2009.06.26
放置自転車のコストは誰が払っているのか? アナルコ・キャピタリズム研究(仮)ブログに「悪法収容所」開設
愛読している「アナルコ・キャピタリズム研究(仮)ブログ」に、最近「悪法収容所」というカテゴリができた。ブログ主であるanacapさんの大学の後輩による、いわゆる「ゲストブログ」形式で(経緯の説明)、リバタリアンから見た「悪法」の実例を掲載していく、というものらしい。

例えばこんなものが採り上げられている。

私有地ならただの不法行為で罰せられるだけ:みずから無法地帯を作っておきながら、その被害のカバーをいくらでも納税者に押し付ける政府の理不尽さ
http://anacap.jugem.jp/?eid=147

ここで掲載されているのは、群馬県太田市の放置自転車撤去コストに関する以下の記事。

太田市が放置自転車撤去コスト試算 一台あたり3万7000円 群馬
6月19日7時57分配信 産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090619-00000095-san-l10

<群馬県太田市が、放置自転車対策業務にかかったコストを試算したところ、放置自転車を1台撤去するのにかかった総費用は平成19年度で約4万円、20年度の推計値でも約3万7000円かかっていたことが分かった。市では「撤去には多額の市民の負担がかかることが分かってもらえると思う。放置はぜひともやめてほしい」としている>。

<19年度一般会計決算額を基に試算したところ、放置自転車対策業務にかかった総コストは約2620万円。同年度の放置自転車撤去台数は642台で、1台あたりの“撤去費用”は約4万円だった。費用の9割は市税で負担され、残りは市営駐輪場使用料(当時は東武線韮川駅前に1カ所のみ)で利用者が負担していた>。

<また、太田駅高架下に新しく約800台の駐輪場が整備された20年度は、放置自転車対策業務の総コストが約3726万円。放置自転車撤去台数は20年12月末の実績値から994台と推計され、1台あたりの総コストは約3・7万円となった>。

放置自転車を撤去するコストはもちろん税金で払われるから、自転車を放置する「フリーライダー」(全体に不利益を生じさせて、自分だけ「タダ乗り」する人)がまる儲けで、自転車を放置しない良識的な市民は損しているわけだ。税金だけでなく、歩くところが狭くなるといった不利益もある。

政府側が<みずから無法地帯を作って>おいて、そこにタダ乗りするフリーライダーの余地を生み、そのコストを税金で払わされる、といった構造はいたるところに見られる。以前書いた「図書館の切り抜き問題」などは、この放置自転車の話とわりと近い。

さまざまな補助金や生活保護、健康保険や雇用保険、借地借家法解雇規制による「保護」など、政府による強制的な再分配や、市場介入的な規制はほとんどすべて、「確信犯」によって「タダ乗り」される運命にあるといってもいい。この「タダ乗り」のコストが税金で支払われているだけでなく、「タダ乗り」の対象が民間側にできてしまう場合、そのリスクによるコスト上昇が、サービスの価格を引き上げたり、質を落としたり、流動性を下げたり、機会を減らしたりと、市場を歪めてしまう。

話を交通に絞っても、「フリーライダー」は自転車を放置している人だけではない。例えば「道路」というものには、とてつもなく巨額な税金が投じられているが、これは明らかに自動車を保有している人にはトクになる一方で、いつも歩く人や、電車しか使わない人にとってはトクにならない。むしろ、自動車が増えれば歩きにくくなり、事故のリスクが増したり、空気が汚くなったりして、税金を払わされるという金銭的なコストだけでなく、生活の快適さが失われたり、生命の危険が増したりもする。自転車に乗る人の立場から見ても、日本の道路というのは自転車のことがほとんどまったく考えられておらず、狭い道路の端っこを、汚い排気ガスを吸わされて、命を縮めながら走ることになるので、納得がいかない思いだろう。

人間の生き方・考え方というのは人それぞれだから、「何がトクで、何がソンなのか」という基準・尺度・価値観も人それぞれだ。しかし「税金」というものは、問答無用で払わされて、それを政府や自治体の判断で勝手に、一律に使われてしまう。これがうまくいく可能性があるとすれば、「何がトクで、何がソンなのか」という価値基準が全員一致している場合だけだろうが、現実にはそんなことはありえない。交通の例だけで考えても、上記のように、自動車・自転車・歩行者のあいだで大きな利害の衝突がある。

「何がトクで、何がソンなのか」という利害・価値基準が全員一致することなどありえない。だから、税金というものはたいていの人にとって「払い損」になるのであり、結果として「行政サービスの押し売り」と変わらないものになる。直接的には税金をあまり払っていない人でも、市場を通じたサービスのコスト上昇や品質低下、さまざまな機会損失といったかたちで、実はそのコストを間接的に引き受けている。

だからリバタリアンは、政府を限りなく小さくして、税金も限りなく安くすべきだと考える。「何がトクで、何がソンなのか」という基準・尺度・価値観は人それぞれなのだから、自分が必要なサービスを、それぞれが自由に買うのがいちばんいいのだ。

みんなからお金を強制的に取り上げて、「みなさんのお金を、みなさんの役に立つように政府が使います」というのが税金だ。政府がどんなに優秀だとしても、そんな仕組みがうまくいくわけがない。政府があまり優秀でなければ、なおさらだ。

放置自転車とか駐車違反、道路・自動車などの交通問題は、何が「公益」なのかという根本的な問題や、利害の衝突、「共有地」の問題、市場の「外部性」の問題(生活の質や生命のリスク、空気の汚染など、価格に十分反映されていない側面)など、ホットな論点が集積しているので、政治というものの意味や役割、必要性を感じたり、問題意識を高めるきっかけとしては、面白い話題だろう。

「悪法収容所」は、こういう具体的な話題を通じて、リバタリアニズムという政治的立場の意味を浮かび上がらせている。開設動機を述べた「「悪法収容所」開設」というエントリでは、<リバタリアンでない者にとってはまずケーススタディが大事>と書かれており、<リバタリアニズムの啓発・啓蒙>という観点に立てば、リバタリアンにとっては自明なものであっても、<これらの個別ケースをすべて取り上げなければならない>としている。リバタリアニズムに限らず、人間が新しいものを学ぶには、たしかにケーススタディ・具体例から入ったほうが、その「意味」がわかりやすい場合が多い。このアプローチには賛同したい。

特にリバタリアニズムを支持しない人であっても、ここで採り上げられている「悪法」は、政治というものの意味・役割を考え直したり、自分の政治的スタンスに意識的になるための<ケーススタディ>、いいきっかけになると思う。すでに「悪法」が7つくらい「収容」されたようだが、今後もどんな「悪法」が出てくるのか、更新を楽しみにしたい。


関連エントリ:
図書館の切り抜き被害 これも「解消」すべき問題
http://mojix.org/2009/04/28/toshokan_kirinuki
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http://mojix.org/2008/12/03/robot_car
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http://mojix.org/2008/11/03/meta_society