山内氏の地元には、「自民党だから」支持していたという人もいるだろうが、山内氏をその政策によって支持している人ならば、今回の離党はむしろ自然だと感じるのではないか。地元の支持者に比べると、ブログの読者には「自民党だから」支持するという人はおそらく皆無で、山内氏「個人」を支持している人ばかりだろう。票を入れるのは地元の支持者だが、ブログを読んでいる人のほうが、山内氏「個人」をその政策や考え方、「中身」によって支持している傾向が強いはずだ。
形としては自民党を離党し、<恩を仇でかえす>とも言えるかもしれないが、むしろ山内氏こそ、構造改革路線、「小さな政府」路線の正統な継承者だろう。山内氏はいわゆる「小泉チルドレン」の1人だが、この離党によって、小泉元首相の構造改革路線を継承することをむしろ明確に示したと思う。
本当の意味で<恩を仇でかえす>ことをしているのは、自民党のほうだ。そもそも、いまの自民党政権の根拠は、2005年の「郵政選挙」で自民党が大勝したことにある。その構造改革路線、「小さな政府」路線が自民党の中でだんだん後退していき、国民の審判を経ないまま、いつのまにか改革中止のバラマキ路線になっていった。自民党こそが国民を裏切ったのであり、<恩を仇でかえ>したのだ。いま国民の支持が民主党に傾いているのも、民主党への積極的な支持という以上に、その自民党に対する失望がかなりの部分を占めるはずだ。
最新のエントリ「構造改革への殉死?」(7/23)でも、山内氏のビジョン、政策はいたってマトモであることを再確認できる。
<麻生総理は「行き過ぎた市場原理主義からは決別」と述べて、
明示的に構造改革路線の全面否定を行いました。
そもそも「市場原理主義」の定義が明らかではありませんが、
規制緩和や民営化の流れを逆転させる意思が感じられます>。
<私は「市場の失敗」もきちんと認識すべきだと思いますが、
それよりも警戒すべきは「政府の失敗」だと思っています。
ちょっと前には「官製不況」という言葉がありましたが、
これは規制強化によって民間のビジネスが大迷惑を被った結果です>。
<市場も同じようなものだと思います。
市場には欠陥があり、歴史を振り返るとバブルは何度も発生しましたが、
それでも市場メカニズムよりも効率的な資源分配システムはありません。
市場の失敗を補完するために、政府が一定の役割を果たすべきですが、
政府が市場メカニズムを否定すれば、社会主義国の失敗を繰り返します>。
<構造改革否定派による「市場原理主義からの決別」の背景には、
規制を強化して権限や予算を確保したい霞が関の意思が見えます。
大きな政府への道を逆戻りしたら、官の肥大化による重税国家が、
待っていると私は思っています>。
こういう考え方は、経済学者や、多少なりとも経済をわかっている人にはごくあたりまえのことなのだが、一般人はカプランのいう「反市場バイアス」にとらわれがちで、「市場に任せる」よりも「規制でコントロールする」ほうがうまくいく、と考えてしまいやすい(私の解雇規制の議論に対しても、いつも一定の強い反発がある)。それが規制強化や増税を許し、「大きな政府」を生み出すわけだ。
一般人ならまだしも、政治家でさえ、これをちゃんとわかっている人は少なそうだ。その人たちが政策を決めるのだから、なんとも恐ろしい。市場が万能ではないのはその通りなのだが、だから国家が規制・コントロールすればいい、というのでは社会主義に逆戻りだ。金融危機以降、「小泉・竹中路線が日本をダメにした」みたいな安易な市場否定論が増えてきたが、こういう人たちのほとんどは単に市場というものを理解していないだけだ。それが俗論のレベルならまだしも、政権を取りそうな民主党にもこの種の発想があるように感じられる。
「市場の失敗」よりも「政府の失敗」のほうが恐ろしい、というこの「超基本事項」を認識している政治家がどのくらいいるのか、本当に不安だ。自民党政権では、「政府の失敗」はせいぜい税金のムダ使い、汚職、既得権益の保護、といったレベルに収まっていたが(これも当然許せないのだが)、これが民主党政権になると、正義感が強いのはいいのだが、「反市場バイアス」や「コントロール(統制)志向」が強すぎて、「市場」よりも「規制」が上位に来てしまうのではないかという恐怖がある。考えすぎであればいいのだが、製造業派遣禁止や最低賃金規制など、市場の動きを無視するような強引な労働政策を見ていると、どうしても反市場的な「コントロール(統制)志向」、何から何まで「計画」したがる傾向を感じずにはいられない。民主党は自民党よりも「正義感」が強く、「善意」を感じることは疑いないのだが、「善意」がつねに正しいとは限らないのだ。「地獄への道は善意で敷き詰められている」。
山内氏は、この「超基本事項」をちゃんと認識している政治家であり、かつ今回の離党で、自分の信念に忠実であることを行動で示した。私はすべての政治家を精査したわけではないけれども、少なくとも山内氏であれば、日本という国を任せても大丈夫な政治家であると確信できる。これまで以上に、山内氏を支持していきたい。
山内氏の離党について、ロンドン在住のリバタリアンであるanacapさんが書いている。
アナルコ・キャピタリズム研究(仮)ブログ - 山内康一さん離党。神奈川9区に注目。
http://anacap.jugem.jp/?eid=263
<Zopeジャンキー日記でよく取り上げられ応援されている自民党の山内康一さん>という切り口で、私のブログから山内氏がらみのエントリをいくつか採り上げつつ、以前ここでも紹介した「悪法収容所」の後輩との対話のかたちで、山内氏を紹介している。
私「まあZopeジャンキーに何回も出てくるってことは普通じゃないけどね」
リ「はい、リバタリアン受けする政治家なんてそういません」
というくだりにウケつつも、
私「たしか小さな政府の分権型社会を主張してるんだよね」
リ「そうです。JICAから国際協力NGOという経歴で、NGO・NPOが作る市民社会、というとなんか左翼っぽいんですけど、彼は大学時代開発経済学などを専攻していて市場をよく理解しています。これは穀物生産と市場経済の効用という彼のブログ記事を見てみるとわかります。あと自民党の公募に応募する前はロンドン大学の院にも行っていて教育経済学を学んだそうですよ」
といった部分は、山内氏のバックグラウンドをうまく説明していて、かつその山内氏の政策がなぜリバタリアニズムに近いかの説明にもなっていると思う(リバタリアニズムというのは、「小さな政府」のいわばハードコア版だ)。
先日の「中川秀直「非正規雇用の方を切り捨てて守ろうとしているのは‥」に対する大きな反響から察するに、いわゆる「無党派層」の中には、いまでも「小さな政府」路線に共感する人がかなりの割合でいると思う。「小泉・竹中路線が日本をダメにした」といった言説も少なくないが、むしろ最近の自民党のダメっぷりを見て、「小泉・竹中路線はやっぱり正しかったんだ」とあらためて感じている人も少なくないと思う。
その意味で、山内氏は「小さな政府」に共感する一定の層から、強い支持を集める可能性があるように思う。自民党で「小さな政府」路線が後退してしまい、民主党も「小さな政府」路線とは言えない現状では、「小さな政府」に共感する人が支持できる政党が存在しない。個々の政治家のレベルでも、それを明確に打ち出している人というのはあまり聞かないので、いっそう山内氏の存在は際立つ。
「無党派層」の多くは、「いまの自民党も民主党も、どうもしっくりこない」というのが実感だろう。私もその1人だ。これは現在の自民党と民主党のあいだに真の「対立軸」がなく、ほぼ似たような政策だったり、両党ともさまざまな政治家がごちゃまぜで、党全体としては支持しようがないということが原因だろう。そしてどちらも「大きな政府」路線としか思えない現状は、私から見れば危機的である。現状だと、「自民党か民主党か」という「政権選択」は、「どちらにしても大きな政府」ということになるのだ。
このように考える私にとって、「小さな政府」路線を明確に打ち出す山内氏は重要な政治家であり、自民党とハッキリ決別してくれたことで、より強く支持したい政治家になった。
衆院解散によって、山内氏はもう衆議院議員ではなく、身分としては「無職」である。次の総選挙で当選するかどうかもわからず、少しでも応援が欲しいところを、自分の政治家としての信念を貫いて、自民党を離れたのだ。それほど不安定な身でありながら、日本のために戦っている。「大きな政府」の圧倒的な力に対して、山内氏はそこに立ち向かうドン・キホーテのようなものかもしれない。しかし、自民党のなかでは「絶滅種」であっても、国民のなかには、山内氏の構造改革路線、「小さな政府」路線に共感する人がきっとたくさんいると思う。
関連:
NIKKEI NET - 自民・山内康一氏、国民新・糸川正晃氏が離党届(7/22 00:17)
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20090721AT3S2103221072009.html
<自民党の山内康一前衆院議員(神奈川9区、当選1回)は21日、細田博之幹事長に離党届を提出した。山内氏は離党の理由について国会内で記者団に、「自分が目指している方向とずれを感じる。公務員制度改革などのスピードが落ち、逆行している印象を受ける」と語った。1月に離党した渡辺喜美元行政改革相との連携に関しては「考え方は近い。いろんな可能性を考える必要がある」と含みを残した。衆院選は無所属でも出馬する意向も表明した>。
YOMIURI ONLINE - 山内康一前衆院議員、渡辺新党合流も(2009年7月22日01時45分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin2009/news1/20090722-OYT1T00151.htm
<21日に自民党に離党届を提出した山内康一・前衆院議員(当選1回、神奈川9区)は国会内で記者会見し、衆院選には神奈川9区から出馬する考えを示した上で、渡辺喜美・元行政改革相らが結成を目指す新党への参加について、「考え方が(渡辺氏と)近いのは間違いない。可能性はある」と語った>。
ビジョン:分権型市民社会論(7/20)
http://yamauchi-koichi.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-2f74.html
山内氏の「個人マニフェスト」。解散・離党の前日に出ており、この時点ではもう離党を決意していたはずだ。山内氏はどんな気持ちでこれを書いただろうか。
Observing Japan - Fleeing a sinking ship?
http://www.observingjapan.com/2009/07/fleeing-sinking-ship.html
Newsweekで「オブザーヴィング日本政治」を書いているトバイアス・ハリス(Tobias Harris)が山内氏の離党に触れたもの。
河野太郎発行メルマガ「ごまめの歯ぎしり」ブログ版 - 衆議院解散
http://www.taro.org/blog/index.php/archives/1088
<院内へ行く地下通路で山内康一代議士とすれ違う。(離党届を)やっぱり出すのか>。<残念ながら慰留しきれなかった。彼のような人材を失うのは自民党としてももの凄くいたい。自民党太陽系の中で、河野太郎が冥王星なら、山内康一はハレー彗星と呼ばれていたが、いつか太陽系の中心を動かして、俺たちが真ん中になるぞと言ってきた>。
関連エントリ:
「小さな政府」、構造改革、経済成長路線の新党を待望する
http://mojix.org/2009/07/18/small_gov_party
小さな政府、大きな市民社会がつくる「新しい公共」
http://mojix.org/2008/10/27/small_gov_big_civil_society